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弁護士・元ロースクール教授宮武嶺の社会派リベラルブログです。

東日本大震災から2年(2) 真の復興とは心の復興 心のケア相談窓口まとめ付き

2013年03月11日 | 東日本大震災の真の復興

 

今日で、東日本震災から2年です。

被災者の方々はもちろん、それ以外の私たちにも本当にいろいろなことがありました。皆さま、どんな思いで今日をお迎えでしょうか。

震災から半年たった2011年9月11日に、私はこういうことを書きました。

東日本大震災から半年が経過しました。

この機会に真の復興とは何なのかを考えてみました。

それは、被災者お一人お一人が、それぞれの幸せを追い求めることが出来るようにすることではないか、と考えます。

(中略)

岩手県は復興に向けた基本方針に二つの原則を掲げています。

一つは、被災者の人間らしい暮らし、学び、仕事を確保し、一人一人の幸福追求権を保障すること。もう一つは、犠牲者の故郷への思いを継承すること。

まさに人間性の復興を志向しているのです。

この「人間復興」は、憲法第13条「個人の尊厳と幸福追求権の保障」に通じるものです。

しかし、阪神大震災では、結局、道路や建物のハコもの復興が優先されてしまったのではないでしょうか。

今、神戸で仕事をしている私から見ると、神戸空港の建設や超高層化の土地区画整理と市街地再開発は、決して被災者の生活再建につながったとはいえないと感じます。

大事なのは、心の復興です。

東日本大震災から半年 本当の復興とは被災者の幸福追求権を保障すること

 

 

外的な、条件的なことも大事です。

金銭的な補償や賠償。仕事の創出。ふるさとの再生。あるいは放射線の恐怖から免れ、安心して疎開できる仕組みの構築。

それらで癒される心の痛みは驚くほどあり、心そのもののケアだけではなく、政治本来のできることはたくさんあると思います。

福島県双葉郡に中間貯蔵施設を押しつける野田首相と私たちは、福島県民を同じ日本国民だと思っていますか?

もはや被災者棄民 仮設住宅の暖房設置 宮城県たったの8・5%!福島県も3割未満・・・

ただ、そういう経済的・物理的な復興の中でも、なにが目的かを見失わないことが大事で、それが被災者の方々それぞれの心の復興=「被災者の人間らしい暮らし、学び、仕事を確保し、一人一人の幸福追求権を保障すること」だと思います。

それは、地震・津波・原発事故の直接の被災者ではない我々にも必要なものでしょう。

汚れちまった悲しみに

福島からの避難者に「福島のこどもは公園で遊ぶな、保育園は入園拒否」 全国のいじめ・虐待過去最高 

本当に「心の復興」が必要なのは被災者ではないのかもしれないです

 

 

しかし、「心の復興」と言うは易く、行うは難し。わたしは心の専門家ではないので、専門家のお知恵を借りたいと思います。

阪神大震災の被災者と向き合ってきた兵庫県こころのケアセンターが「サイコロジカル・リカバリー・スキル」(心理的支援法)をネット上で公開しており、次のような内容が紹介されています。

  1. 問題と目標を明確にし、様々な解決方法のアイデアを出し、もっとも役に立ちそうな解決策を試してみる。
  2. ポジティブで気分が晴れるような活動を考え、それをやってみることで、気分と日常生活機能を改善する。
  3. 心や身体の反応が出てしまうようなきっかけを知り、対処する。
  4. 自分自身の心が苦しくなってしまうような考え方は何なのかを知り、それをより苦痛の少ない考え方におきかえる。
  5. 周囲の人との良い関係を作る。

「解決策」といっても難しいことや特別なことでなくてもいいと思います。大事なのは「より苦痛の少ない考え方におきかえる」ことだと思うのです。

大川小学校を象徴とする津波のことなどを想うと、とても一人の人間に背負いきれるものではないです。「周囲の人との良い関係を作る」、とは、ちょっとずつ他人に頼る、ということだと思います。

私の場合、他人の相談に乗る仕事だからか、自分の弱みを見せたり他人に相談することがかなり苦手なのですが、勇気を出して自分のことを相談するとそれだけで楽になることが多いです。弱さを認めて受け入れることこそ強さだとよく言いますよね。

