上下ともクリックしてくださると大変うれしいです。
『今日2024年9月26日は、戦後5人目の死刑台からの生還、1966年6月に静岡県清水市(現静岡市)で一家4人を殺害したとして、強盗殺人などの罪に問われ死刑が確定した袴田巌さん(88)に対する再審裁判で、静岡地裁(国井恒志裁判長)が無罪判決(求刑・死刑)を言い渡すという、法律家ブロガーとしては絶対に記事にしないといけない歴史的な出来事がありました。
この判決では捜査機関の3つの捏造が認定されるなど非常に重要な内容が含まれているので、判決評論は明日の自民党総裁選の前に必ずとお約束しておきます。』
と書いたのですが、翌9月27日は袴田事件のことも、石破茂氏が逆転勝ちした自民党総裁選のことも記事を書けませんでした。
実は私事ながら、びっくりされると思うんですが、郷里の母がその日の朝に急に危篤になり夕方には亡くなりまして。
明日お通夜で明後日葬儀という今日この日にブログ記事を書いていると、どんだけブログ書くの好きやねんと思われるかもしれませんが、袴田巌さんが88歳、巌さんを58年間支え続けてきた姉のひで子さんが91歳。
そして、うちのお袋は89歳で亡くなったんですよ。ちょうど同世代ですよね。
お袋が私を生んで間もなくのころから、ひで子さんと巌さんの姉弟はこの冤罪事件に苦しんでこられました。
実に47年余りの収容の後に再審決定、その後10年間を経てやっとやっと再審無罪判決です。
おおむね平凡な一生だったうちの母親に比べて、警察と検察と裁判所が作り出したこの冤罪事件で、お二人がどれだけつらい人生を送られたかと思うと、弁護士ブロガーとしてやはり記事を書いておかないといけないと思いました。
なので今日はポイントだけ。
元死刑囚袴田巌さんに東京高裁が無罪の可能性を開く再審決定。「有罪の決め手」の衣類5点は「捜査機関の者による可能性が極めて高い」。再審のルール整備と死刑廃止の議論を進めるべきだ。
今回の判決で静岡地裁は、袴田さんを有罪とした元の裁判の証拠には「三つの捏造がある」としました。
まず、袴田さんが「自白」したとする検察官の取り調べ調書は黙秘権を侵害し、非人道的な取り調べで獲得された虚偽のもので、
「実質的な捏造」
だと断定しました。
また、これは再審決定をした2023年3月の東京高裁も言っていたことですが、袴田さんの逮捕から1年後に突然発見され、袴田さんの犯行時の着衣とされた5点の衣類について
「捜査機関によって血痕をつけるなどの加工がされた」
と述べ、捏造と認定しました。
さらに、静岡地裁は、袴田さんの実家から押収された5点の衣類のズボンと同じ素材の端切れも
「捜査機関によって捏造されたもの」
としました。
その上で、これらの証拠を排除すれば、袴田さんが犯人でないとしたら合理的に説明できないか説明困難な事実関係はなく、袴田さんが
「犯人であるとは認められない」
と結論づけたのです。
戦後「死刑台からの生還」と言われる、死刑判決事件が再審公判に持ち込まれて無罪判決が出た事件がこれで5つ目なのですが、これまでの4つの冤罪事件でも、これほど捜査機関による証拠の捏造が認定されたことはありません。
今回の3つの捏造については、直接やったのは警察だということになっていますが、検察もこれらの捏造証拠をもとに捜査・取り調べをして、起訴をして、58年間も有罪主張をしてきたのですから、検察と警察とは全くの同罪。
というか、警察が証拠を捏造していたことに気づいていたというのはもちろんのこと、一緒になって捏造して、それを隠蔽し、強引に袴田さんが犯人だということでこれまでやってきたのではないかと思うわけです。
郵政不正事件では検察官が直接証拠を隠蔽したり、捏造したりしていましたよね。
そして、これまでの死刑台からの生還4件の再審無罪判決事件では、一度も検察は控訴したことはないのですが、まさにこの3つの捏造を再審無罪判決で認定されたがゆえに、体面を失った検察が初めて控訴するかもしれないと言われているんです。
