あそびなんかじゃない

「キャプテン翼」を愛する一個人による、極めて個人的な考察や雑感などをつらつらと。
可能ならばパソコン閲覧推奨です。

見上辰夫さんのヨーロッパ研修期間について。

2018-10-29 00:47:50 | 「キャプテン翼」 エピソード考察
「ライジングサン」第80話 若林の矜持 (グランドジャンプNo.22 2018年)で、ちょっと「?」マークのエピソードが出ました。
タイトル通り、見上辰夫さんのヨーロッパ研修期間について、改めて検証してみましょう。

「キャプテン翼」13巻で、西ドイツに行くことを若林くんに説明しています。


来年の春から2年間
できれば そのあともヨーロッパのいろいろな国のサッカーを みてまわりたいとも思ってる


この時点で「西ドイツに2年間」というのは確定。更にヨーロッパ各国を回る期間が、不明。

続いて3年後の「キャプテン翼」14巻、日本に帰国した見上さんを見つけた片桐さんの言葉。


約二年半のコーチ研修 ごくろうさまでした

そして、説明文。


見上辰夫 二年半の西ドイツおよびヨーロッパ各国でのサッカーコーチとしての研修をおえ 帰国

「西ドイツに2年間」+「ヨーロッパ各国が約半年」=約2年半ですね。

最新の「ライサン」の見上さんの回想エピソードで、きっと皆さんが「?」となったのが、

ハンブルグに丸2年間ではなく、約1年間の研修期間だった

ということでしょう。

今の今まで「西ドイツ=ハンブルグ」だと、1ミリの疑いもなく思ってましたよねえ?
まさか西ドイツの各都市を転々としていたとは、一度たりとも想像しませんでしたよねえ?
それが今回の回想エピソードで、ひっくり返され、確定されたわけですよ。
そりゃあ騒然・唖然としますわね。

しかし今一度、上記の引用部分を読み返してください。
「ハンブルグに2年間」とは、どこにもありません。

だからこの回想エピソードは、おかしくはないんですよ。

……と、自分でも予想外の検証結果に、ちょっとビックリ。

ところがこの回想エピソードの最重要ポイントは、

見上さんがハンブルグを去った後、若林くんが1年間ホームステイをしていた

これですよね。
すぐさま選手寮に入ったのかと思ってたら、まったくの予想外。

そしてずっこけたのが、

渡独してからドイツ人の家庭教師にドイツ語を習っていた

せめて南葛市にいる間で、日常会話とサッカー用語くらい学べるやろ~!
 と、誰もがツッコミ入れたはず。
「これを見せてください」なんて、どの言語でも基本中の基本でしょ……。
(それを思うと小次郎のイタリア語の「私はウサギが好きです」は、異様。きっと通訳の内海さんの意向なんだな)

ドイツ語がそんなに通じない頃なのに、よくもまあシュートの嵐を食らわされて、シュナイダーを本気にさせて、他のチームメイトから意地悪されて殴られて、殴り返したりしてましたよね。

さすが若林源三!


「ロベルトノート」のページ数

2018-02-13 00:08:20 | 「キャプテン翼」 エピソード考察
「ライジングサン」のせいで、にわかに注目を浴びている「ロベルトノート」。正確に言えば「ページ数」に物議を醸しているわけですが。

詳しいページ数が出てくるのが、全日本Jr.ユースvs西ドイツJr.ユースの後半戦。ちょっと整理してみましょうね。


1ページ 「翼よ MFになれ」


1~10ページ 「サッカーにおけるMFの重要性  じっさいの訓練法」
11ページ~  「南米スタイルのドリブル」



22ページ~ 「南米のサッカー事情  ブラジルのプロの組織の説明」


52ページ 「サッカーの楽しさについて」


最新の「ライサン」で誰もが思ったのは、「52ページ以降もあったんだ!?」 「52ページで終わりじゃなかったの!?」 でしょう。

それについての見解は こちらのカテゴリの第67話 でやっていますので、パスワードを入力してご覧あそばせ。


若林源三とベーゴマ

2016-08-28 13:25:28 | 「キャプテン翼」 エピソード考察
まずはこちらをご覧下さい。


「ROAD TO 2002」第5巻、「ハンブルガーSVvsB・ミュンヘン」での、若林源三くんの回想シーン。
この場面、若林くん好きの皆さんには、あまり芳しくないらしい……けれど!

突如この場面が私の脳裏によみがえったのは、講談社さんが出している情報誌「本」2016年9月号に連載中の、二宮清純さんの「新日本野球紀行」を読んでいるときでした。
今回のゲスト、城之内邦雄さんの語るエピソードに「ベーゴマ」が出てきたからです。
該当部分を引用します。

城之内  僕らが子供の頃はベーゴマやメンコもよくやりました。あれもピッチングには随分、役立ちましたよ。

――ベーゴマやメンコもですか?

城之内  まずベーゴマですが、あれは引く力が強くないとうまくいかないんです。それには手首をやわらかく使わないといけない。僕はベーゴマ狙ったところにピタッと置くことができた。これはカーブの投げ方と同じなんです。

(「本」2016年9月号 二宮清純「新日本野球紀行」 縄跳びとベーゴマとピッチング 城之内邦雄「エースのジョー」秘録(1) p60)


これとは逆に、若林くんは回っているベーゴマを掴み取るパターンですね。

だけど「プロ野球選手が腕の使い方をベーゴマを利用していた」というところに注目すべきですね。
若林くんのベーゴマ掴み特訓にも「根拠」があったということです。

だから若林くん好きな皆さんは、この特訓を誇ってもいいと思うのですよ。



アナウンサーさんの勘違い?

