心のふるさと「伊勢の神宮」と神道のあれこれ@れーじん

日本人の心のふるさとといわれる伊勢の神宮。
伊勢国のれーじんが伊勢の神宮や神道、それに関連することをお伝えします。

神社参拝時の作法⑧ ~その他の注意事項①~

2015-03-21 09:00:00 | 神道の作法
これまで、「神社参拝時の作法」と題して、神拝作法などを記事にしてきました。
今回は「その他の注意事項」として、作法や作法以外の注意事項に触れたいと思います。
神域内のものは、みだりに触らない
これは、私が声を大にして言いたいことです。
こちらの写真↓をご覧ください。

これは、伊勢の神宮、皇大神宮(内宮)の参道脇に生えている木です。
とても大きくて立派な木で、根元の直径は3m以上あると思います。
赤い〇で囲んだ部分は、明らかに黒く変色していますよね。
多くの参拝者がこの触りやすい部分を触っていくことが原因です。
7、8年前は、このように変色していなかったように思います。
昨今、いわゆるスピリチュアル(スピ系)の人たちが、メディアでこぞって「気に入った木を見つけたら、触ってパワーを頂きましょう」などと言っている影響なのでしょう。
非常にたくさんの参拝者が触っていきます。
寺院などで「この縁起物に触れてご利益を得てください」などと許可されているものを触るのは、もちろん構いません。
そして、上の写真の木を含めて、神社の境内にある多くのものは「触るな」と、明確に禁止されているものではありません。
しかし、「触っていい」と、明確に許可されているものでもないのです。
「触っていい」と明確に許可されていないものは、触らずにいるべきです。
木などの自然物は、それらの健やかな生育も考え、むやみに触らず、そばでそっと見るに留めましょう。

そして、ひどい人になると、このようなものまで触るのです。

こちらは、伊勢の神宮、豊受大神宮(外宮)の「三ツ石<みついし>」というものです。
これは、20年に一度の式年遷宮で、神職さんがお祓いをする場所である「川原祓所<かわらはらいしょ>」の場所をしめすもの、いわば目印です。

いわゆるスピ系の人たちが「パワーストーン」と言っているようですが、伊勢の神宮はそのようなことは一切言っていません。
石の周りにお賽銭とおぼしき小銭が投げ入れられていることもあります。
神職さんは正直なところ、非常に困惑されているそうです。
いうなれば都市伝説ですね。
それを信じるも信じないもあなた次第、というところでしょうか。

伊勢の神宮には、いわゆるパワーストーンと言われているものが、もう一つあります。
それは、皇大神宮(内宮)域内にある「四至神<みやのめぐりのかみ>」です。
こちらは、宮域の境界を守護する神様がお祀りされている、皇大神宮の所管社です。
写真がないのでわかりづらいのですが、四至神は「石神」といって石がお祀りされています。

これらをパワーストーンと信じ、そのパワーを信じる人たちは、こぞってこれらの石に手をかざしています。
まぁ、手をかざすという行為自体が、非常に失礼なものなので、時折、神宮の職員さんに注意されている参拝者を見かけますが・・・
しかし、それが行き過ぎて、この石を触る人がいるのです。
周りを縄で囲っているにもかかわらず、です。
そうです。四つん這いになって縄をくぐり手を伸ばし、中央の石を触るのです。
なんということなのでしょうか。

木や石に限らず、神域内にあるものは全て、何百年もの長きにわたり、私たちのご先祖である日本人が大切にしてきたものです。
ご先祖さま達が大切にしてきたからこそ、私たちが今、こうしてお詣りすることができるのです。
そのように大切に守られてきたもの、しかも触っていいと許可されていないものを触ってまで手に入れたい「パワー」とやらは、一体どんなものなのでしょう。
あなたが触れることで、何百年もの長きわたって大切に残されてきたものが壊れてしまってもいいのですか?
自分さえ良ければいいのですか?
あなたの子や孫、その子孫が、あなたと同じように神社参拝ができなくなってしまってもいいのですか?
「私ひとりくらい、触ってもいいじゃない」と思うかもしれません。
でも、あなたがそう思うということは、他の誰かも同じように思うということです。
そして、その「他の誰か」は何千人、何万人といるのです。