袴田さん再審、証拠捏造を指摘された検察が意地になって再審公判での有罪立証の方針。検察の悪あがきで審理の長期化避けられず。検察はいつまで人権侵害を続ける気だ。
巌さんは88歳、秀子さんは91歳なのに、58年間も苦しめ続けてきたのに、まだ控訴するのか、検察は鬼か?!と我々は思うわけですが、そうじゃないんですよ。
検察は最初から鬼なんです。
証拠をでっちあげて無実の人を捕まえて裁判にして死刑を求刑し、刑務所に48年近くも入れ、裁判所に再審決定も無罪判決を出させないように徹底的に抵抗してきたんですから、検察は最初から鬼畜生道に堕ちているんです。
権力とはそういうものだし、絶対的権力は絶対的に腐敗するといいますが、特に国家権力の中でも刑事司法機関である検察は、人を刑務所に入れたり死刑にしたりする可能性を開く刑事裁判を始める「起訴」という権限を独占している絶対的権力なんです。
そのくせ、裏金議員のほとんどは起訴しなかったでしょう。
起訴権を独占していて(起訴独占主義)、しかも起訴するかしないかを自由に決められる(起訴便宜主義)。
これが国家機関としての検察庁の怖さです。
袴田嚴さんの再審事件が結審。検察庁が改めて死刑を求刑。弁護団は当然の無罪を主張。再審無罪判決が明らかなのに「メンツ」にこだわって袴田さん姉弟の限りある時間を奪う検察は恥を知れ。
私たち弁護士は一緒に司法試験に合格し、ともに司法研修所で学んだ検事たちを仲間だと思っていますが、一人一人の人間としての検事はそうでも、検察庁という権力組織はまた別なんですよ。
そういう検察庁という権力機関の権力濫用を今からでもストップできるのは、我々市民の世論だけです。
検察は絶対控訴するな。
この声をいまあげるのが私たち一般市民の義務です。
はけないズボンで死刑判決: 検証・袴田事件 (Genjinブックレット)
再審制度ってなんだ?──袴田事件から学ぶ (岩波ブックレット 1087)
法律家として、人としてどう生きるか、考えさせられます。
静岡地裁にこの人の姿があった。村山浩昭さん。2014年3月27日、静岡地裁の裁判長として袴田巌さんの死刑と拘置の執行を停止し、釈放を決めた人。その時の決定文は激烈だった。すなわち「これ以上拘置するのは耐えがたいほど正義に反する」と。この英断がなかったらきょうの日は無かったかもしれない。 pic.twitter.com/eBpKmeOUwO
— さよなら昨日の私 (@SaYoNaRaKiNo) September 26, 2024
袴田さん御家族だけでなく もう1人、この事件で人生がおかしくなった 元裁判官、熊本さんという方がいる事も知って欲しい。
— まる (@sihoGOGO) September 26, 2024
唯一、袴田さんの無実を 立場上、かなりの勇気持って告発するも上の圧力に勝てず 死刑判決を下すしか無かった事から自分を攻め続け自殺未遂まで追い詰められた方。 #袴田事件 pic.twitter.com/hwMZsq0X4E
【動画】袴田巌さんに姉の秀子さんが無罪を報告「もう安心して」https://t.co/Qu30UDv4iA
— 朝日新聞デジタル (@asahicom) September 27, 2024
強盗殺人罪などで死刑が確定した袴田巌さんの再審公判が静岡地裁であり、無罪(求刑死刑)が言い渡され姉の秀子さんが58年かけて勝ちとった結果を伝えました。
巌さんは表情を変えず、静かに聞いていました。 pic.twitter.com/5Ny3wNFROi
編集後記
もし私が冤罪で捕まったら、うちのお袋も、ひで子さんのように半世紀以上私を信じて闘ってくれたやろうな、と思える母親でした。
お母さんにいっぱい愛されてよかったです。ありがとう!