ほんの少しだけ、一歩と言いませんから、ベイビーステップでいいから、半歩だけ踏み出したらどうでしょうか。嫌なことがあったらまた引き返せばいいですし。


兵庫教育大学の岩井圭司先生は、月刊『教育と医学』2013年3月号で、サイコロジカル・リカバリー・スキルに関連して、普通とは少し違ったポジティブ思考をすすめておられます。

  1. 時には逃げて良いと考える。
  2. 計画通りに事は運ばないと考える。
  3. 私の具合はあまりよくない、あなたの具合も良くない、それで万事よし。
他人には想像できないような哀しい出来事があったのですから、うつになるのは当然です。うつを受け入れると言いますか、仲良くすると言いますか。「私の具合はあまりよくない、あなたの具合も良くない、それで万事よし」、というあり方の提案はさすが現場で頑張ってこられた専門家ならではだと思います。自分のことも他人のことも許してあげましょう。

「計画通りに事は運ばない」

思う通りに行かないのが人生です。まして、大災害や大事故があったのですから、しかたないです。
 
2年も経てばもっと楽になるはずなのに、とご本人も思っておられたかもしれませんし、周りにもそう期待されるかもしれませんが、思うようになかなかうまくいかないのはよくあることです。それはそれで受け入れて、周りに助けてもらったらいいと思います。

お互い、生身の人間です。相身互いです。周りの人間も分かち合いたいときっと思っています。助け合って、助けられて、何とか生きていきましょうよ。

東日本大震災から2年(1) 忘れないだけじゃダメなんだ


震災心のケア相談窓口まとめ

 

 

我がこととして書いたつもりです。

亡くなられた方々に深く哀悼の意を捧げ、

被災者の方々が早く平穏な日々を送られますよう、心よりお祈り申し上げます。


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岩手医大に子供ケア拠点 医師常駐、5月オープン

2013.2.16 02:01

 東日本大震災後、被災地の子供の心のケアを行うため、宮古、釜石、大船渡の3市に「子どものこころのケアセンター」を設置して対応してきた県は、対応を強化するため、岩手医大(矢巾町)に全県的な拠点施設「いわてこどもケアセンター」を整備し、5月オープンさせる。

 整備費1億3700万円は、クウェート政府からの救援金を原資に、日本赤十字社が岩手医大を支援する。同大マルチメディア教育研究棟1階の588平方メートルに、診察室や心理療法室を設ける。県が同大に運営を委託し、運営費は県予算で手当てする。

 沿岸の3センターは週1日程度の受付だったが、拠点センターには常駐の医師2人を配置し、内陸部に避難している子供たちのケアも行う。

 沿岸3センターへの医師派遣も強化するほか、児童精神科医の確保や育成、小児科医の研修などにも役立てる。

 沿岸の3センターは東日本大震災直後の平成23年6月から8月にかけて整備され、23年度は9月~24年3月までで延べ287人、24年度は4~12月までで同308人に対してケアを行った。

 主な相談内容は、震災や環境の変化の影響から不安や不眠を訴える子供たちや、心因的なものが頭痛や吐き気など体の症状になって表れることに関することが大半という。

 子供の心のケアは中長期的な取り組みが必要だが、拠点センターができ、とくに人材が強化されることで、こうした症状の改善につながるものと期待されている。

 

毎日新聞 2013年03月10日 東京朝刊

 ◇生活再建、広がる格差 時間たち、孤立深まり

 多くの人が大切な家族や家や仕事を失った東日本大震災から、あす11日で2年。今も癒えることのない苦しみを抱える人も多く、心のリスクは震災から2年目以降に高まるという指摘もある。今、そしてこれから、どんな支援が求められているのか。【山寺香】

 「元気を取り戻す人がいる一方、誰とも交流せず閉じこもる高齢者も多く、二極化が進んでいる。どうアプローチしたらいいのか」

 宮城県石巻市で1日開かれた、支援者向けのシンポジウム「被災者支援の今とこれからを語ろう」。参加した保健師やボランティアは共通の悩みを語った。

 被災地では、お茶会や手芸教室など、高齢者らの孤立を防ぐさまざまな取り組みがあるが、心配なのはこうした場に出てくることすらない人たちだという。

 若く、経済力や人脈を持つ人が生活を再建する一方、高齢者や障害を持つ人、職のない人が孤立を深めている。日を追って差が広がるこの現象は「鋏状(きょうじょう)格差」と呼ばれ、阪神大震災で指摘された。

