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大和文華館
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特別企画展 茶湯の人と造形
11月21日(金)~12月25日(木)
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色絵おしどり香合 仁清作
丸みのある可愛らしい形の香合で赤・青・緑や金色の色彩が鮮やか。
近衛家に献上され、近衛家熙が享保17年(1732)11月の口切茶会で使用している。
三条西実隆書状
永正十三年二月廿六日付。御所様の怒りを買った公家を慰める内容。この年4月、実隆は出家し逍遥院尭空と称した。
三条西実隆は公家で歌人としても有名。宗祇に古今伝授を受け、様々な人物に和歌を教えているが茶人・武野紹鴎もそのひとり。
古田織部書状
織田有楽宛、正月廿七日付。有楽が織部を訪問したことへの礼状。こちらから出向いてお礼を述べたいが、これから茶会に出かけるので、またの機会に語り合いましょうといった内容。
2人の気安い仲が知れるエピソードとしては、慶長十二(1607)年大坂で有楽が織部を招いた台子点前の茶会がある。織部はその席で数々の失敗をしてしまい、それを見ていた有楽は最初笑っていたが、やがて枕を用意させ「気詰まりを解いてのんびりしてください」と言い、二人して横になり小姓に点てさせた茶を飲んだと云う。
千少庵書状
井関妙持宛、五月十八日付。内容は来る二十一日、俵屋宗達の振舞(茶会?)に共に参りましょうとの誘いの手紙。井関妙持は西陣織の機屋。俵屋宗達は言わずもがな本阿弥光悦とタッグを組み様々な作品を残した絵師。
宗達が少庵を招くほど茶の湯に堪能であったとすれば、そこにも光悦の影響があったのかもしれません。