ところで、ひで子さんは判決後の日弁連の集会で
「47年7か月、巌が収容されていたことを何かの形にしないと私も思い残すことになる。
皆さんのお力で再審法を改正させて頂きたい」
とおっしゃってました。
検察に控訴断念させて、検察・裁判所に国家賠償させ、それとは別に、検察に手持ち証拠を全面開示させるなどの再審法制定ですね。
上下ともクリックしてくださると大変うれしいです。
2024年9月26日 21:34 日本経済新聞
1966年の静岡一家4人殺害事件の再審で袴田巌さんを無罪とした静岡地裁判決の要旨は次の通り。
【自白調書の捏造】
被告は警察署に任意出頭してから自白する前日までの19日間、夜中や深夜まで1日平均12時間という相当長時間の取り調べを受けた。
警察官らは犯行を否認する被告に対し、被害者らの写真を示して繰り返し謝罪を求め、自白しなければ長期間勾留すると告げて心理的に追い詰め、執拗に自白を迫った。取調室内に便器を持ち込んで排尿を促すなど屈辱的かつ非人道的な対応をした。
検察官も逮捕の翌々日から警察官と入れ代わり立ち代わり、虚偽の事実を交えるなどしながら、被告を犯人と決めつける追及的な取り調べを繰り返した。
被告が自白したとする検察官調書は、黙秘権を侵害し、警察官と検察官の連携により、肉体的・精神的苦痛を与えて供述を強制する非人道的な取り調べで作成された。実質的に捜査機関によって捏造されたと評価できる。証拠とはできず、職権で排除する。
【5点の衣類】
事件発生から約1年2カ月後にみそタンクから見つかり、犯行時の着衣とされた「5点の衣類」は、赤みを感じさせる血痕が付着している。しかし、実験結果や専門家の見解に基づくと、タンク内で1年以上みそ漬けした場合、血痕は赤みを失い、黒褐色化すると認められる。
衣類の血痕の色調によれば、タンクに新たなみそ原材料が大量に仕込まれた66年7月20日以前に5点の衣類がタンク内に入れられたとは認められない。勾留中の被告が入れることは事実上不可能だ。衣類はその発見から近い時期に被告以外の者によってタンク内に隠匿されたもので、犯行着衣ではない。
【捜査機関による捏造の可能性】
5点の衣類は、何者かによって捏造されたと考えるほかない。真犯人や関係者の可能性も想定されるが、捜査機関以外の者が犯行着衣を加工し、発見に近い時期にタンク内に隠匿する事態はおよそ想定しがたい。
被告は公判で否認に転じており、検察官としては有罪立証に困難が伴うと想定されていた。5点の衣類を除く当時の証拠関係によれば、被告が無罪になる可能性は否定できない状況にあり、捜査機関において、到底許容できない事態であったと認められる。
5点の衣類は、犯行とは関係なく、事件から長期間経過後に捜査機関によって血痕を付けるなどの加工がされ、タンク内に隠匿された捏造の証拠である。
被告の実家から押収された端切れも捜査機関の捏造と認められ、証拠から排除する。
【総合評価】
被告の犯人性を推認させる最も中心的な証拠とされてきた「5点の衣類」を除いた証拠によって認められる事実関係には、被告が犯人でないとすれば合理的に説明できない、あるいは、少なくとも説明が極めて困難な事実関係が含まれているとは言えず、被告を犯人と認めることはできない。犯罪の証明がなく、被告は無罪。〔共同〕
東京(CNN) みそタンクから見つかった血まみれのズボンと、強要で得られた疑いのある自白。これらが決め手となり、袴田巌(いわお)さん(88)は1960年代に死刑を宣告された。
NHKによると、50年以上が経過した今回、世界で最も長く拘置された死刑囚である袴田さんは無罪判決を言い渡された。
日本の裁判所は26日、一家殺害の罪で68年に誤って死刑判決を受けた袴田さんに無罪を言い渡し、長年の法律論争に終止符を打った。この問題では日本の刑事司法制度に世界から厳しい視線が注がれ、日本の死刑廃止を求める声が高まっていた。