 女川町の保健師、佐藤由理さんは「あの日から時も風景も止まったまま。今も本当の気持ちを言えずにいる人が多くいる」と語る。

 04年の新潟県中越地震では、新潟県の自殺者数は05年に減少したが、06年に増加に転じ震災前の水準に戻った。同県のこころのケアセンターの分析では、特徴的なのは被災地の女性の自殺死亡率(人口10万人当たりの自殺者数)。震災の5年後も被災地以外の地域に比べて高い水準のままという。

 同センターの本間寛子事務長は「地域住民の数が減り、残った主婦層に地域の役割が重くのしかかるなど、さまざまなしわ寄せが及んでいるのではないか」と推測する。

 「被災者自身が震災を語れるようになるには5~6年かかる。支援者側が一人一人の暮らしの場に出向き、思いに耳を傾け続けることが大切です」

    ◇

 愛する人を失った遺族が思いを共有する「わかち合いの会」も、保健所などによって被災地各地で開かれている。

 福島県の南相馬市などで運営にかかわる全国自死遺族総合支援センター(東京)の杉本脩子(なおこ)代表は「直後は感情を表現できた人も、時間と共にそれぞれ状況の違いがはっきりし、『理解してもらえない』と、苦しみを一人で抱え込む人が増えている」と案じる。

 「家族全員を失い、生き続ける意味って何だろう」。複数の参加者が絞り出すように語る声に、ともに涙することも少なくない。

「愛する人を失った悲しみは消えないけれど、思いを共有することで痛みを軽く感じることはある。毎回参加しなくても、行きたくなったら行ける場所がある、と思えることが大切。復興から遺族が取り残されてしまわないよう、その人のペースで安心して悲しめる環境が必要です」と、杉本さんは語る。

==============

 《相談先》

●あらゆる悩みに24時間対応する無料電話相談 よりそいホットライン(電話0120・279・338)

●被災3県のわかち合いの会に関する問い合わせ NPO法人・ライフリンク(電話03・3261・4934)

 

毎日新聞 2013年03月03日 地方版

遺児は何に困っているかを話し合う全国の遺児支援団体メンバー=仙台市青葉区の子どもグリーフサポートステーションで2日午後
遺児は何に困っているかを話し合う全国の遺児支援団体メンバー=仙台市青葉区の子どもグリーフサポートステーションで2日午後

 「喪失体験をした子どものグリーフサポートを考える全国集会」が2日、仙台市内で開かれた。全国27の遺児支援団体から31人が参加。東日本大震災の遺族から体験談を聞いて支援の課題などを検討し、今後の各団体間のネットワーク作りについても話し合った。

 主催したのは、病死や自死、東日本大震災で親を亡くした子どもの支援活動に取り組むNPO法人「子どもグリーフサポートステーション」(仙台市青葉区)。10年12月から病死や自死の遺児を対象に活動していた仙台グリーフケア研究会の子どもを支援する部門が独立し、2月5日に設立された。現在では、親などを失った体験を分かち合う活動への参加者の半分は震災遺児だという。

 集会では、福島県相馬市で被災し夫を亡くした女性が体験を語った。「夫の死をまだ受け入れられない。今は震災2年が近づき心がざわつく。子どもも寂しいのか、数日前から寝室でなくリビングで寝ている」。2人の子どもは、分かち合いの会で他の子の体験を聞きながら成長しているように感じるという。

 また同NPOは集会で、参加した団体らにネットワークの設立を提案した。支援ノウハウの共有や地域を超えた支援の提供などが目的。家族などが自死した大人への支援については全国ネットワークがあるが、子どもについてのネットワークはまだないという。

 同NPOを主宰する西田正弘さん(52)は「被災後、他県に移住した遺児もいる。孤立させないためにも全国的なつながりは必要」と話した。【山越峰一郎】

 

被災者の7割 心や体の不調訴え

3月9日 7時8分
被災者の7割 心や体の不調訴え

NHKが、岩手・宮城・福島の3県の1000人余りの被災者にアンケートを行ったところ、この1年で、7割が震災や事故の影響で心や体に何らかの不調を訴え、高齢者だけでなく特に40代や50代の働き盛りの世代でも体調が悪化していることが分かりました。