2016-08-06 21:53:16 | 「キャプテン翼」 エピソード考察
まずはこちらをご覧下さい。






「キャプテン翼」第31巻、日本Jr.ユースvsアルゼンチンJr.ユースの予選リーグ、日本の5点目、5対4と逆転決勝ゴールを決めた三杉淳くんのシュートです。
Jr.ユース大会で三杉くんが得点したのは、この1試合だけです。

続いてはこちら。






「キャプテン翼」第33巻、日本Jr.ユースvsフランスJr.ユースの準決勝、日本の4点目、4対4と同点ゴールを決めた岬太郎くんのシュートです。
Jr.ユース大会で岬くんが得点したのは、予選リーグのアルゼンチンJr.ユース戦、準決勝のフランスJr.ユース戦、決勝の西ドイツJr.ユース戦の3試合です。

ここまでしつこく強調した理由は、次をご覧になれば分かります。決勝戦を担当したアナウンサーの発言です。


「キャプテン翼」第35巻より。
「フランス戦 あたい千金の同点ゴールをきめた」のは、岬くんです!


「キャプテン翼」第36巻より。
「準決勝でみせた」「同点ゴール」は、岬くんです!

アルゼンチン戦(予選リーグ)の逆転ゴールと、フランス戦(準決勝)の同点ゴールを取り違えている。
どこでどうしてこんな勘違いが生まれたのか!? 謎だ……。

もう一度検討し直してみると、まさかと思うが、これと勘違いしたのだろうか?




「キャプテン翼」第33巻、PK戦で4番手で登場して、4本目のPKを決めた三杉淳くん。
ちなみに先攻・フランス、後攻・日本でした。

準決勝のフランス戦で、百歩譲って「(PKとはいえ)4本目で同点ゴール」という見方も出来るとは思いますが……。

ふつうPK戦では「何点目」という表現はしませんよね? 「1本目を決めたー!」とか「3本目はハズれたー! これはピンチだー!」とか、アナウンサーが絶叫してますよね?

うーんうーんうーん……「アナウンサーの勘違い」と結論を出していいですか?


なぜ見上さんと片桐さんは岬くんがフランスにいると知ったのか? メンバーに選んだのはなぜか?

2016-01-04 01:51:54 | 「キャプテン翼」 エピソード考察
南葛を去った岬くんが「フランスのパリに住んでいる」と私たちが知ったのは、若林くんが翼くんに出した手紙のおかげでした。



そのことを翼くんは南葛中の仲間たちに知らせます。



全国大会終了後、片桐さんが単独でジュニアユース大会が開かれるパリへ行ったのは、日本チームの準備のため……と、思ってました。



が、もう一つの目的があったのは、皆さん周知の通り。そう、岬くんに会うためです。





まるで見上さんの密命を帯びたかのような片桐さんにも見えますが、ここでふと疑問。

どうして見上さんと片桐さんは、岬くんがパリにいることを知っているのか?

「翼くんが片桐さんに話し、片桐さんが見上さんに話した」……というパターンは、可能性が薄い。そこまで彼らは、なあなあの関係ではないと思うのですよね。

となると、「若林くんが見上さんに話した」

うん、これ以外にないですね。
若林くんは、翼くんには手紙で、見上さんにはおそらく国際電話で、岬くんのことを知らせたのだと思います。

そこでまたまた疑問が。

岬くんをメンバーに選んだのはなぜか?



と見上さんは断言してますが、その根拠はどこにあるのでしょう?
岬くんですら、


どれほどの実力をもっているのか 自分でもわからないんだ と思っているくらいですから。

だけど見上さんも片桐さんも、岬くんの実力の高さは、露ほども疑っていないようです。

なぜ? 二人とも実際に自分の目で確認したわけではないのに。
片桐さんの場合、「岬くんの実力を再確認しにやって来た」という感じにも取れますけどね。

この時点で確実に岬くんの実力を知っている人間。それは若林くんのみです。



若林くんは実際に岬くんのボールさばきを見て、その実力は確認済み。それを見上さんに「メンバーにふさわしい」と告げても、なんら違和感ありません。

見上さんも若林くんのサッカーに対する厳しい姿勢は十分に知っているはずですし、「翼と岬は黄金コンビだから」とノスタルジーで岬くんを選ぶほど甘くはないでしょう。

岬くんがメンバーに選ばれることになった影の功労者は、若林くんだったのでした……と推理しても、ちっともおかしくありませんね。

更に「岬の背番号は11番で」と若林くんがお願いしていたらいいな、と私の願望を盛り込んでおきます。
なぜなら三杉くんのこの発言が、成り立たないでしょう。



みんなが背番号を選ぶ段階で11番のユニフォームがあったとすれば、きっと誰かが11番を選んでいるはず。最初から11番がなければ、選びようもないですしね。

ついでに岬くんに11番のユニフォームのサイズが合ったのは、きっと若林くんが「岬の身体の大きさはこれくらいだった」と見上さんに告げていたからだと思います。


以上、<なぜ見上さんと片桐さんは岬くんがフランスにいると知ったのか? メンバーに選んだのはなぜか?> の考察を終わります。

皆様の考察・見解等ございましたら、教えてくださいね。