NHKによると、静岡地裁の国井恒志裁判長は有罪の決め手とされた血痕の付着した衣類について、事件のかなり後に仕組まれたものだとの判断を示した。
国井氏は「1年以上みそ漬けされた場合、血痕に赤みが残るとは認められない。事件から相当期間が経過した後、捜査機関によって血痕を付けるなどの加工がされ、タンク内に隠匿された」と指摘。「袴田さんは犯人とは認められない」と判示した。
1957年の写真。袴田さんは短期間プロボクサーとして活動していた/Hideko Hakamata
プロボクサーだった袴田さんは1961年に引退し、静岡県の大豆加工工場に職を得た。この選択が後の人生に影を落とすことになる。
5年後の6月に袴田さんの上司とその妻、2人の子どもが自宅で刺殺された状態で見つかったとき、袴田さんは警察の第1容疑者となった。
厳しい取り調べが何日も続いた後、袴田さんは当初容疑を認めたものの、その後一転して無罪を主張。警察の殴打や脅しで自白を強いられたと訴えた。
袴田さんは警察による証拠捏造(ねつぞう)だと繰り返し主張したが、判事2対1の判断で死刑を言い渡された。反対意見を表明した判事1人は死刑判決を阻止できなかったことに失意し、半年後に退官した。
以来、袴田さんは無実を訴え続け、人生の半分以上を死刑執行を待ちながら過ごすことになった。新たな証拠をもとに釈放されたのは10年前だ。
ズボンに見つかった血痕のDNA鑑定を行った結果、袴田さんのものとも、被害者のものとも一致しなかったことから、静岡地裁は2014年に再審を命令。袴田さんは高齢と脆弱(ぜいじゃく)な精神状態を理由に釈放され、自宅で再審を待っていた。
東京高裁は当初、理由を示さず再審開始を取り消したが、最高裁の命令を受けて23年に再び再審開始を認めた。
法務省のウェブサイトによると、日本では再審はまれで、刑事裁判の99%は有罪となる。
事件では袴田さんの上司とその妻、2人の子どもが自宅で殺害された後、家に火が付けられた/Hakamata Defense Lawyers
厳しい視線が注がれる司法制度
支持者は袴田さんの無罪判決に喜びの声を上げたが、この吉報が袴田さんの脳裏に届く可能性は低い。
数十年の拘置を経て、袴田さんの精神状態は悪化している。弟の無罪を長年訴えてきた姉のひで子さん(91)によると、現在は自分だけの世界にこもっているようだという。
ひで子さんはCNNの取材に、袴田さんが口を開くことはめったになく、他人への興味も示していないと語った。
ときどき幸せそうに笑うこともあるが、それは妄想の中にいる時だと、ひで子さん。袴田さんは現実を認識できないので、裁判について話し合ったことすらないと明かした。
だが袴田さんの事件は常に、ひとりの男性以上の意味を持ってきた。
事件を受け、自白に頼って有罪を確保する日本のやり方が疑問視される結果に。一部では、日本が死刑を廃止すべき理由の一つとしてこれを挙げる声も出ている。
ひで子さんは死刑に反対だと語り、有罪判決を受けた人も人間だと訴えた。
主要7カ国(G7)で死刑を維持している国は、米国以外では日本のみ。ただ、死刑情報センターによると、2023年には1件も執行しなかった。
袴田さんの事件に関わっていない元検察官の市川寛氏によれば、日本の検察官は歴史的に、裏付けとなる証拠を探すよりも前に自白を得ることを奨励されてきた。例えそれが、有罪を認めさせる目的で被告を脅したり、操ったりすることを意味するとしてもだ。
市川氏は、日本がこれほど高い有罪率を維持できているのは、自白を重視しているためだと指摘する。日本では無罪判決が出た場合、検察官のキャリアに大きな傷が付く可能性がある。
潔白を求める長い闘い