NHKでは東日本大震災と東京電力福島第1原発の事故が起きてから2年になるのを前に、去年12月から先月にかけ、被害が大きかった岩手・宮城・福島の3県の被災者や事故の被害者に、アンケートを行い、1006人から回答を得ました。
この中で、震災や原発事故による影響で1年前からこれまでに心や体にどのような不調が出ているか複数回答で尋ねたとところ、▽「気分が沈みがち」と答えた人が最も多く37%で、次いで▽「よく眠れない」が32%と、▽「意欲がわかない」は28%、▽「薬が必要になった」が25%、▽「血圧が上がった」が23%で、何らかの不調を訴え、体調が悪化した人は、全体の70%に上りました。年代別に見てみますと、▽65歳以上の高齢者で不調を訴えた人は、75%と、震災発生から1年までの時期に比べると「歩きにくくなった」人が2倍になるなど、ほとんどの質問項目で増えていました。一方、▽40代から50代の働き盛りの世代でも、72%が何らかの不調を訴え、体調が悪化していて、「気分が沈みがち」が41%、「飲酒・喫煙の量が増えた」が24%と多くなっていて、いずれも1年前に比べて増えていました。また、30代以下では何らかの不調を訴えた人は52%で、ほとんどの項目で1年前より減っていました。
被災した人たちの健康状態の調査に当たっている東北大学の辻一郎教授は「復興の道筋が見えないことが、中高年の心身の不調につながっていて、アルコール依存やうつに悪化していくのを防がなくてはならない。
医療的なケアだけでは解決しないので経済対策や雇用対策などを進めることが最大の薬になる」と指摘しています。

 

 

仮設に暮らして-大震災から2年(5)子どもたち/心癒やす居場所必要

アスイクの学習会で大学生の指導を受け、勉強する女子中学生たち

 日が落ちかけた午後4時すぎ、気仙沼市西部の高台にある五右衛門ケ原運動場仮設住宅に、スクールバスが到着した。市中心部から15分。バスを降りた子どもたち十数人は、真っすぐ自分の仮設住宅に向かう。
 気仙沼小4年の小野才門君(10)もその一人。部屋では、もっぱらゲーム機で遊んだり宿題をしたりして過ごす。
 震災前の自宅は学校から歩いて15分ほどの距離だった。「家に帰ると、学校の友達と近くの公園でサッカーをしたり縄跳びをしたりして毎日遊んでいたよ」と小野君。友達とは離れ離れの仮設住宅に暮らす。気軽に行き来ができなくなった。
 近くに公園もない。仮設住宅の駐車場は車の行き来も多く危険だ。「遊びたくても場所がない」。寒さが厳しい冬になって外を駆け回ることはほとんどなくなった。
 バスでの通学や遊び場不足で子どもたちが体を動かす機会は大幅に減ったまま。「言葉にならない思いをため込んではいないか。後で影響が出なければいいが…」。母親たちの不安は消えない。

 被災地では、子どもたちに落ち着いて勉強できる時間を提供しようと、集会所での出前授業といった学習支援活動が続いている。学びの場は、子どもたちにとって貴重な居場所ともなる。
 「錯角ってどこの角度が同じなんだっけ?」
 「Zの形になっているところが等しいんだよ」
 「Zっていえば…ももクロだよね」
 仙台市で学習支援に取り組むNPO法人アスイク(仙台市)が2月28日、若林区伊在の仮設住宅で開いた学習会。問題集を解く中学生から明るい笑い声が上がった。
 講師はボランティアの大学生ら。七郷中2年の佐藤理子さん(14)は1年半前から学習会に参加している。「年齢が近く話し掛けやすい。1人で勉強するより楽しいし、はかどる」と話す。
 学校や家庭の環境が変わり、見えないストレスを抱える子どもたちは少なくない。講師を務める東北大大学院2年の井原拓真さん(24)は、授業が中断しても雑談の時間も大切にしている。
 「話すことで発散したり、気持ちが整理できたりする。時には話を聞いてあげる姿勢も必要なんです」

