SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

11夏の東日本行⑦ 高照神社

弘前駅よりバスで約40分



高照神社へやってきました。

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高照神社は弘前四代藩主津軽信政を神式で埋葬するために遺言により1712年に建立された神社だそうです。

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拝殿
2006年に境内の主要な建物が国の重要文化財に指定。
本殿から鳥居までの主要な建物を一直線に配した吉川神道に基づく独特の配置は他に例がないそう。

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神饌殿
けっしてボロ家屋ではない。市指定の文化財で神様に供える食物を調理する所だそう。老朽化が著しく倒壊のおそれがあるそうだが費用も相当かかるそうで用意に直せないらしい。倒壊防止に木材で補強しているのだがなんとかならないのであろうか・・・

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この奥に津軽信政の墓があるそうです。

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宝物殿
「槍と刀剣展」
期間:??~9月4日(日)
津軽藩ゆかりの武器・武具約150点を展示。
津軽為信所用 太刀 銘 友成
重文。長さ約80cm。津軽為信が小田原参陣の際に豊臣秀吉から拝領したと伝わる。
津軽為信は初代弘前藩主。元は南部家に従っていたが内紛に乗じて津軽地方の切り取りに成功し独立を果たした。1590年小田原征伐に参陣し、豊臣秀吉より所領を安堵されている。南部信直は秀吉に対し津軽は為信に奪われたものだと訴えたが退けられている。
津軽信政所用 太刀 銘 真守
重文。弘前藩四代藩主信政の佩刀であり5代藩主信寿が奉納した。
津軽信政所用 黒小實勝色威甲冑
三十八間四方白筋兜に龍頭の前立と鹿角の脇立。こちらも5代藩主信寿の奉納。
津軽信政は弘前藩4代藩主。山鹿素行に儒学や兵学を学び、吉川惟足からは神道を学んだ。津軽藩中興の祖とされる。
刀 銘「獅吼」
弘前藩で代々家老を務めた大道寺家に伝来した太刀で弘前藩2代藩主信枚の子で大道寺家に養子で入った大道寺為久の作刀と伝わっています。大道寺家は北条氏の重臣である大道寺政繁の養子・大道寺直英が津軽信枚に仕えたのが始まり。
平三角槍 無銘
1579年の六羽川合戦で津軽為信の身代わりとなって討死した田中太郎五郎の所持品。
旗指物
津軽家家紋「卍」と雲が描かれた背旗で関ヶ原合戦で使用したものを家臣が津軽為信より拝領したものと伝わる。

津軽氏関連のものがワンサカある神社。これからも守り伝えていって欲しいです。
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