血痕の付いた衣服と自白に基づき有罪判決を受けた後、袴田さんは46年間拘置されていた。本人と弁護士は、自白を強制されたと訴えている。
担当弁護士の小川秀世氏はCNNの取材に、袴田さんは弁護士の立ち会いなしで1日12時間以上、23日間にわたって身体を拘束され、尋問を受けたと明らかにした。
小川氏によると、日本の司法制度、特に当時の制度は、捜査機関が密室性を利用して違法な犯罪捜査を行うことを許容する制度になっていたという。
国際人権団体アムネスティ・インターナショナルで死刑問題を担当するキアラ・サンジョルジョ氏は袴田さんの事件について、「日本の刑事司法(制度)が抱える多くの問題を象徴する」ものだと見方を示す。
袴田さんは母親宛ての手紙で家族に心配をかけたことを詫び、「神さま。僕は犯人ではありません」とつづった/Hideko Hakamata
サンジョルジョ氏によると、日本の死刑囚は通常、独房に勾留され、外界との接触を制限される。
死刑執行はほとんど、あるいは全く予告なく「秘密に包まれた状態」で行われ、家族や弁護士への通知は執行後になることが多い。
袴田さんは無実の罪で人生の大半を刑事施設で過ごすことになった。
ただ、精神状態は悪いものの、ここ10年、袴田さんは自由な生活に伴うささやかな喜びを味わっている。
今年2月には猫2匹を引き取った。袴田さんは猫たちを気遣って心配したり、面倒を見たりするようになり、大きな変化だったと、ひで子さんは語る。
NHKによると、国井裁判長は判決を言い渡した後、感情をあらわにしてひで子さんに謝罪した。
「ものすごく時間がかかっていて、裁判所として本当に申し訳なく思っている」
ひで子さんはハンカチで涙を拭っていた。
58年前、静岡県で一家4人が殺害された事件の再審=やり直しの裁判で袴田巌さんに無罪が言い渡されたことを受け、都内で集会が開かれ、袴田さんの姉のひで子さんは「巌が長く収容されたことを何か形にしてほしい」と話し、再審に関する法律の改正を訴えました。
58年前の1966年に今の静岡市清水区で一家4人が殺害された事件の再審で、静岡地方裁判所は26日、捜査機関によって証拠がねつ造されたと指摘し、袴田巌さん(88)に無罪を言い渡しました。
これを受けて日弁連=日本弁護士連合会は都内で集会を開き、参加した袴田さんの姉のひで子さんは「長い裁判でやっと決着がつきました。巌は妄想の世界にいて裁判に出席できませんでしたが裁判長からねぎらいの言葉ももらいました」と笑顔で話していました。
そして、「47年7か月、巌が収容されていたことを何かの形にしないと私も思い残すことになる。皆さんのお力で再審法を改正させて頂きたい」と語り、審理の長期化が課題として指摘されている再審制度について訴えました。
集会には「足利事件」でえん罪が明らかになった菅家利和さんも駆けつけ、「検察の控訴は絶対にあってはならない。えん罪で苦しみ続けている人を救うためにも、警察や検察が集めた証拠を弁護側に開示させる制度や検察の不服申し立てを禁止する制度を作ってほしい」と話していました。
- 2024年9月26日
- [日本支部声明]
- 国・地域:日本
- トピック:死刑廃止
本日9月26日、静岡地方裁判所は、逮捕から58年を経て、ついに袴田巌さんに再審無罪の判決を言い渡した。アムネスティ・インターナショナル日本は、この決定を歓迎するとともに、静岡地方検察庁に対し、控訴を行わないよう強く求める。
逮捕から58年、死刑判決が確定してから44年、2023年10月の再審開始から15回の審理を経て出されたこの判決は、これまで一貫して無実を訴えて闘い続けてきた袴田巖さん(88歳)及び彼を支えた姉のひで子さんや弁護団など国内外のすべての支援者たちの勝利を決定づけるものとなった。