 震災から2年となり、一見落ち着きを取り戻している子どもたち。悩みは変化を続けている。
 子どもの電話相談に応じているNPO法人チャイルドラインみやぎ(仙台市)によると、震災後、減少を続けていた人間関係やいじめの相談が、昨年夏以降、再び増加に転じた。全国平均に比べて、「怒り」や「いら立ち」を訴える相談が多いのも特徴だ。
 阪神大震災では、心のケアが必要な子どもの数は3年後にピークに達したとのデータもある。
 同法人代表の小林純子さん(62)は「我慢や気疲れの多い暮らしが長く続いている影響も考えられる。居場所をつくり、悩みを打ち明けたり、変化を周囲が敏感に感じ取れたりする仕組みが必要だ」と指摘している。

2013年03月07日木曜日

 

 

被災地支援団体の維持が課題に

3月10日 18時57分
被災地支援団体の維持が課題に
 

東日本大震災の被災地でNPOや団体が行っている事業を幅広く支援するための国の制度が今年度で終了することから、岩手、宮城、福島の3県で160ほどの事業の継続に影響が出るとみられることが分かりました。
こうした資金面の問題だけでなく、ボランティアの減少で人手不足に陥る団体もあり、被災地で大きな役割を果たしてきた団体の活動の維持が新たな課題になっています。

被災者の生活再建などに当たるNPOなどの団体は、内閣府が平成23年度と24年度に実施した原則1000万円まで事業費を補助する制度を利用してきました。
岩手、宮城、福島の3県によりますと、この制度によって184の震災関連の事業の資金が賄われてきたということです。
しかし、被災地の復興が進まないなかで、2年で終えられる事業は少なく、現在行われている福島県で83件、岩手県で44件、宮城県で35件の合わせて162の事業の多くが継続が必要とみられるものの、制度による補助は今月で終了するということです。
これによって、事業の終了や規模の縮小を余儀なくされるなどの影響が出るとみられ、内閣府は新たな制度を設けることを検討をしていますが、これまでと同じ規模の補助は難しいとみられています。
こうした資金面での問題のほか、被災地の外から訪れるボランティアの大幅な減少など人手不足も団体の運営に影響を与えていて、被災地での活動を停止したり縮小したりするケースも出ているということです。
被災地の復興や被災者の生活再建にNPOなどの団体が果たしてきた役割は大きく、活動の維持が新たな課題になっています。

支援団体減少の現状

全国社会福祉協議会のまとめによりますと、岩手、宮城、福島の3県を訪れるボランティアは、おととし5月のピーク時には17万人余りでしたが、先月の時点ではおよそ6500人にとどまったということです。
また、NPOなどの団体でつくる「東日本大震災支援全国ネットワーク」によりますと、震災後に被災地に拠点を置いて活動したり新たに設立されたりしたNPOなどの団体は、およそ3000団体あったということですが、現在は半分以下のおよそ1100団体にまで減っているということです。
がれきの撤去や支援物資の配布などを専門に行っていて、役割を終えた団体もあるということですが、資金難や人手不足から活動を停止したり、縮小したりしたケースもみられるということです。

人手不足で運営危機

ボランティアの減少や、長期的な支援ができる人が確保できないことが、NPOの活動に大きな影響を与えています。
公園や校庭に仮設住宅が建ち、遊び場が少なくなっている被災地で、子どもたちに遊び場を提供する活動を行っている石巻市のNPO「にじいろクレヨン」の場合、全国各地から訪れる大学生など2年間でおよそ5000人が活動に参加しました。
当初は、1回の活動に、平均で15人のボランティアが参加していましたが、現在は5、6人ほどに減り、1人か2人しかいない日もあるということです。
スタッフだけでは活発に遊ぶ子どもたちに目が行き届かなくなるおそれがあり、代表を務める柴田滋紀さんは活動が満足にできなくなるのではないかと心配しています。
さらに中心となって運営するスタッフの不足も深刻です。
当初は、県外から訪れた2人を事務のスタッフとして雇っていましたが、1年ほどで引き揚げてしまいました。
その後も何人かを雇いましたが、長期でとどまってくれる人を確保するのは難しく、今月中にまた1人が辞める予定です。
柴田さんは、10年は活動を継続するつもりですが、ボランティアやスタッフの数が維持できなければ、運営は厳しくなると感じています。
柴田さんは、「県外からの支援が望めないなか、できるだけ地元の人たちにスタッフやボランティアになってほしいが、なかなか継続できる人は少なく活動を続けていくのは難しいと感じる」と話しています。