また、あなたが見知らぬ誰かに、勝手に体を触られたら、あなたはどう思いますか?
このことに関しては、スピリチュアルなど、他の観点からも思うところがあるので、別途記事にしたいと思います。

神社参拝時の作法⑦ ~服装~

2015-03-11 09:00:00 | 神道の作法
尊敬する方にお会いする時、どんな服を着てお会いしますか?
有名ブランドの高価な服?
まぁ、お金をかければ、それなりの服装ができます。
でも、お金をかけてもTPO(時、場所、場合)をわきまえなければ、失礼な服装になってしまいます。
では、神様がお祀りされている神社にお詣りする際、どんな服装で出かけますか?
長い間、私たちのご先祖である日本人が大切にしてきた場所に行く時にふさわしい服装は、どんなものでしょうか。
やはり、それなりに礼をわきまえたものになるでしょうね。

神社参拝時のドレスコードってあるの?
礼をわきまえた服装というと、「ドレスコード」という言葉が連想されます。
正装とか準礼装、略礼装などというものです。
神社でも、正式参拝や昇殿参拝では、正装等を求められることが一般的です。
一般的な参拝でも、神様への崇敬の念をあらわすと、礼服やスーツという装いになるでしょう。
ご祈祷を受ける際は、礼服やスーツ、ジャケットを着用する方がいいと思います。
正式参拝や昇殿参拝、ご祈祷を希望する場合、服装が決められていることがあるので、事前に各神社に確認することをおすすめします。
でも、普段、近所の氏神さまに参拝するのに、わざわざスーツや礼服を着るのは結構な負担になりますよね。

日常的、でも失礼にならない服装
普段着だけど、失礼にならない服装ってどんなものでしょう。
私個人の意見としては、扇情的でない服装が「普段着だけど失礼にならない服装」だと思います。
服装に扇情的、つまりセクシーな要素がなければいいと思うのです。
では、服装におけるセクシーな要素とはどんなものでしょう。

人は、次の3つの部分が見えると、セクシーだと感じるそうです。
1 鎖骨(デコルテ周辺)
2 わき(肩・二の腕)
3 太もも(脚の付け根からひざの間)

上記3か所のうち、1か所だけでも露出させるとセクシーになるとのこと。
昼間は1か所の露出で十分セクシーに見えるそうです。
2か所露出させると、夜の装いです。
昼間、2か所も露出するのは、やりすぎ。
3か所とも露出させると、それは下着姿と同じです。
プライベートな空間で、パートナーをお誘いする時には適しているでしょうね。

ですから、神社参拝時の服装は、下記がふさわしいでしょう。
トップス:襟ぐりが大きくあいていないもの・そでのあるもの・お腹や背中が見えないもの
ボトムス:太ももが隠れるもの

ただし、男性の短パンは、カジュアル過ぎるので控えたほうがいいでしょう。
女性のスカートは、丈が短いと90度のお辞儀である「拝」をしたときに、下着や太ももが後ろから丸見えになってしまうので、注意が必要です。
そして、肌を見せていなくても、体にぴったりフィットして胸やお尻、太ももが強調されるような服もセクシーに見えるので考え物です。

欧米のキリスト教の教会への入場時の服装規定は厳格
実は、上記の服装は、欧米で教会に入る時の服装規定とほぼ同じです。
日本の神社では、一般参拝者はどんな服を着ていても追い出されることはありません。
しかし、欧米では服装によっては教会への入場を止められることがあります。
ヨーロッパで日本人女性の観光客が、ショートパンツにタイツという装いで教会に入ろうとしたら、入り口で係員に入場を断られていたのを見かけたことがあります。
日本では「空気を読む」という気質がありますから、欧米のキリスト教教会のようなルールはありません。
しかし、神社も教会も宗教施設です。
神様や、そこで祈りを捧げてきたたくさんの人々に対する崇敬の気持ちは同じはずですから、欧米の教会での服装規定は参考になるのではないでしょうか。