しかし、逮捕と死刑判決によって袴田さんが失った膨大な時間を取り戻すことはできず、拘置所で長年自由を奪われたことによって引き起こされた拘禁症とは今後も闘い続けることになる。
これで袴田さんは、死刑確定後に再審無罪判決を受けた5人目ともなったが、日本の司法の下で起きたこの残酷な過ちを二度と繰り返してはならない。
アムネスティ・インターナショナル日本は、静岡地方検察庁に対し、袴田さんの人権を第一に考え控訴しないよう求める。また、日本政府に対し、半世紀の人生を奪った取り返しのつかない人権侵害を引き起こした死刑制度の廃止を直ちに求める。同時に、廃止に至るまでの間、死刑執行の停止、精神障害や知的障害が懸念される死刑確定者の判決の見直し及び日本の刑事司法制度の改革を求める。
2024年9月26日
アムネスティ・インターナショナル日本
背景情報
元プロボクサーの袴田巖さんは、1968年に死刑判決を受けて2014年3月に釈放されるまで、47年間にわたり拘禁されていた。これは、死刑囚として世界で最も長い投獄である。袴田さんは1966年、働いていたみそ製造会社の専務一家4人を殺害した容疑で逮捕され、死刑判決を言い渡された。この事件では取り調べ過程における不公正な手続きや証拠の信憑性が問題となってきた。袴田さんは弁護士の立ち会いがないまま、20日間にわたる警察の過酷な取り調べを受け「自白」したが、公判では、暴行や脅迫を受けて強いられたものだったと、自白を撤回した。
2008年、2回目の再審請求後、裁判所の求めに応じ検察側は600以上の証拠を開示したが、その中にも、当初の証拠の信憑性に疑念を投げかけるものがあった。静岡地裁は2014年3月、証拠ねつ造の疑いを指摘し、無罪の可能性を示唆し、これ以上の拘置は「耐え難いほど正義に反する」として再審開始と釈放を決定した。しかし、これを不服とした静岡地方検察庁が即時抗告をした後の抗告審理で、2018年6月、東京高裁は地裁の再審開始決定を取り消した。この判決に対する弁護側の特別抗告を受けて抗告審理を担当した最高裁判所は、審理が尽くされていないとして2020年12月に高裁に審理を差し戻した。2023年3月13日、東京高裁は、2014年の静岡地裁の再審開始決定を支持し、検察官の即時抗告を棄却した。その後の検察官による特別抗告はなく再審開始が決定。
ついに2023年10月27日静岡地裁にて再審開始。計15回の審理を経て、検察は死刑を求刑、弁護団は無罪を主張して2024年5月22日に結審。この判決が本日の裁判で言い渡された。
アムネスティ・インターナショナルは、犯罪の種類や状況、犯罪の有無、個人の特質、死刑執行方法などを問わず、例外なく死刑に反対する。
最新の死刑統計(2024年5月29日更新)
アムネスティの調べで、死刑を執行した国の数はこれまでで最も少なかったが、執行の件数はこの10年近くで最も多いことが明らかになった。執行国数の減少は、死刑存置国の孤立がますます進んでいることを示している。
上下ともクリックしてくださると大変うれしいです。
お力落としのことと思います。本来ブログどころではないのに、記事をあげていただきましてありがとうございました。
私もこの件記事にしなければならないと思います。
お母さまが亡くなられたのですか。
お悔やみ申し上げます。
(型通りの文言しかできなくてすみません、本当にどう申してよいのか言葉が見つからないのです…申し訳ありません)
まず、巌さん、そして、ひで子さん、本当に想像を絶する長い長い間にわたる、訴え・闘い、どう言っていいのか…
首を垂れるしかないです。
そして、弁護団の方々には、「感謝」という言葉では言い表せないほどの感謝、としか言いようがないです…
兎に角、検察がどう出るか、ですよね
「無罪判決」は絶対に即刻確定させなければなりません!!
