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RC-NET(レイプクライシス・ネットワーク) BLOG.

RC-NET STAFFによる、日常の些細な出来事から、お知らせまでいろいろなぶろぐ。

<性暴力被害の社会的予防について>

2016-08-26 14:36:48 | スタッフ日記

<性暴力被害の社会的予防について>

性暴力被害にあう人とはどういう人でしょうか?

警戒心が薄く「隙がある」女性?
派手で男好きな女性?

性暴力加害をする人とはどういう人でしょうか?

性欲が旺盛な男性?
“本能”に嘘がつけない男らしい男?

交通事故の被害にあう人は、スマホばかり見て信号なんて一度も守ったことがない人?加害者はポケモンGOしてる人?

殺人事件の加害者は子どもの頃からアーミーナイフを懐にいれていて、爆弾を持っているのは全てイスラム教徒?

 

これらは一言で言えば偏見です。全体の一欠片をつまみ出してはまるで全体のことの様に語る。一体これに何の意味があるのでしょうか。これらを全体のことの様に語ることで、何が見いだせるのでしょうか。

 

この度、芸能関係者を容疑者とする強姦致傷事件の報道では、様々な容疑者、そして被害にあわれた方に対する様々な“ゴシップ”が流れています。

私たちは、それらに対してとても暗澹たる気持ちでいます。

どうか考えて欲しいことがあります。
あなたが被害にあったら、どう感じるでしょう?
あなたの周りの人たちが被害にあったら、どう感じるでしょう?
あなたやあなたの周りの人たちが被害にあった時、
あなたやあなたの周りの人たちは、周囲に対してどうあって欲しいと思うでしょうか。

加害者や加害者の親がどういう人であれ、
被害にあった人がどういう人であれ、
これは明確な暴力事件であり、その人のこれまでの経験や性別・年齢・職業、他様々な要因は加害の言い訳には一切なりません。
加害とは、加害者が加害を選んだその瞬間に発生するものであり、
それ以上でもそれ以下でもありません。

世の中には“性”に関する様々なフォビア、ファンタジーがあります。性という言葉がつくだけで、人はすぐにゴシップに走ってしまう。

 

私たちの“性”は、人に笑われるためにあるのではありません。
私たちの“性”は、誰かに「これなら被害にあってしかたない」「これは大変だ」「これじゃあ加害をしても仕方が無い」と判断されるべきものではありません。
私たちの“性”は、一切の暴力に曝されることなく、被害にあえば、社会の中で適切な助けを得て、健康に生きる権利を有しています。

 

私たちは批評をするべきではありません。
ただ、これまでに私たちに出来たことはなんだったのか。そしてこれから、私たちに出来ることは何なのか。これを一緒に考えたいのです。

性暴力を止めるのはだれ??

性暴力被害にあったサバイバーたちが生きやすい社会をつくるのはだれ??

 

私たち、みんなです。

 

私たちは、サバイバー(性暴力被害にあい、生き抜いた人)と共にいます。


「強姦罪改正」ってどういうものなのか①

2016-06-17 16:16:59 | スタッフ日記

強姦罪が改正される!ということを2014年辺りからずっと言ってきたのですが、

実際どの辺りが改正されるのか?今出て来ている案を,少し分かりやすくまとめていこうと思います。

 

まず一つ目の大きな改正について。

強姦罪、また強制わいせつ罪の中から、性別による規定が撤廃される予定です。

男女もしくは女子という記載があったものについては、「者」と変更になる予定。

これまで男性から女性へのペニスから膣への、というものがなければ「強姦」とはならなかったものが、

身体への侵襲性というところから、膣、肛門、口への挿入行為は強姦と判断され、下限量刑5年の強姦罪になります。

強姦罪は基本として執行猶予はつきません。

また、親告罪要件は撤廃され、非親告罪として告訴をせずとも公訴することが出来るようになる、という改正案になります。

 

