goo blog サービス終了のお知らせ 

心のふるさと「伊勢の神宮」と神道のあれこれ@れーじん

日本人の心のふるさとといわれる伊勢の神宮。
伊勢国のれーじんが伊勢の神宮や神道、それに関連することをお伝えします。

豊受大神宮(外宮)22 ~日別朝夕大御饌祭<ひごとあさゆうおおみけさい>~

2015-12-01 23:50:00 | 神宮
豊受大神宮(外宮)の御正宮御垣内にある御饌殿<みけでん>では、毎日朝夕、神様に大御饌<おおみけ>をささげる祭祀が行われます。
日別朝夕大御饌祭<ひごとあさゆうおおみけさい>です。
  ※御饌<みけ>とは、神様にお供えする食事のことです。

日別朝夕大御饌祭は、豊受大神宮ご鎮座以来、約1500年にわたり一日も欠かさずに行われています。
昭和34年(西暦1959年)に東海地方に大きな被害をもたらした伊勢湾台風の暴風雨の中でも、中止することなく行われました。

日別朝夕大御饌祭は、夏期は朝午前8時と夕午後4時、冬期は朝午前9時と夕午後3時に行われます。
祭祀に先立ち、御正宮の西北にある忌火屋殿<いみびやでん>の前で、奉職する神職さんと大御饌が御塩<みしお>にて清められます。
忌火屋殿とは、神様にささげるための清らかな火「忌火<いみび>」をおこすための建物です。
外宮の忌火屋殿は、一般参拝者は立ち入ることのできないところにありますが、北御門口参道からほんの少し覗き見ることができます。


時間になると、衛士<えし>(=神宮の警備を担当する職員)に先導されて、神職さんたちが忌火屋殿に向かって参進します。


一番後ろの神職さんが手にしているものは、御饌殿の御扉の鍵です。
祭祀をとりおこなう神職さんと唐櫃に納められた大御饌が、忌火屋殿前でお清めされた後、御饌殿へ参進します。

豊受大神宮(外宮)21 ~御正宮6 御饌殿<みけでん>~

2015-11-21 23:45:00 | 神宮
豊受大神宮(外宮)の御垣内には、豊受大神宮(内宮)にはない建物があります。
それが御饌殿<みけでん>です。

こちら↓は、北御門口<きたみかどぐち>参道から臨んだ御饌殿です。


御垣内の西北にあります。
茅葺屋根で高床式の建物です。
一般の人は立ち入ることが出来ないので、残念ながら間近で写真は撮れません。

こちら↓が似たようなものだと思われます。


こちらは皇大神宮(内宮)域内にある所管社の御稲御倉<みしねのみくら>です。
稲の神様である御稲御倉神<みしねのみくらのかみ>をお祀りしています。
御稲御倉は皇大神宮の御正殿に一番近い造りであるともいわれています。

御饌殿では、毎日朝夕2回祭祀が行われています。
日別朝夕大御饌祭<ひごとあさゆうおおみけさい>です。
豊受大神宮のご祭神である豊受大御神は、御饌都神<みけつかみ>(=食事の神様)です。
そのため、ここで皇大神宮をはじめ、豊受大神宮、各相殿神<あいどののかみ>、各別宮<べつぐう>に、朝夕2回大御饌<おおみけ>がたてまつられます。

豊受大神宮(外宮)20 ~御正宮5 外玉垣南御門2~

2015-11-11 10:00:00 | 神宮
さて、外玉垣南御門<とのたまがきみなみごもん>は普段、昼の間は御帳がおろされています。
しかし、年に一度だけ御帳があげられる時があります。
それは、お正月です。



お正月の期間中、上の写真のように御帳があげられます。
さらに、外玉垣南御門の内側にある内玉垣南御門<うちたまがきみなみごもん>の御扉<みとびら>が開けられます。
開けられた内玉垣南御門には、白い御帳がおろされているので、それ以上内の様子はうかがうことができませんが。
一般参拝者がより神様を身近に感じられるように、というお正月だけの特別なはからいだそうです。

この特別なはからいは、皇大神宮<こうたいじんぐう>(内宮)でも行われます。
(皇大神宮は、豊受大神宮のように近くで写真を撮ることができないので、画像はありません。)


