心のふるさと「伊勢の神宮」と神道のあれこれ@れーじん

日本人の心のふるさとといわれる伊勢の神宮。
伊勢国のれーじんが伊勢の神宮や神道、それに関連することをお伝えします。

お賽銭の意味と金額について

2015-02-21 09:00:00 | 神道
前回、お賽銭の供え方について記事にしました。
みなさんは、お賽銭っていくらがいいのかなぁ・・・と、疑問に思ったことはありませんか?
ちまたでは様々なことが言われていますが、結論から言うと、お賽銭はいくらでも良いのです。

日本ならではの遊び感覚
こんな話を聞いたことはありますか?
真ん中に空いた穴で先を見通せるから、お賽銭には穴の開いた硬貨が良い。
真ん中に空いた穴からご縁や福がこぼれ落ちるから、お賽銭には穴の開いた硬貨は良くない。
5円は「ご縁」と読めるから、お賽銭には5円硬貨がいい。
10円はトオエンと読める。つまり遠縁、ご縁が遠くなるからやめた方がいい。
・・・このほかにも沢山あると思います。
世界では、穴の開いた硬貨を使用している国は、非常にめずらしいそうです。
また、5円が「ご縁」などという数字の語呂合わせは、日本語でしかできないことだと聞いたことがあります。
ですから、これらは日本ならではの考え方なのでしょう。
語呂合わせや日本語の言葉遊びなどを日本の文化として楽しめば、神社参拝の良いスパイスになると思います。

お賽銭は感謝の気持ちをあらわすもの
金額が大きい方が神様が願い事を叶えてくれやすいのではないか?と思う方もいらっしゃるでしょう。
しかし、お賽銭は「お願い料」ではありません。
お賽銭の「賽」という字は「神から福を授けられた、そのお礼としてまつりをする。お礼参りをする。」という意味があります。
(漢和辞典「漢字源」より引用)
お願い事をきいていただく前にお礼?と、疑問に思うかもしれません。

なぜ私たちが神社にお詣りすることができるのでしょう。
それは、その神社が建立されてから今日まで、たくさんの神職の方々が奉職して祭祀をし続け、その神社が現在も存在しているからです。
また、私たちのご先祖であるたくさんの市井の人々が、その神社とご祭神<さいじん>(=お祀りされている神様)をずっと敬い大切にし続け、今もその神社がきれいな形で残っているからです。
そのような沢山の人々によって数百年、場所によっては千年以上もの長きにわたり神域が守られ、社殿や祭祀などを通じて日本の伝統文化が守られているからです。
また、神社参拝に出かけることができるのは、それなりに体が動かせ、交通費などの費用が負担でき、時間を作ることができるという、それなりに恵まれた環境に身を置いているからです。
そう考えると、私たちが由緒ある神社にお詣りできることは、有り難いことだということがわかります。
そして何より、神社にお祭りされている八百万<やおよろず>の神々は、有史以来ずっと、私たちと私たちのご先祖である日本人、および日本を守ってくださっている、有り難い存在なのです。
そんな有り難いと思う気持ちを「お賽銭」という形であらわしているのではないでしょうか。
そもそも、本物の神様は、「アイツは賽銭が少なかったから願い事なんかきいてやらん」とか、「この人はお供えが豪華だったから便宜を図ってやろう」とか、そんなことは考えないでしょう。
そんな俗っぽいことを考えるのは、神様ではなく「人間」なのです。

お賽銭は、その時自分が無理なく用意できる金額を、真心をこめてお供えする
たとえば、不幸にもリストラされて求職中だったとします。
どうにも就職活動が上手くいかなかったら、神様にお願いしたくなりますよね。
その時、高額のお金をお供えしたがために、就職活動に必要な交通費やスーツ代金などが用意できなくなっては、本末転倒です。
財政的に厳しい時のお賽銭は1円だっていいのです。
極端な話、お賽銭なしだっていいはずです。
そして、願いが叶って就職できた暁に、「おかげさまで就職できました。お給料が振り込まれ、これだけのお賽銭をお供えすることができるようになりました。ありがとうございます。」とお礼参りをすればいいのです。