そして、性交同意に関してですが、これまで13才未満の女性という括りで、同意があったとしても強姦になる、というものが現在の法律にはあります。

しかし、ここでも「女」という性別は撤廃され、「者」となります。

そして、18才未満の者に対する監護者からの性行為は同意があっても強姦罪が適用される予定です。

監護者、とは、民法上の「現に監護するもの」という意味での保護者という概念もありますが、例えば祖父母等親戚に預けられている場合や施設での生活についてなど、個別判断をしていくものもあるようです。

 

改正のポイントは沢山あるのですが、RC-NETとして要望を出したものからまとめていきたいと思っています。

まだ、要綱案がまとまった、という段階ですから、「こうなります」というわけではありません。ベースとして、法制審議会の議事録にあるものから見て書いていっています。


第七回法制審議会本日開催

2016-06-16 05:16:45 | スタッフ日記

今日、法務省の性犯罪に関する第7回法制審議会が開催予定。
そしてその、今回の審議会で、答申が出される可能性があるということを聞きました(出ないかもしれないけど。分からないけど)。

今月入ってからというもの、スマホには議事録のPDFをダウンロードして、じっくりしっかり、寝ても覚めても読んでいた(長いし、言葉が難しくて…)。

審議会の中では、岡山大学からの提供資料として、性別適合手術に於ける造膣及び男性器の形成に関しての審議などもあったり、
小西聖子氏から、性の多様性についての言及もあり、
今回の改正は、明確に性的マイノリティと言われる人たちのことも念頭においた上でのものになるわけです。

オーラルセックスや手指器物挿入を強姦に含めるかという議論の中で印象的だったのは「膣性交につきましては,妊娠の危険性がある等の生殖行為としてのシンボリックな意味が認められますが、それのみによって,これを別個に扱うことには合理性がないように思います。」という橋爪幹事の発言と、
「もちろん身体的な物理的な危険というこ ともあるのですけれども,それとともに,その人のセクシャリティーとか性的自己決定権とか性的自尊感に対する侵害というのが保護法益に含まれているわけですので」という角田委員の発言に関しては、
実に心強い気持ちになりました。

答申が出次第、これまでの議事の中のものを含めて、RC-NETなりに改正のポイントについてをまとめて行ければと思うのですが、
なんせ、出てる資料少なすぎるなぁ(いや、多いけど、少ない)。
とりあえず、議事録はほんと、もっとはやくアップしてもらえたらな…。

なんとか、最後の審議会向けにRC-NETとしての法制審議会への「最後のお願い」を法務省に送ったので、
今からやっと寝ようと思っていますが、緊張して寝れない気がする。

(岡田)


「木を見て森を見ない」けど木も大事だし森も大事だし(調査とか統計とかについて)

2016-05-30 19:16:57 | スタッフ日記
ツイッターで被害者の全体像を相談事業のみをもって語るのをやめるべきだ、というようなことを書いたのが地味にRTされつづけていたので、少し丁寧に書いてみます。

性被害についての統計等を見ていくと、日本での統計というのはとても少ない、という現状はあまりこの10年ちょっと見てきた中でもそう変わりません。
現状ある調査等を大枠で分別すると、
1、警察白書等を基にした公的な調査報告(親告罪ならではの暗数の高さが特徴)
2、大学等に所属する研究者による学校単位、施設単位等の調査報告(個別性が高く、年代や所属が限定されることが特徴)
3、相談支援団体等の相談事業を基とした調査報告(“相談をしてきた人”という属性のみに限定されることが特徴)
という3種類に分けられるかなと思います。
 
広く一般に対しての聞き取りという意味では、2の研究としての調査が一番「全体像」を見るには適しているだろうと思います。しかし、特徴として書いたように、少ないながらも実施されているこれらの調査の多くが、学校でのアンケート形式のものが多く、年代としてはかなり限られてしまうのが残念だな、と思っています。
 
3の相談機関での統計等については、必ずしもサバイバーが相談機関に相談するのではない、ということを考えると、どうしても「電話相談」という特殊な状況下での相談というものにコミット出来る状態の人を対象とするという、「全体像」の把握には不向きな状態があるなと思います。
 
