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1210 出雲行2  島根県立古代出雲歴史博物館 「戦国大名尼子氏の興亡」

出雲大社の近く

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島根県立古代出雲歴史博物館

やたら人が多いと思ったら「神話博しまね」なるイベントをやってる為だったらしい。

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企画展「戦国大名 尼子氏の興亡」
期間:10月26日(金)〜12月24日(月)
「出雲の人々の心に深く印象づけられた戦国大名尼子氏の勃興から滅亡、そしてその後について展観します。今日まで廃れることなく続く尼子人気の理由はなぜか。経久の武具、経久や晴久の肖像や古文書、尼子氏と関係が深かった神社・寺院の宝物、山中鹿介の兜や絶筆書状などが一堂に集まります。 」(公式より)

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尼子経久 肖像画
洞光寺蔵。黒の束帯姿で描かれている。別人説あり。
尼子経久は月山富田城主。出雲守護代であったが主家の京極氏を凌駕し中国地方11ヶ国に影響力をもった。
尼子経久所用 色々威腹巻
三十二間筋兜に大きな梶の葉の前立。胴は紫・白・紅色の色々威となっている。尼子経久が佐太神社に奉納したと伝わる。
大内義隆 肖像画
義隆が陶隆房(晴賢)に謀反され自害した終焉の地・大寧寺に伝わる。
大内義隆は尼子経久と中国地方で激しく争った大名。経久死後の1542年月山富田城戦で大内方が大敗。これが大内氏滅亡の一因とされる。
毛利元就 肖像画
元就の寿像。尼子氏をを滅ぼした1566年に鰐淵寺の和多坊栄芸に贈られたと伝わる。
尼子義久 木像
大名としての尼子氏最後の当主義久の木像。義久は毛利の軍門に降り、最初は幽閉されていたが後に客分となる。子孫は毛利氏の家臣となった。
山中幸盛所用 鉄錆十二間筋兜
三日月の前立が特徴的な山中鹿介こと幸盛の兜。
尼子家の御家再興の為に奮闘した幸盛が最後の戦いまで着用していた兜。
鹿介を捕虜にした後に殺害した岩国吉川家に伝来した。

中国地方を席巻した尼子氏。それに対抗した大内・毛利両氏をバランスよく紹介する展示でした。
今年(2012年)は中国地方の戦国大名に関する展示会が多かったですが、その最後を飾るに相応しいものでした。
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