神社参拝時の作法⑥ ~拝礼~

2015-03-01 09:00:00 | 神道の作法
現在、一般的な神社での拝礼作法は「二拝、二拍手、一拝」とされています。
なかには出雲大社のように「二拝、四拍手、一拝」という神社もあります。
拙ブログでは、基本的な作法である「二拝、二拍手、一拝」を述べていきます。

拝礼は次の作法で行います。
1 二拝
  上体を90度前に倒すお辞儀、「拝」を2回します。
  「拝」については下記をご覧ください。
   ・お辞儀の種類
   ・お辞儀の仕方(立礼)

2 二拍手
  手を2回たたきます。
  神道では、拍手<はくしゅ>を、拍手<かしわで>、開手<ひらで>ともいいます。
  拍手<かしわで>は次のようにうちます。
 (1) 手を胸の前であわせる
   指先は、軽く自然にそろえます。
   

   ひじを曲げ、手を鎖骨とバストトップの間くらいの高さであわせます。    
   わきは自然にしめます。
   指先は、真上ではなく前方斜め上(45度くらい)をさします。
   

   ひじは張りません。(指先を真上に向けると、ひじが張ってしまいます。)
   

   ひじを伸ばし、手を前に出してあわせたりはしません。
   
 (2) 右手をずらす
   両手をあわせたまま、右手を少し手前に引き下げます。
   
   とある本には「右手の指先を左手の指先より一寸五分(約4.5cm)程度引き下げる」と記述されていました。
   しかし、手の大きさは人それぞれなので、関節1つ半ほど引き下げればいいと思います。
 (3) 手をたたく
   上記(2)の状態(右手をずらしたまま)で、手を肩幅に開き、胸の前で手をたたきます。
   「二拍手」なので、2回手をたたきます。
   力士の土俵入りのように、腕を左右に大きく広げてたたく人を見かけますが、神社ではそのように拍手をうちません。
   また、手をたたくとき、指先は開きません。
 (4) ずらした右手を元に戻す
   上記(2)でずらした右手を、もとに戻してあわせます。

3 一拝
  「拝」を1回します。 

以上が、拝礼の作法です。
さて、ここで疑問があるかもしれません。
「お祈り(お願いごと)はいつするの?」と。
一般的には、拍手をうって、ずらした右手をもとに戻し手をあわせた時にすると言われています。
しかし、たくさんお祈り(お願いごと)をしたい場合、拍手と最後の一拝の間が長くあいてしまいますよね。
また、拝殿前のど真ん中で長々とお祈りをして、その場をひとり占めするのも、いかがなものかと思います。
私は、拝礼の時のお祈りは、一言に凝縮させてすませます。
そして、拝礼の後、他の参拝者の迷惑にならないよう端に寄り、手をあわせてたくさんお祈りをします。
これなら、拝礼も作法にのっとって行うことができ、周りに迷惑をかけることなく思う存分お祈りすることもできます。
ちなみに、私の拝礼時の祈りの一言は「天皇弥栄<すめらぎいやさか>」です。
拝礼時の祈りの言葉で、これほど最適なものは他にないと思います。
「すめらぎいやさか」については、別の機会に記事にする予定です。

注意
正式参拝や昇殿参拝、祭祀参列時等の拝礼では、お祈り(お願いごと)の言葉を延々と念じたり唱えたりしません。
正式参拝や祭祀等の折、神職さんから「二拝二拍手一拝の作法でご拝礼ください」と、案内があります。
この時は心をこめて「拝礼」するのみで、手をあわせてお祈り(お願いごと)の言葉を長々と念じたり唱えたりはしません。
神職さんは拝礼前に「ここではお願いごとをしないでね」なんて教えてくだることはないので、注意が必要です。
(あまりにひどい場合は、見かねて注意されることもあるようですが、お祈りの最中で声をかけられるのはバツの悪いものです。)
正式参拝や昇殿参拝の前に、拝殿前でお詣りをして、その時に存分にお祈り(お願いごと)を済ませておくといいでしょう。