資金不足で活動縮小

支援制度が終了することで、活動を縮小せざるを得ない団体も出ています。
名取市の市民団体「名取交流センター」は、市内の集会所などで、仮設住宅やアパートなどに移り住んでバラバラになった地域の住民が集まるお茶会を運営してきました。
避難生活の悩みを聞く場として機能してきただけでなく、コミュニティの維持や、地区から離れた高齢者や独り暮らしの人の状態を確認する役割も果たしてきました。
しかし、内閣府の補助制度が終了することから、来月から10か所で行ってきた活動を5か所ほどに縮小するほか、実施回数を半分に減らすことにしました。
お茶会に参加してきた62歳の伊藤十四子さんは、津波で同居していた息子を亡くし自宅も流されたことから、アパートで独り暮らしをしていますが、周囲に知り合いはおらず、お茶会が心の支えだといいます。
伊藤さんは、「隣に誰が住んでるかも分からない状態で、いつ死んだのかも分からないような孤独死が自分の身に起こるのが一番怖いです。お茶会はみんなの顔が見える私の心のよりどころです」と話しています。
今後の活動は、当面は団体のメンバーの中の有志が資金を持ち寄って行うということで、メンバーの飯澤寛美さんは、「震災から2年がたっても心のケアはさらに必要とされていると感じます。資金はなくめどが立たない状況ですが、やはり辞めることはできないので、なんとか少しずつ続けたいと思っています」と話していました。

 

 

目立つ復興格差、政策空回り 震災2年の現実 
投資呼び込む具体策が急務

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2013/3/11 2:00 日本経済新聞
東日本大震災から11日で2年。被災地の復興の速度や中身に格差が目立ってきた。原子力発電所の事故の爪痕が深い福島に対し、岩手、宮城などで生活や産業の再建がようやく軌道に乗る地域もある。震災前に戻すだけでなく日本再生の先例を東北に示せるか。不断の取り組みが欠かせない。
 
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 宮城県南部で太平洋に面する岩沼市。津波で被災した相野釜地区の代表、中川勝義さん(74)はほっとした表情を浮かべる。4月下旬に被災者向け住宅の展示が始まるからだ。「先が見えて元気が湧いてきた。早く終(つい)のすみかに移りたい」と期待する。

 岩手、宮城両県の復興住宅の整備戸数は今年度末までに、それぞれ118戸、58戸にとどまる。来年度は1179戸、2399戸に急増。地域の合意形成をもとに工事が加速してきた。2015年度までに全体計画の9割、7割の整備をそれぞれ終える見通しだ。

■「柔軟に対応を」

 借金を抱えた中小企業が被災後に新たな借金を負う「二重ローン問題」。国の対応は鈍いが、岩手県宮古市で実績が上がっている。金融機関から債権を買い取る東日本大震災事業者再生支援機構は昨年3月から121件の支援を決定。機構と市役所が密に連携した宮古市は17件で、全体の1割強を占める。「宮古モデルを広げたい」と意気込む機構は東北最大の仙台に次の照準を定める。

 震災後2年で住宅など一部に動きが出てきた。ただ目標は復旧だけではなく、経済の活性化や地域振興を伴った復興だ。現実は被災地を支えるはずの政策や行政の対応が厚い壁となっている。

 「復興のシンボルにしたい」。福島県川内村の遠藤雄幸村長(58)は2月末、ドイツ企業、エコセンターNRWの関係者と固い握手を交わした。内陸部の村有地に出力約6千キロワットの大規模な太陽光発電所(メガソーラー)を建設する協定を締結。4月にも着工する。

 構想は曲折をたどった。川内村は原発事故で一時、全村避難を迫られ、エコ社と最初に合意したのは昨年3月。農地転用の要件を緩める復興特別区域(特区)で事業開始を目指したが、内陸部は特例の対象外とされた。村は農地の扱いを外す手続きに追われた。井出寿一復興対策課長(59)は「国は被災地の実情を勘案し、もっと柔軟に対応してほしい」と語る。