RC-NETとしてもこれまで、電話やメール、スカイプ、面談での相談をしてきた中で、この相談を利用する人たちの傾向というのが少なからずあるな、ということを思ってきました。それが何である、ということを今明言できる訳でもないのですが、それぞれの特異性があります。また、こうした相談事業としてではなく、2014年からCommunity cafe & bar Osora ni Niji wo Kake Mashitaを運営してきた中で、
「相談」という括りではないけれども、環境が整いさえすればサバイバーとしての自分を開示する、というタイプの方にも多く出会ってきました。レイプサバイバー=相談者、というわけではなく、自分自身にも被害経験はあるけれども、それを相談したいというよりも、「あったこと」として、経験をふとした瞬間にシェアしてくれる、というようなことです。思うに、この層の人たちが、性暴力サバイバーの多くを占めているのだろうな、と、私自身は思っています。
絶対否定したいのは、「その人たちはそう大変な思いをしていない」なんていうことを言いたいのではありません。沢山の傷つきを抱え、生き辛さを抱えたこともあったかもしれない、それら経験した上で、ただそういう人たちは私たちの社会に沢山いる、という話です。
 
I'm living with Rape Survive.
なわけです。
どこにでもいるし、みんな一緒に生きている。
 
トラウマ症状の出方、というのは様々な環境要因、個人的要因が絡み合って起こるものだろうと思います。なので、その出方は人それぞれ、症状があるから酷い被害だった、無いから軽い、という話でもなく、それぞれの人にそれぞれのサバイブ方法があるのだと思います。
 
RC-NETでも、一応、概要としてはどのような相談があったか、ということを記録に残しています(メール相談等記録に残るものについては、2年に一度、ご本人から体験談として残す旨無い場合は消却しています)。しかし、その統計等はあくまでも「RC-NETにはこういう相談があります」ということでしかなく、
性被害とは、というものを語ることに利用出来るものではない、と思っています。
 
ただし、全体を知ることのために個を知ることは大切なことです。
相談機関が相談統計を出すことの必要性の一つは、その個別の事柄について対応が出来ていない社会を変えるためです。
例えば、DVを例にとっても、たったか10~20年前には、この暴力の多くが可視化されず、家族という単位による秘密、仕方の無いこと、とされていました。様々な団体によって個別の事柄が可視化されていき、「あるもの」とされました。これは暴力だ、と。
 
これらの中で、もちろん「個」のストーリーは大切である、という前提を私は持っています。
 
そして、個の後には全体について、です。
 
DV被害について取り組む人たちの講座を受講した際に、興味深い言葉を聞いたことがあります。
「個人を立たせない」ということについてです。
メディア等で被害についてを話す時に、絶対に言われるのが「当事者の人から取材させてもらえますか」と言われます。
RC-NETではジェンダー・セクシュアリティを問わず相談を受けるということをずっと明言してきました。なので、相応の数の相談数があります。そのデータだけではダメで、あくまでも社会に伝える際には「当事者」が求められます。
私はずっと思ってきました。
「なんの支援もないのに、何かあったら助けられるわけでもないのに、何故、顔を出せと言われるんだろうか。」
言われてみれば、DVサバイバーというのは、レイプサバイバーよりも、個人として活動をする人が少ないな、と思います。
 
性暴力被害についての活動は、日本では多くが個人の頑張りによって支えられてきたな、と思います。
この10年を思い返すだけで、顔を出し、名前を出し、「私はレイプサバイバーである」ということを言った人たちが何人もいます。その人たちの勇気に触発され、当事者たちは自助活動を始めたり、自己開示をしたりもしました。
 
ただ、どれだけ個別のストーリーを伝えても、性暴力は身近なものにならない…という気がしています。
「DVかも?」と思えても、「レイプかも?」とならない。
役所や警察などの講座とかに言っても、半分はその個人の方の経験談を聞く感じになってしまって、それに共感したり大変なことだと思った、などの感想はあっても、「被害とは何か」という全体像を理解していく人が少ないとも、少し感じるところがあります。
 
社会的な認識の薄さ、人が感じるタブー感、
それは、どこまで行っても、「性」への認識の薄さ、タブー感と直結している気がします。
 
木を見て森を見ない状態がずっと続いている。
 
諸外国でよく使われてる「女性の4人に一人、男性の6人に一人がなんらかの性被害にあっている」というデータがありますが、
日本での調査はあまり、それらに該当するものが多くはありません。
暗数があるから、と暗数計算をして全体像を算出したりすることはあるのですが、
改めて、「性暴力サバイバー」というものの実態を、知りたいと思う事があります。
 
みんな、どこで生きてる?
みんな、どうやって生きてる?
 
