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丸亀城
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丸亀市立資料館 「浅井三姉妹 初と京極」展
期間:10月15日~11月27日
「近世大名家としての丸亀京極家につながる礎を築いた京極高次、忠高、高和三代に関わる資料や数々の遺品を一堂に公開します。」
タイトルからも大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の影響が伺えます。「初」が先で「京極」が後なんですねぇ。展示は無料そしてオールカラーのパンフまでいただけましたよ。
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京極高次 肖像画
高次は織田信長や豊臣秀吉に仕え、大津城主・小浜城主等を歴任した。浅井三姉妹の次女・初(常高院)を正室とし秀吉の側室となった姉(妹とも)竜子の存在もあって蛍大名などと呼ばれる事もあるが、零落していた名門京極家を立て直した事には間違いない。
松の丸(京極竜子)所用 皺皮包一枚胴具足
胴は皺韋包で正面に「折敷に三文字」紋あしらわれ、兜には脇立用の角本があるが立物はない。
京極忠高 肖像
忠高は二代目小浜藩で後に松江藩24万石を領した。これは江戸時代の京極家最大石高であり近世大名京極家の全盛期であったともいえます。
忠高は高次の長男であるが初(常高院)の子ではない。正室の初姫は徳川秀忠と江の子であり、子を生さなかった初(常高院)としては妹の子を京極家に入れる事によって少しでも影響力を持とうとしていたのかもしれません。それを知っていたのか忠高と初姫の仲はあまり良くなかったようです。
脇差 ニッカリ青江
大阪冬の陣の際、徳川との和解に尽力した京極忠高に豊臣秀頼が与えたもの。柴田勝家や丹羽長秀も所持し、その後豊臣秀吉に渡った。
京極高和 肖像画
高和は忠高の甥。松江藩主であった忠高に継嗣が無いまま亡くなった事から京極家は改易処分となりますが、長年の忠義により高和に龍野6万石が与えられます。後に丸亀に移り京極家は幕末まで丸亀藩主として続きました。
多賀家伝来 白萌黄糸威朱塗二枚胴具足
炎の脇立が印象的な甲冑。京極家の家老を務めた多賀家に伝わった。