神社参拝時の作法⑤ ~お賽銭<さいせん>~

2015-02-11 09:00:00 | 神道の作法
神社の入口である鳥居をくぐり、手水を取ってお清めして参道を進むと、ご正殿<しょうでん>、ご本宮<ほんぐう>、ご本殿<ほんでん>とよばれる、神様がお祀りされている社殿(建物)があります。
規模の大きな神社では、ご正殿の周りに幾重もの垣がめぐらされていたり、ご本宮やご本殿の手前に拝殿<はいでん>という拝礼のための建物があったりして、一般の参拝者はご正殿等を間近に見ることができないこともあります。

拝殿などの前には賽銭箱があります。
そして、賽銭箱の手前上方に、鈴が吊られていることがあります。
拝礼の前に、お賽銭を賽銭箱に入れ、鈴があれば鈴をならします。

お賽銭と鈴はどっちが先?
お賽銭のお供えと、鈴をならすのはどちらが先か?と疑問に思ったことがあり、私なりに調べたのですが、どちらでも良いようです。
ちなみに私は、お賽銭が先です。
なぜなら、私は拝殿の前に到着した時には、すでにお賽銭を手にして(お金を手に握って)おり、その状態で鈴をならすのは難しいからです。
私は、賽銭箱の真ん前でモタモタとお賽銭を用意するのは、他の参拝者に迷惑がかかると思っています。
また、人込みでお財布を手にするのは、スリのターゲットになってしまう可能性があります。
(残念なことに、神域や神前でも盗人はいるのです。)
そのため、拝殿手前の比較的空いている地点で参道の端により、お財布からお金を取り出すようにしています。
または、お賽銭専用の小さい財布(小銭入れなど)を用意し、それをポケットに入れ、歩きながらでもお賽銭を手早く用意できるようにして、拝殿の前に到着するまでにお賽銭を手にすることが出来るようにしています。

お賽銭は投げる?
お賽銭は、賽銭箱に丁寧に入れたほうが好ましいと思います。
時折、振りかぶってお賽銭を投げ入れる参拝者を見かけます。
お供物を投げてお供えするのは、お祓いの意味があるとも言われていますから、ごもっともな動作なのかもしれません。
しかし、神様をうやまい、その心を表わすのであれば、おのずと丁重な動作になるのではないでしょうか。
大きな神社の初詣で、非常に混雑していて賽銭箱の前にになかなか到達できないなど、やむを得ない場合は自分なりに礼をつくしてお賽銭をお供えしてください。

お賽銭は袋(祝儀袋やポチ袋など)に入れたほうがいいの?
賽銭箱に入れる場合は、袋に入れなくてもかまいません。
高額のお金をお供えしたいときは、お詣りをする前に社務所にいらっしゃる神職さんに手渡しましょう。
これは、防犯の観点からも必要な対応だと思います。
その場合は、祝儀袋に入れます。
祝儀袋の表書きは「御初穂料」「御玉串料」です。

神社参拝時の作法④ ~お辞儀の仕方(立礼<りゅうれい>)~

2015-02-01 09:00:00 | 神道の作法
前回の記事では、お辞儀の種類をお伝えしました。
今回は、具体的なお辞儀の仕方についてです。
一般的な参拝は立ってお辞儀をするので、「立礼<りゅうれい>」を図解します。
伊勢の神宮の皇大神宮(内宮)や豊受大神宮(外宮)の神楽殿<かぐらでん>や御饌殿<みけでん>(=ご祈祷をしていただく御殿)ような畳の間の場合、正座でのお辞儀である「坐礼<ざれい>」を行います。
坐礼については、別の機会に述べる予定です。

お辞儀は、かしこまった姿勢から頭を下げることにより、相手に敬意を表した礼儀となります。
ですから、お辞儀はかしこまった姿勢から始まります。
「かしこまった姿勢」とは、小学校の体育の授業でいうところの「気をつけ」です。
(体育の授業での「気をつけ」「休め」は軍隊式なので、神道の作法での体勢とは若干異なります)
背筋を伸ばすのは当然ですが、次のことにも留意します。
1 足をそろえる
  男性はつま先を少し開き左右のかかとを付ける、女性はつま先を開かず足を平行にそろえるのが基本です。
  しかし、つま先を開くと、どうしても重心が後ろにいきがちです。
  重心が後ろにあると、バランスをとるためにお腹を突き出し体がそり返ります。
  そのような体勢は、不遜な気持ちがなかったとしても、そのように見てとられてしまう可能性もあります。
  また、見た目もよろしくありません。
  気になるようでしたら男性もつま先を開かず、足を平行にそろえても構わないと思います。
  
