心のふるさと「伊勢の神宮」と神道のあれこれ@れーじん

日本人の心のふるさとといわれる伊勢の神宮。
伊勢国のれーじんが伊勢の神宮や神道、それに関連することをお伝えします。

豊受大神宮(外宮)33 ~風宮<かぜのみや>2~

2016-05-11 23:35:37 | 神宮
風宮のご祭神は、風の神様である級長津彦命<しなつひこのみこと>と級長戸辺命<しなとべのみこと>です。


古事記では志那都比古神<しなつひこのかみ>、志那都比売神<しなつひめのかみ>と表記されているようです。
この2柱の神様は、夫婦とも兄妹または姉弟ともいわれています。

日本史の授業で「神仏習合」という言葉を習いますが、古来神宮では仏教を忌避していたようです。
お坊さんや尼さん専用の施設「僧尼遙拝所<そうにようはいしょ>」というものを設け、神前でお経を読むのを許可していなかったのです。
西行法師が内宮を参拝した際に歌を詠みましたが、西行は内宮の神域に入らず、五十鈴川の対岸でお詣りしました。

このような仏教忌避の風潮が変化したきっかけが元寇だったようです。
文永11年(西暦1274年)1度目の元寇の際、神職さんたちが内宮・外宮両方の風社(現在の風日祈宮、風宮)で祈祷しました。
すると、紅い雲が現れて周辺の岩や大木を巻き上げ、西の彼方へ飛んでいって元の船団の上に落ちたことから、風日祈宮・風宮の2社が神風を起こしたといわれています。
このご神威を受け、宇多天皇は翌年の建治元年(西暦1275年)、宇治法楽舎<ほうがくしゃ>という仏教の祈祷所をつくりました。
これが神宮が僧侶や仏教を受け入れるきっかけとなったようです。
宇治法楽舎の跡地である某店の脇には、石碑が建てられています。
2度目の元寇では、神宮と宇治法楽舎で蒙古撃退の祈祷が行われました。

それ以降、伊勢の神宮においても神仏習合は行われていきましたが、明治5年以降、明治天皇の御治定<ごじじょう>(=天皇がお定めになること)により、平安以前の古来の形に戻されていきました。

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