警察などでは、よく「最近性犯罪が増えている」ということが言われたりします。
それは、少しずつ、社会的な啓発が進み、被害を親告する人が増えた、ということであり、必ずしも増加とは言えないでしょう。
 
性暴力被害にあうということはどういうことなのか。
 
その答えは、もちろん被害にあった本人にしか分からないことです。
しかし、それは一人一人のサバイバーたちの真実であって、全体ではありません。全体の一部。
 
その全体の一部を私たちはずっと拾い集めながらいるんですが、
そろそろ、より全体像を探るための調査というのをしないといけない、と思うわけです。
 
 
そんなことをわざわざ長々と書いた理由の一つとしては、
最近、自分のところに来た相談のみを資料としてそれを全体像かのように伝えていく、という語りがすごく多いんじゃないか、と感じていて、
個への対応のために、というよりすぐに法律を変えようとか新設しようという話になっちゃったりして、
いや、もっと、その前に、具体的な調査をしませんか、と、思ったりしているということです。
 
国内調査…、どうやったらいいんだろう。
まずはネット調査とかでもいいなと思うのですが、(まぁ、ずっと言ってるだけになっちゃってるんですがorz)、
サバイバーの声を、もっと集められたらなぁと思っています。

私がワンストップセンター乱立に反対の理由。1

2016-05-20 07:15:57 | スタッフ日記

RC-NETの岡田です。今日はタイトルにあるように、私がワンストプセンターというこの数年日本中に広まっている仕組み作りに反対している理由を書こうと思います。

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「口は出さないでいからお金を出してほしい」

乱暴な物言いに聞こえますが、これは1990年代及び2000年代の最初の頃まで、本当によく性暴力被害者支援に関わる人たちの中から聞こえてきた言葉でした。

まぁ、たぶん、NPO的なことをやっている人はみんな思ったことがあることなんじゃないかと思います。

何故、こういう言葉が出るのかと言えば以下のようなことです。

 

私たちは常に被害当事者と向き合いながら、その人達が少しでも自分自身の望む方向性に進む事が出来るように力一杯応援します。その中で、もちろんお金が必要になる。しかし、そのお金を得る為には非常に煩雑な書類を出したり、出しても通らなかったりしながら、

専らNPOお得意の「手弁当」で活動を続けてきたわけです。

レイプサバイバーの尊厳を守るために。

被害にあったその人を、絶対に孤立させないという思いのなかで。

サバイバーたちが不条理な社会的偏見や差別、無知に曝されないために。

一人で、死んでしまわないために。

 

警察の対応の酷さは多くのサバイバーにとって非常に困難を伴うものでした。被害届受理に関わる対応の悪さ、レイプ神話に基づく偏見等による暴言、様々な“公的な無理解”から、市民団体は当事者を守らなければいけませんでした。

“社会的”な“公的”な場からサバイバーが二次被害を受けないように、なんとかサバイバーに“寄り添う”ことが求められてきました。

 

私は「パーソナルデータをパブリックに渡すな」と教えられていました。

この人がレイプサバイバーである、ということを絶対に公的機関に渡してはいけない。個人情報はNPOが持つべきだ、と。そして、その人の個人情報について、特に被害に関わる情報については、メモ一つも残してはいけないと。

それは、アメリカのレイプクライシスセンターでも言われました。

「レイプサバイブに関わる情報は全て本人の意思の元で管理されるべきであり、データではない」と。私たちが社会啓発の中でしていいのは、アンケートであって、被害情報をばらまく事ではない。