神社参拝時の作法⑤ ~お賽銭<さいせん>~

2015-02-11 09:00:00 | 神道の作法
神社の入口である鳥居をくぐり、手水を取ってお清めして参道を進むと、ご正殿<しょうでん>、ご本宮<ほんぐう>、ご本殿<ほんでん>とよばれる、神様がお祀りされている社殿(建物)があります。
規模の大きな神社では、ご正殿の周りに幾重もの垣がめぐらされていたり、ご本宮やご本殿の手前に拝殿<はいでん>という拝礼のための建物があったりして、一般の参拝者はご正殿等を間近に見ることができないこともあります。

拝殿などの前には賽銭箱があります。
そして、賽銭箱の手前上方に、鈴が吊られていることがあります。
拝礼の前に、お賽銭を賽銭箱に入れ、鈴があれば鈴をならします。

お賽銭と鈴はどっちが先?
お賽銭のお供えと、鈴をならすのはどちらが先か?と疑問に思ったことがあり、私なりに調べたのですが、どちらでも良いようです。
ちなみに私は、お賽銭が先です。
なぜなら、私は拝殿の前に到着した時には、すでにお賽銭を手にして(お金を手に握って)おり、その状態で鈴をならすのは難しいからです。
私は、賽銭箱の真ん前でモタモタとお賽銭を用意するのは、他の参拝者に迷惑がかかると思っています。
また、人込みでお財布を手にするのは、スリのターゲットになってしまう可能性があります。
(残念なことに、神域や神前でも盗人はいるのです。)
そのため、拝殿手前の比較的空いている地点で参道の端により、お財布からお金を取り出すようにしています。
または、お賽銭専用の小さい財布(小銭入れなど)を用意し、それをポケットに入れ、歩きながらでもお賽銭を手早く用意できるようにして、拝殿の前に到着するまでにお賽銭を手にすることが出来るようにしています。

お賽銭は投げる?
お賽銭は、賽銭箱に丁寧に入れたほうが好ましいと思います。
時折、振りかぶってお賽銭を投げ入れる参拝者を見かけます。
お供物を投げてお供えするのは、お祓いの意味があるとも言われていますから、ごもっともな動作なのかもしれません。
しかし、神様をうやまい、その心を表わすのであれば、おのずと丁重な動作になるのではないでしょうか。
大きな神社の初詣で、非常に混雑していて賽銭箱の前にになかなか到達できないなど、やむを得ない場合は自分なりに礼をつくしてお賽銭をお供えしてください。

お賽銭は袋(祝儀袋やポチ袋など)に入れたほうがいいの?
賽銭箱に入れる場合は、袋に入れなくてもかまいません。
高額のお金をお供えしたいときは、お詣りをする前に社務所にいらっしゃる神職さんに手渡しましょう。
これは、防犯の観点からも必要な対応だと思います。
その場合は、祝儀袋に入れます。
祝儀袋の表書きは「御初穂料」「御玉串料」です。

神社参拝時の作法④ ~お辞儀の仕方(立礼<りゅうれい>)~

2015-02-01 09:00:00 | 神道の作法
前回の記事では、お辞儀の種類をお伝えしました。
今回は、具体的なお辞儀の仕方についてです。
一般的な参拝は立ってお辞儀をするので、「立礼<りゅうれい>」を図解します。
伊勢の神宮の皇大神宮(内宮)や豊受大神宮(外宮)の神楽殿<かぐらでん>や御饌殿<みけでん>(=ご祈祷をしていただく御殿)ような畳の間の場合、正座でのお辞儀である「坐礼<ざれい>」を行います。
坐礼については、別の機会に述べる予定です。

お辞儀は、かしこまった姿勢から頭を下げることにより、相手に敬意を表した礼儀となります。
ですから、お辞儀はかしこまった姿勢から始まります。
「かしこまった姿勢」とは、小学校の体育の授業でいうところの「気をつけ」です。
(体育の授業での「気をつけ」「休め」は軍隊式なので、神道の作法での体勢とは若干異なります)
背筋を伸ばすのは当然ですが、次のことにも留意します。
1 足をそろえる
  男性はつま先を少し開き左右のかかとを付ける、女性はつま先を開かず足を平行にそろえるのが基本です。
  しかし、つま先を開くと、どうしても重心が後ろにいきがちです。
  重心が後ろにあると、バランスをとるためにお腹を突き出し体がそり返ります。
  そのような体勢は、不遜な気持ちがなかったとしても、そのように見てとられてしまう可能性もあります。
  また、見た目もよろしくありません。
  気になるようでしたら男性もつま先を開かず、足を平行にそろえても構わないと思います。
  
