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2012年3月2日に、全国の法務局が発表した人権侵害事例の中に、福島から避難してきたことを理由に人権を侵害されていた事例が多数ありました。
たとえば、山梨県の甲府法務局が発表したのですが、申し立てた福島からの避難者は、自分の子供が住宅近くの公園で遊ぶのを自粛するように、近隣住民から言われたそうです。
更に、近隣の保育園に子供の入園を希望したところ、原発に対する不安の声が他の保護者から出た場合に保育園として対応できないことなどを理由に、入園を拒否されたというのです。
万一、保護者にそういうことを言う人がいても、それを説得するのが教育機関の義務です。これでは、完全に教育の放棄です。恐ろしいほどの事なかれ主義が強烈な差別になっています。
公園で遊ぶなとか、保育園に入るな、とか、まるで福島からの避難者が放射能を帯びていて、それが他人にうつるかのような、いわば伝染病患者のような扱いではないですか。
同日法務省は、全国の法務局が2011年1年間に扱った「人権侵犯事件」の状況を発表しました。総数は2万2168件(前年比2・2%増)で、「学校でのいじめ」が3306件(同21・8%増)で過去最多を更新したのです。
この、学校でのいじめに関する人権侵犯とは、児童らからの申告を受け、法務局が学校側の対応が適切だったかどうかを調べたものですが、下のグラフのように、2009年との比較では1・85倍に上ったそうです。「児童(18歳未満)に対する暴行・虐待」も865件(同12・2%増)で、3年連続で過去最高だったというのです。
この国は、原発事故や震災を抜きにしても、生きづらい世の中になっているようです。
(2012年3月2日付け東京新聞 「被災者に不当な差別も いじめ、虐待過去最多」より)
この中で、東日本大震災の被災者からの訴えも目立ち、転校先の学校でのいじめや避難先での嫌がらせなどの相談が491件で、人権侵害と認定されたケースは29件に上りました。その多くが福島からの避難者が差別された事例で、
・近隣住民から子どもを公園で遊ばせないよう言われた
・転校先の学校で「放射能がうつる」といじめを受けた
・保健所に自動車の放射線量を強引に測定された
・福島ナンバーを理由に駐車を拒否された
などなどというのです。
震災で被害を受け、原発事故で被害を受け、さらに避難先で人権侵害の被害を受ける。
原発を推進してきた人々と福島原発事故が根本の原因とはいえ、この差別の状況はあまりにもひどすぎませんか。これは、もはや、脱原発とは全く無関係な差別です。
なにが絆か。なにががんばろう日本か。
甲府法務局の事例では、避難者が相手への接触・調査を希望せず、地域への啓発を強く希望したことから、風評に基づく偏見や差別をしないよう呼びかけるポスターを掲示したということです。また、自治体広報紙への広告掲載や自治会でリーフレットの回覧を依頼するなどの啓発も実施しました。
しかし、それでなんとかなるのでしょうか。保育園やご近所の方が分かってくださると良いのですが。。。
この避難者の方が、法務局に保育園と接触するのを希望しなかったのは、さらなる差別を受けないようにという配慮からでしょう。
けれども、子ども達を預かる保育園が福島の子を拒否したり、国民の健康と安全をはかる保健所が人権侵害の調査をしたり、こんなことがまかり通ったままで良いとは思えません。
地震も、津波も、原発事故も、日本のどこで起きてもおかしくなかったのです。
我々の誰が福島の方々と同じ目に遭ってもおかしくなかったのです。
福島の方々を差別し、いじめる世の中では、我々の誰一人生きていけない事を、もう一度心するべきではないでしょうか。
福島の人々を優しく迎え入れる社会が、本当の意味での、原発ゼロ社会だと思います。
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脱原発派の人ほど福島差別と闘って欲しい。
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風評被害:福島から避難の子供、保育園入園拒否される 人権救済申し立て/山梨
福島県からの避難者が東京電力福島第1原発事故による風評被害を受けたとして、甲府地方法務局に救済を申し立てていたことが分かった。福島から避難してきたことを理由に、人権を侵害されていた。同法務局が2日発表した。