 

根本的な問題として、相談データというものの存在が本来的には望ましく無いものだということを考えてきました。

金を出すから根拠を見せろ、というのがこの分野にとっては非常に難しいものであって、何故ならその根拠となる「データ」は、お金と引き換えに渡せる程に安易なものではないからです。

だからこそ、「口は出さないでお金を出してほしい」なわけです。

 

しかし、一時期から日本中で公的なお金が回り、相談を各所で受ける体制が整ってきます。

「相談バブル」などとも言われましたが、これまであまり相談支援事業に関わってこなかった人たちも多く関わりだし、「相談」が「データ」となり始めました。

その「データ」の多くには、本人による公開の許諾は取れていません。

どのような被害にあったのか、それは誰からの被害で、どの場所で、どういう関係性だったのか。

「個人が特定出来ないように」と言っていますが、その大本となるデータは、誰が見て、どのように保管され、どのように消却されるのかも明確にされていません。

相談をする、ということが直結して被害情報をパブリック(公的機関等)に渡す、ということではいけないのではないだろうか。

 

ワンストップセンターを全都道府県に作るという流れがあります。

まず、ワンストップセンターには大枠で2派ありまして、元々活動していたNPOが拠点となり、公的私的資金を投入され支援にあたるものと、パブリック(犯罪被害者支援センター、警察、病院)が拠点となり“ほぼ”公的存在として支援にあたるものです。

両者に問題点は多くありますが、特に後者が問題です。

(前者の多くが“女性限定”を明示するなどの点については、法改正の流れや情報周知・理解等によって改善していけるものだと思います)

完全に、“パブリック”です。ここでよく言われている言葉としては「県、警察、弁護士、婦人科医との連携のもと」という言葉。これまでのNPOの実践を完全に無視した公的な支援体制の構築です。

特に、私たちがいる青森のような地方都市に於いては、ジェンダーバランスとしても完全にバランスを欠いた状態で、男性職員と少数の女性事務員、そして女性ボランティアがメインとなって相談を聞く、実は性暴力被害についての学びをこれまで明確にしてきたわけでもなく、この事業のための研修・講座を少し受けました、というような状態の方も多くいらっしゃいます。

そもそも、公的な相談機関はこれまで存在していなかったのでしょうか?

いや、ありました。相談機関はあった、だけれども、“機能していなかった”のです。

二次被害生産所か?というくらいに二次被害をばらまき、被害届も受理しない。相談もろくに聞かない。連携も出来ない。医療的急性期として捉えられるような状態しか相手にせず、たらい回しにばかりする。公的な相談窓口がありましたし、今も存在しています。

そこを、なんとかしませんか。

婦人科医との連携、と言っても、なぜワンストップ等を介してのみ連携が出来るというのでしょうか。

まず、国内の医療機関にまず駆け込んだとして、レイプキットが常備されている病院が、今になっても何故こんなに少ないのでしょうか。

必要なのは、情報をパブリックに渡すことではありません。

ワンストップセンター、という聞こえのいいハコ物が各地に出来ることでもありません。

 

サバイバーが声を上げた時に、どれだけの場所で「自分たちが受け入れる」という土台を作れるかということです。

 

・既存の相談機関に於いて性暴力被害に関する相談体制を構築する

・医師会を通じて、性暴力被害に関わる証拠保全についての通達を出す

・レイプキット使用等、証拠保全に関わる資金を全国一律で助成する

・民間の“多様な”性暴力被害に関する支援事業に助成する

・各都道府県での被害者支援事業を一括で取りまとめせず、国内全域にまたがり各都道府県での支援に関わるマップ作成を行い、サバイバーに対してどのような支援があるのか選択肢を示す

 

法律を作るより簡単なこと。

国からお金が出るなら、「相談窓口つーくろ!」なんていう安易なことではなく、ぜひ、「これで日本で性暴力被害にあっても孤立しないでいられる」と思えるようなものを作りませんか。

 

 

これが、私が乱立して行くワンストップセンターというものに反対している理由です。