2 肩、腕、手
  肩をおとし、腕・手は力を抜いて自然におろし、体の横に付けます。
  腕は力を抜いて自然におろすと、ひじが少し曲がります。
  そのため、手は太ももの側面(真横)ではなく、ほんの少し前に位置するはずです。
  手のひらは、ほんの少しくぼませ、指はやさしくそろえます。
  このような↓感じです。(画力がイマイチなのはご容赦ください)



手を体の前(お腹のあたり)で重ねたり組んだりするのは間違いです。

この体勢は、かしこまった姿勢ではなく、小学校の体育の授業でいうところの「休め」の姿勢なのだそうです。
長~い話を聞く時などにとる体勢とのこと。
休んだ姿勢で頭を下げたところで、敬意を表したことにはならないですよね。

手を身体の前の低い位置(股のあたり)で重ねたり組んだりする方も見かけます。

この姿勢は、神職さんや巫女さんが祭祀などで行う姿勢で、叉手<さしゅ>といいます。
一般の参拝者は叉手はしません。
余談ですが、神職さんが神職としてでなく、一般参列者としてスーツを着用して祭祀に参列なさる姿を拝見したことがあります。
その時、その神職さんは叉手をすることはありませんでした。

正しく立った姿勢から、背を丸めずに上体をそのまま前に倒していきます。
手は自然と太ももに沿わせ、手のひらがひざを覆うまで、上体を前に倒します。
立っている時に太ももの斜め前あたりに付いていた手は、上体を前に倒していくと、徐々に脚の前面に出てくるのが自然なかたちです。
お辞儀が深くなるにつれ、太ももの外側から前面(ひざ)に向かって、ななめに滑りおりていく感じです。
なお、上体を前に倒すときは、腰ではなく、股関節を曲げるように意識します。
ひざを少しゆるめると、ものごしの柔らかいお辞儀ができます。

小揖<しょうゆう>の際の手の位置は、立ち姿の時とほぼ同じです。
手の位置を前から見ると、次のとおりです。
下図は、ひざの位置がわかるように〇をつけています。

男性に多く見受けられますが、重心が後ろにあるために、お尻に手をあててバランスをとってお辞儀をするのは、とても不自然です。
(後ろ姿が非常に恰好悪いですよ)

お辞儀の際の手の位置は、上体の角度の目安になります。
お辞儀をして、手が脚の付け根とひざの中間にあれば、上体は約45度倒れています。
指先がひざの上にある時は約60度、手のひらでひざをおおっていれば約90度、上体が倒れているのです。
いちいち角度を気にしながらお辞儀をしなくてもいいのです。
なんて合理的なのでしょう。

このお辞儀の仕方は、そのまま日常生活に使えます。
日本の伝統的な挨拶であるお辞儀は、日本の国土および日本人の源流である神々を敬い祀る、神道の作法に基づいて行うことが、自然なことだと思います。

余談ですが、体の前で手を重ねたり組んだりすることについて、『美しい姿勢と立ち居振る舞い 入門 小笠原流礼法』(小笠原清忠 著/(一財)礼法弓術弓馬術小笠原流 発行)に、次のように書かれていました。
手を組むことは注意力を散漫にします。これは脳からの距離が上半身でいちばん遠い両手を組むことで不安感から逃れようとするからで、緊張感や集中力をなくすことになります。―引用ここまで
ということは、人と向かい合った時に手を組んでいたら、相手に対して注意が向いていない・・・すなわち相手に興味がない、相手がいてもいなくても同じ、ということになります。
これはとっても失礼なこと。
神社参拝時だけでなく、日常生活でも手を重ねたり組んだりするのは、やめたほうが良さそうですね。