岩手県の陸前高田市では山から土砂を運び出すダンプカーが行き交う。住宅などの高台移転を進めるための工事は順調のようだが、戸羽太市長(48)は「国の規制がなければ、もっと早く進んでいた」と振り返る。

■原則論に怒号

 市は11年10月に計画を公表したのに、着工したのは昨年11月。開発対象の森林は林野庁から45万円の補助金を受けており、伐採に待ったがかかった。「そんなお金、返すってば」。国との押し問答の末、返還免除の手続きを終えたのは昨年7月だった。

 
久之浜・大久地区追悼供養で、午後2時46分のサイレンに合わせ黙とうする参加者(10日、福島県いわき市)
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久之浜・大久地区追悼供養で、午後2時46分のサイレンに合わせ黙とうする参加者(10日、福島県いわき市)

 「住めるようになるなんて本気で思っているのか」。2月26日、避難中の福島県双葉町民を招いて政府が東京で開いた説明会。詰め寄る住民に政府の職員が「実験的な除染で効果をみる」などと原則論を繰り返すと「ちゃんと向き合え」「嘘つき」と怒号が飛んだ。

 福島に国はどう臨むのか。「土地の買い上げも視野に入れている」。11年暮れ、当時の細野豪志環境・原発事故担当相は福島の関係者に伝えた。だが県土の「一部国有化」が進む兆しはない。

 政府関係者は「土地収用法を活用すれば可能」とみる。今の対象は道路や橋など「公共的な事業」のみ。これを広げ、手続きを早める法改正に踏み込めば再生の契機になるという。政策研究大学院大学の飯尾潤教授は次の大災害もにらみ「私有地の買い取りなど、行政の強制的な措置も必要ではないか」と訴える。

 震災前の11年2月に0.5倍前後だった被災地の有効求人倍率は宮城、福島で1倍超の水準まで急上昇した。一方で各県の鉱工業生産指数は震災前よりも2割近く低い。この開きは建設など短期の需要が中心で、安定した雇用を生む産業が少ない点を映している。

 産業集積に詳しい東北学院大学の柳井雅也教授は「風力発電や炭素繊維など地域活性化のシナリオを打ち出す時期だ」と強調する。大震災の後に復旧した神戸港が韓国の釜山に競争力で離された例も挙げ「夢を与え、企業の投資意欲が湧く戦略」を促す。東北を起点に国の仕組みを変える具体策が求められている。

 

 

写真・図版

強風の中で遺体や遺留品を捜索する消防署員=10日午前、宮城県石巻市、小宮路勝撮影

写真・図版

東日本大震災の死者、行方不明者の数

 【川端俊一】10日朝、宮城県石巻市北上川の河口近くに地元の消防団員ら約300人が集まり、熊手を使って手作業で土をかき分け始めた。

 児童と教職員計84人が死亡・行方不明となった大川小学校の下流域にあたる。大川地区ではこの2年、毎日のように不明者の捜索が続いている。

 「いるべき家族がいない。2年になるけれど、あの子の存在感が家族の中で大きくなっているんです」

 捜索に参加した消防団員の紫桃(しとう)隆洋さん(48)は、5年生だった次女千聖(ちさと)さんを亡くした。震災後、消防団員として捜索に加わり、がれきの中で何人もの遺体を見つけたことを思い出した。三回忌を区切りと思う気にはなれない。

 石巻市の死者は3千人以上。大川地区では約2500人の住民のうち380人が亡くなり、38人はいまも行方が分からない。その中には4人の大川小児童もいる。大川地区で遺体が見つかったのは昨年6月が最後。紫桃さんは、一人で手がかりを探し歩く父親の姿を見たことがある。

 大川小で行方不明となった子の帰りを待つ男性は言う。「ここの捜索が終われば『区切り』になってしまうのだろうか。時間がたてばたつほど、つらくなる」

 一帯を埋めていたがれきは撤去された。だが、家族を失い、時が止まったままの被災者はまだたくさんいる。

     ◇

 東日本大震災から11日で2年。死者は1万5881人、行方不明者はいまも2668人に上る。被災地では生活の再建が進まず、仮設住宅などで約31万人が避難生活を続けている。

朝日新聞デジタル 2013年03月11日01時57分



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