そして、立法が早急に、再審制度に関して法整備するとともに、検察こそ「大逆事件」以来の権力濫用・暴走を総括・反省すべきですし、冤罪事件を生まないための警察・検察を監視する法制度(取り調べの全面可視化は絶対!)が必要ですね。
そして、無罪判決が出たら検察は控訴できないように、はっきりと法律に明記すべきです。
(「名張毒ぶどう酒事件」は一審では無罪でしたね)
「裁判員制度」が始まるころに、ETV特集で免田さんが、同じ死刑囚棟の他の死刑囚に、冤罪で収容されている人(複数)もいるみたいだ、と仰ってたことを今でもよく覚えています
2010年2月14日放送・ETV特集「裁判員へ~元死刑囚・免田栄の旅~」だったと思います。
(保存版にしようと思っていたのに操作を間違えて削除してしまった!…いまだに悔やんでいます、というほどの力作です。配信では視られないようですが?)
冤罪をなくすための活動に尽力されていた「布川事件」の桜井昌司さんも昨年、亡くなられました。
残念な限りです
意志を継いでいかなければいけませんね
私は先生に頑固だとよく言われますが、自分が納得できないことについて闘うという性格については父方ではなく、母ゆずりだと思っております。
私が小学2年生の時の返されたテストの答案用紙で、合っている答えに×が付けられ、先生に抗議せず、家に持ち帰ったことについて、納得行かなかったら納得行くまで喰らいつきなさいと母に叱られたことがこの性格の始まりです。あの時母が私を叱らなかったら、権力者など強い者に納得できないことをされても従うような人間になっていたかもしれません。
もし先生が冤罪で捕まったら、先生のために全力で闘ってくれたと思えるようなお優しいお母様でいらしたとのことですが、お写真からも垣間見られます。そして先生が立派な方になられたことを誇りに思いつつも、どこかで母親として先生のことを心配されていたのではないかと思います。
地球上の不正や悪と言論で闘い、弱者の味方をしてくださる宮武先生を生んで育てて心の支えになってくださったお母様に、この場をお借りして感謝申し上げたいです。
また、こういう時はご親族の方々がお忙しいものなので、どうぞ宮武先生ご自身こそご体調にお気をつけ下さいませ。更新もありがとうございます。どうぞご無理なさいませんよう。
合掌。
今日のお通夜の前に、母を湯灌と言って、納棺する前に綺麗に湯船で洗っていただいたんですが、戦争はもちろん、阪神淡路や東日本や、熊本や能登ではこういう人間らしい生死じゃなかったり、福島原発事故で避難された方々などの関連死とか、コロナ禍での死とか。
なかなか安らかに人間らしく死ぬというのも当たり前じゃない世界であり、日本ですよね。
うちの父も母も私が喪主をできて、息子が先に死ぬのではなく見送ってやれて最低限の親孝行はできてよかった、二人とも安らかな死でよかったと思いつつ、世の中は不条理な死が多すぎると感じるお通夜の夜です
天災や寿命は仕方ないんですけど、戦争にしても冤罪にしても、できるだけ人災は無くしていきたいもんだとつくづく思います
皆様もご自愛くださいませ
お母様のご逝去、つつしんでお悔やみ申し上げます。
自慢の息子さんが持てて、お喜びだったと存じます。