2 肩、腕、手
  肩をおとし、腕・手は力を抜いて自然におろし、体の横に付けます。
  腕は力を抜いて自然におろすと、ひじが少し曲がります。
  そのため、手は太ももの側面(真横)ではなく、ほんの少し前に位置するはずです。
  手のひらは、ほんの少しくぼませ、指はやさしくそろえます。
  このような↓感じです。(画力がイマイチなのはご容赦ください)



手を体の前(お腹のあたり)で重ねたり組んだりするのは間違いです。

この体勢は、かしこまった姿勢ではなく、小学校の体育の授業でいうところの「休め」の姿勢なのだそうです。
長~い話を聞く時などにとる体勢とのこと。
休んだ姿勢で頭を下げたところで、敬意を表したことにはならないですよね。

手を身体の前の低い位置(股のあたり)で重ねたり組んだりする方も見かけます。

この姿勢は、神職さんや巫女さんが祭祀などで行う姿勢で、叉手<さしゅ>といいます。
一般の参拝者は叉手はしません。
余談ですが、神職さんが神職としてでなく、一般参列者としてスーツを着用して祭祀に参列なさる姿を拝見したことがあります。
その時、その神職さんは叉手をすることはありませんでした。

正しく立った姿勢から、背を丸めずに上体をそのまま前に倒していきます。
手は自然と太ももに沿わせ、手のひらがひざを覆うまで、上体を前に倒します。
立っている時に太ももの斜め前あたりに付いていた手は、上体を前に倒していくと、徐々に脚の前面に出てくるのが自然なかたちです。
お辞儀が深くなるにつれ、太ももの外側から前面(ひざ)に向かって、ななめに滑りおりていく感じです。
なお、上体を前に倒すときは、腰ではなく、股関節を曲げるように意識します。
ひざを少しゆるめると、ものごしの柔らかいお辞儀ができます。

小揖<しょうゆう>の際の手の位置は、立ち姿の時とほぼ同じです。
手の位置を前から見ると、次のとおりです。
下図は、ひざの位置がわかるように〇をつけています。

男性に多く見受けられますが、重心が後ろにあるために、お尻に手をあててバランスをとってお辞儀をするのは、とても不自然です。
(後ろ姿が非常に恰好悪いですよ)

お辞儀の際の手の位置は、上体の角度の目安になります。
お辞儀をして、手が脚の付け根とひざの中間にあれば、上体は約45度倒れています。
指先がひざの上にある時は約60度、手のひらでひざをおおっていれば約90度、上体が倒れているのです。
いちいち角度を気にしながらお辞儀をしなくてもいいのです。
なんて合理的なのでしょう。

このお辞儀の仕方は、そのまま日常生活に使えます。
日本の伝統的な挨拶であるお辞儀は、日本の国土および日本人の源流である神々を敬い祀る、神道の作法に基づいて行うことが、自然なことだと思います。

余談ですが、体の前で手を重ねたり組んだりすることについて、『美しい姿勢と立ち居振る舞い 入門 小笠原流礼法』(小笠原清忠 著/(一財)礼法弓術弓馬術小笠原流 発行)に、次のように書かれていました。
手を組むことは注意力を散漫にします。これは脳からの距離が上半身でいちばん遠い両手を組むことで不安感から逃れようとするからで、緊張感や集中力をなくすことになります。―引用ここまで
ということは、人と向かい合った時に手を組んでいたら、相手に対して注意が向いていない・・・すなわち相手に興味がない、相手がいてもいなくても同じ、ということになります。
これはとっても失礼なこと。
神社参拝時だけでなく、日常生活でも手を重ねたり組んだりするのは、やめたほうが良さそうですね。