前回記事の石原には、切妻屋根<きりづまやね>の建物が2つあります。
向かって右手前の建物が九丈殿<くじょうでん>です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/78/ad6df3c25ed537cf11d2669430365569.jpg)
九丈殿では、外宮の摂社<せっしゃ>・末社<まっしゃ>・所管社<しょかんしゃ>の遙祀<ようし>が行われます。
遙祀とは、当該地へ足を運ばず遠く離れた別の場所で祭祀をすることです。
伊勢の神宮は、ご正宮2社、別宮<べつぐう>14社、摂社43社、末社24社、所管社42社のあわせて125社の総称です。
そのうち、別宮4社、摂社16社、末社8社、所管社4社が、外宮の管轄です。
数多くのお社は、ご正宮の近所にご鎮座するものもあれば、車で2時間以上もかかる遠く離れた所にご鎮座するものもあります。
遠いところにあるお社の日々の清掃等は地元の方々の奉職によるものもありますが、祭祀等は神宮の神職さんが奉職なさいます。
しかし、時間や人員等には限りがあり、全ての祭祀を全てのお社に出向いて行うことは、現実的に少し無理があります。
そこで、意識や気持ちを該当のお社に向けて、この九丈殿で祭祀を行うのです。
※別宮、摂社、末社、所管社については、後日別途記事にします。
向かって右手前の建物が九丈殿<くじょうでん>です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/78/ad6df3c25ed537cf11d2669430365569.jpg)
九丈殿では、外宮の摂社<せっしゃ>・末社<まっしゃ>・所管社<しょかんしゃ>の遙祀<ようし>が行われます。
遙祀とは、当該地へ足を運ばず遠く離れた別の場所で祭祀をすることです。
伊勢の神宮は、ご正宮2社、別宮<べつぐう>14社、摂社43社、末社24社、所管社42社のあわせて125社の総称です。
そのうち、別宮4社、摂社16社、末社8社、所管社4社が、外宮の管轄です。
数多くのお社は、ご正宮の近所にご鎮座するものもあれば、車で2時間以上もかかる遠く離れた所にご鎮座するものもあります。
遠いところにあるお社の日々の清掃等は地元の方々の奉職によるものもありますが、祭祀等は神宮の神職さんが奉職なさいます。
しかし、時間や人員等には限りがあり、全ての祭祀を全てのお社に出向いて行うことは、現実的に少し無理があります。
そこで、意識や気持ちを該当のお社に向けて、この九丈殿で祭祀を行うのです。
※別宮、摂社、末社、所管社については、後日別途記事にします。
外宮表参道を歩き、神楽殿を過ぎると、右手に石原があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/e7/07f875380a504f314e71b4483be97a3b.jpg)
右手前の石畳に1本の榊が植えられ、その前に3つの石が並んでいます。
これが四至神<みやのめぐりのかみ>で、外宮の境界をお護りになっている神様です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/62/8d277f9e16ff5960858db9823592d6db.jpg)
もともと、四至神は神宮のお社それぞれの敷地の四隅にお祀りされていました。
延暦23年(西暦804年)の記録には、200座以上お祀りしていたとあるそうです。
125社ある神宮のお社の敷地の境界に数多くお祀りされていたということですね。
中世には44所にまとめられ(=合祀<ごうし>)、さらに時代が進むと16所となりました。
現在は、皇大神宮(内宮)、豊受大神宮(外宮)それぞれ1所でお祀りされています。
では、昔は四至神はどのようにお祀りされていたのでしょうか。
その名残が、皇大神宮(内宮)域内にご鎮座する別宮、風日祈宮<かざひのみのみや>の四隅にあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/2f/418e7e3b6a65de42d5c1c6b747a88d3b.jpg)
このように4つの角それぞれに石で囲みを作り、四至神をお祀りしていたとのことです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/e7/07f875380a504f314e71b4483be97a3b.jpg)
右手前の石畳に1本の榊が植えられ、その前に3つの石が並んでいます。
これが四至神<みやのめぐりのかみ>で、外宮の境界をお護りになっている神様です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/62/8d277f9e16ff5960858db9823592d6db.jpg)
もともと、四至神は神宮のお社それぞれの敷地の四隅にお祀りされていました。
延暦23年(西暦804年)の記録には、200座以上お祀りしていたとあるそうです。
125社ある神宮のお社の敷地の境界に数多くお祀りされていたということですね。
中世には44所にまとめられ(=合祀<ごうし>)、さらに時代が進むと16所となりました。
現在は、皇大神宮(内宮)、豊受大神宮(外宮)それぞれ1所でお祀りされています。
では、昔は四至神はどのようにお祀りされていたのでしょうか。
その名残が、皇大神宮(内宮)域内にご鎮座する別宮、風日祈宮<かざひのみのみや>の四隅にあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/2f/418e7e3b6a65de42d5c1c6b747a88d3b.jpg)
このように4つの角それぞれに石で囲みを作り、四至神をお祀りしていたとのことです。