同法務局によると、申し立てた避難者は、自分の子供が住宅近くの公園で遊ぶのを自粛するように、近隣住民から言われた。更に、保育園に子供の入園を希望したところ、原発に対する不安の声が他の保護者から出た場合に保育園として対応できないことなどを理由に、入園を拒否されたという。
同法務局は、避難者が相手への接触・調査を希望せず、地域への啓発を強く希望したことから、風評に基づく偏見や差別をしないよう呼びかけるポスターを掲示。また、自治体広報紙への広告掲載や自治会でリーフレットの回覧を依頼するなどの啓発も実施した。【水脇友輔】
2012年3月3日
安全基準がコロコロ変わったり、正しいことをちゃんと知らせてくれないなど、国や東京電力の責任は多分にあります。しかし、庶民であることをいいことに、それらの責任はいいけれど、とにかく「私は悪くない」といいたげなご意見もあるようです。
情報があるない、は、確かにありますが、困っている人をどう受け止めるかということは、知る知らない以前の、人としての姿勢であると思います。
確かに、原発は福島だけの問題ではありません。福島県だけに、放射性物質が飛んだのでもないです。
日本国中、いや、他の国にも飛んで行きました。
原発の近くにいたかどうかの差で、お互い差別するとは、力を合わせるべきときなのに非常に残念です。
かく言う私も、差別した人と同じような立場に置かれているのです。
福島という文字を見たらちょっと反応してしまったりと、これでは偉そうなことは言えませんね。
先日、私の友人で、大阪府の教員をやっている人が、福島県の特別支援学校へ、教職員組合で呼びかけて、物資を送ったそうで、それに対して福島の学校の人から手紙が届いたと教えてくれました。
「お墓に避難します」といった高齢女性の話。福島というだけで差別を受け続けて悔しい現状。放射能のカウンターが晴天は基準値を超えるか超えないかで推移するが、雨の日のあと、水たまりの近くで測定してみると、針が振り切れてしまうこと。(数ヶ月前の手紙だそうです。今は分かりません)学校の外では遊べなくて窮屈な思いをしている子どもたち。悔しい、負けそうだが、このまま子どもたちのためにがんばりたいとの言葉。
私も差別するかも?なんて甘いことを考えては駄目だと思いました。
むしろ放射能汚染瓦礫拡散に反対する人々は、汚染瓦礫は現地で処理をし、避難者は各地で受け入れるべきという意見が殆どではないでしょうか。
違うのかな?
本当にごめんなさいと言いたいです。
でも人間は捨てたものではありませんよ。
第二次大戦後とは日本に住む人々の人権感覚も成長していると信じたいです。
福島県民の差別は大人から子供に見事に伝染しましたね。
避難先の子供が避難してきた子供に補償金をよこせと言ってみたりしたそうですが…。
そもそもとして人間という生き物は差別が大好きな生き物なのかもしれません。
自国民が差別をしてるような状況で何が絆か、がんばろう日本か そんなスローガンに気持ちの悪い、薄ら寒さを感じずにはいられません。
そんなくだらない差別は福島県内でもあります、北部の住民が避難した際も南部の避難先の住民ともめ、子供はそれを苦に自殺をしました。
僕は、つくづく人間という生き物が嫌になりそうです…。
そして、元県民として本当にどうしようもない気持ちになります。
小学社会の教科書で、水俣公害にかかわって、「もやい直し」という言葉を取り上げ説明している出版社があります。水俣でも、被害を受けた住民同士が反目し合う事態に追い込まれ、実際の被害に加えて何重もの苦しみを受けることになったが、長い年月はかかったけれど、被害者だけでなく、周囲も含めて「対立からは何も生まれない」「と、それを乗り越えたことを、「もやい直し」という漁村ならではの言葉であらわしているということです。現在と比べて、はっきりと「加害者」を突きとめることも難しかった時代、想像を絶するほどの苦しみ、哀しみ、悔しさ、勇気、いろんな思いが込められているんだろうなと思いました。
インターネットで多くの人が事実を知ることができる今の時代に、今もそんな、無知からくる差別ややっかみ、いじめに苦しんでいる子どもたちがいることに、どれだけの日本人が心を致しているかと思うと、本当に寒々しい気持ちになります(きょうのラジオも、いつもいつもくだらない話題ばかり)。
せめて、福島県でも他の地方でも、この教科書を採用している小学校教員は児童たちに心を尽くして、「もやい直し」のような過去の壮絶な取り組みを今に生かせるような、本当の意味での教育をしてくれたらと思います。
亡くなられたお子さんもおられるとのこと、本当に悲しいです。ご冥福をお祈りするばかりです。
ホント人間ってどうしょーもないな。