豊受大神宮(外宮)19 ~御正宮4 外玉垣南御門<とのたまがきみなみごもん>~

2015-11-01 23:20:00 | 神宮
板垣南御門の奥にある茅葺き<かやぶき>屋根の建物が、外玉垣南御門<とのたまがきみなみごもん>です。


名前のとおり、この建物は「門」であり御正殿<ごしょうでん>(=神様をお祀りしている建物)ではありません。
外玉垣南御門<とのたまがきみなみごもん>は、中央に観音開きの扉があります。
扉は夜明けから日暮れまでのあいだ開かれており、白い御帳<みとばり>がおろされています。
こちら↓が夜明け前、扉が閉じている状態の御門です。


この扉はヒノキの一枚板で造られています。

一般参拝者は、外玉垣南御門より奥、すなわち外玉垣の内側へ入ることはできません。
参拝はこの御門の手前で行います。

ちなみに、ここには賽銭箱はありません。
元来伊勢の神宮は、天皇がその祖先である天照大御神<あまてらすおおみかみ>をお祀りするための神社であり、天皇のみがお祈り・お供えを行うところです。
そのため、一般の人はお供えなどを行うことができませんでした(私幣禁止)。
では、現在私たち参拝者がお賽銭を入れているのは何なのか??
実は、御門は扉とその周辺および左右側面の壁により、上から見るとコの字になっています。
その手前に背の低い板を立て、出来上がった中の空間に白い布を敷き、そこにお賽銭を入れるようにしているのです。


さて、御門というからには、誰かはその門をくぐって中に入ります。
一体誰がどんな時に御門をくぐって中に入るのでしょうか。

1 皇族方がご参拝あそばす際、ここをくぐって中に入る

2 祭祀を行う際、神職がここをくぐって中に入る
こちら↓は、祈年祭<きねんさい>の参入の様子です。


外玉垣の内側には内玉垣<うちたまがき>、瑞垣<みずがき>の2つの御垣<みかき>があります。
 ※ご参考:御正宮・御垣内
皇族方も神職も、その立場や役割により立ち入ることのできる範囲が限られています。
皇族方では、天皇皇后両陛下、皇太子同妃両殿下、その他の皇族方、それぞれご参入あそばすエリアが違うのです。
そして、皇族方も神職も、内玉垣より奥に参入の際は、所定の日数を斎館で参籠<さんろう>するなどして潔斎し、心身ともに特別に清浄な状態でご参拝や祭祀を執り行います。

豊受大神宮(外宮)18 ~御正宮3 板垣南御門<いたがきみなみごもん>~ 

2015-10-21 23:40:00 | 神宮
さて、豊受大神宮(外宮)の御正宮<ごしょうぐう>でお詣りをしましょう。


手前の鳥居が板垣南御門<いたがきみなみごもん>です。
板垣南御門の内側は、写真撮影禁止です。
写真は前述の蕃塀の近辺で撮りましょう。

板垣南御門手前左手には衛士番舎<えしばんしゃ>という、衛士さん専用の小さな建物があります。
衛士とは、神宮の警備を担当する方々です。
板垣南御門近辺に必ず一人はいらっしゃいます。
わからないことがあれば、気軽に尋ねてみましょう。
親切に教えてくださいます。

板垣南御門手前で一揖<いちゆう>するのが丁寧な作法です。
一揖とは、小揖<しょうゆう>というお辞儀を一度行うことです。
しかし、周囲の混雑具合に応じて省略したり少し離れたところでお辞儀するなど、柔軟に対応しましょう。
お辞儀については過去の記事をご参考ください。
  ・お辞儀の種類
  ・お辞儀の仕方(立礼)

上の写真は、平成25年に行われた遷御の儀<せんぎょのぎ>直後のものです。
遷御の儀とは、20年に一度全ての社殿を建て替える行事である式年遷宮の中で最も重要なもので、神様に古い社殿から新しい社殿にお遷りいただく祭祀です。
では、20年経つと社殿はどのようになるのでしょう。
こちら↓が神様がお遷りになった後の古い御正宮(古殿)です。


20年という時間の積み重ねを感じますね。
社殿は、神様がお祀りされている間と神様がお遷りになった後の劣化の速度が全く違うそうです。
神様がお祀りされている間はゆっくりと劣化するそうですが、神様が新宮<にいみや>(=新しい社殿)にお遷りになり、そこにいらっしゃらなくなると、劣化が一気に加速するそうです。
古殿は取り壊され、材木は社殿建立用等として全国各地の神社に払い下げられます。
もちろん取り壊されるまでもしっかり管理されているのですが、「古殿」となった瞬間から、まるで人が住まなくなった家のごとくものすごい勢いで傷んでいくそうです。
そんなお話をうかがうと、やっぱり神様はいらっしゃるのだと思うのです。