心のふるさと「伊勢の神宮」と神道のあれこれ@れーじん

日本人の心のふるさとといわれる伊勢の神宮。
伊勢国のれーじんが伊勢の神宮や神道、それに関連することをお伝えします。

豊受大神宮(外宮)9 ~神楽殿<かぐらでん>~

2015-07-21 15:00:00 | 神宮
表参道の第二鳥居をすぎると、右手に神楽殿があります。


「は?!。なんで?。伊勢の神宮って古式ゆかしい素木<しらき>の建物じゃないの?」
と、思う方もいらっしゃるでしょう。
実は、神楽殿はもともと神宮の域内にあるものではなかったのです。

古来より、伊勢の神宮は天皇のみが奉幣(=お供え物をたてまつること)あそばされる神社でした。
一般庶民が何かをお供えすることは禁じられていたのです。
でも、日本人の祖先であり、日本の総氏神<そううじがみ>というべき伊勢の神宮です。
昔はどれだけ遠くても、庶民は徒歩での参拝です。
一生に一度のチャンスです。
お詣りをするなら、庶民であってもご祈祷や御神楽<みかぐら>・御饌<みけ>をお供えしたいと思うのは自然なことだと思います。
 ※神楽=神様にお供えする音楽や舞
  御饌=神様にお供えする食事
そこで、御師<おんし>とよばれる神宮の神職が、自宅等に神楽殿や宿泊施設を造りました。
御師が全国からの参拝者を一旦そこに受け入れ、御神楽や御饌を奏上やご祈祷をして、庶民の要望に応えたのです。
そして、そのとき御師が使用した大麻<おおぬさ>を参拝者に配布し、参拝者はそれを自宅で手厚くお祀りしました。
 ※御師や大麻については過去の記事をご参考ください。
参拝者は、神宮ではお詣りをするだけで、お賽銭等のお供えやご祈祷はしなかったのです。

明治時代になり御師制度が廃止され、一般市民が祈祷奉賽する場を設けるため、明治6年(西暦1873年)に神宮域内に初めて神楽殿が竣工されました。
そんな訳で、神楽殿は現代工法で造られた新しい建物なのです。

神楽殿の向かって左手には神札授与所<おふだじゅよしょ>があります。
神札授与所は撮影禁止のため、残念ながら写真はありません。
授与所では、御神楽・御饌を奏上してのご祈祷の受付や、お札・お守りの授与がされています。
ご朱印もこちらでいただくことができます。

なお、ご祈祷、お札・お守り・ご朱印をお受けするのは、参拝の後にしましょう。

豊受大神宮(外宮)8 ~第二鳥居~

2015-07-11 23:40:00 | 神宮
祓所<はらえど>をすぎると、大きな鳥居があります。
表参道の第二鳥居です。


奉幣の祭祀の際、幣帛<へいはく>や勅使の方々の修祓<しゅばつ>(=お祓い)を、この鳥居の手前で行います。
また、皇族方がご参拝の折には、この鳥居の手前で車をお降りになり、修祓をお受けになるそうです。

神宮で執り行われる祭祀は大小さまざまあります。
その中でも特に重要な祭祀では、奉幣が行われます。
天皇陛下のお使いとして宮内庁から勅使が派遣され、神宮に幣帛をたてまつるのです。
こちら↓は、2月17日に行われた祈年祭<きねんさい>での奉幣の儀の参進の様子です。


黒や緑の装束の神職さんが、宮内庁から派遣された勅使や神職の方々です。
幣帛が納められた唐櫃<からびつ>には、黄色い布が掛けられています。
この布の色は「黄櫨染<こうろぜん>」といいます。
少し赤みがかった黄色で、黄土色に近い色です。
この色は、天皇陛下のみがお使いになる、特別なものです。

日本では、古来より冠位により装束の色が定められていました。
聖徳太子が定められたとされる、冠位十二階でも、装束の色が決められていましたよね。
平安時代初期、嵯峨天皇が黄櫨染を「天皇のみが第一礼装として着用する御袍<ごほう>」と定めました。
それ以来、黄櫨染は禁色<きんじき>とされ、天皇陛下以外の下位の者が使用するのを禁じられています。
袍<ほう>とは、束帯装束における上衣のことです。
平たくいえば、伝統的なひな人形のお内裏様の上着ですね。

豊受大神宮(外宮)7 ~祓所<はらえど>~

2015-07-01 09:00:00 | 神宮
参道を進んでいきます。
豊受大神宮(外宮)では、左側通行です。


斎館入口を過ぎると、左手に縄で囲われたスペースがあります。
ここは祓所<はらえど>と呼ばれる場所です。


ここでは、奉幣祭<ほうへいさい>等でお祓いが行われます。
奉幣<ほうへい>とは、幣帛<へいはく>をたてまつる(=お供えする)ことです。
幣帛は、天皇陛下が神様にお供えあそばされる絹の反物のことです。