突然、兄貴が福井から帰ってきた。
中学時代の担任が亡くなったらしい。まだ40代前半なのに。
その先生には中学1年か2年の頃に社会を習った記憶がある。
優しく厳しい先生で、好きな先生だった。
もし、その先生が死んでいなければ、兄貴は福井から来なかっただろう。
どうして生きている時には会いに行かず、死んでから会いに行くのだろう?
生きている時は会いたいと思わないのに、死ねば最後の一目をみたいというのか。
普段から、今までの知り合い全員を気にすることは非常に難しいし、不可能だ。
ただ、死ぬことで人が集まるということは非常に皮肉なことだと思う。
私は死を意識することは多いが、ここまで真剣に考えたのは久しぶりだった。
私が死んだら、何人駆けつけてくれるのかな?あなたが死んだら、私は駆けつけるのかな?
そんな思いの日であった。
中学時代の担任が亡くなったらしい。まだ40代前半なのに。
その先生には中学1年か2年の頃に社会を習った記憶がある。
優しく厳しい先生で、好きな先生だった。
もし、その先生が死んでいなければ、兄貴は福井から来なかっただろう。
どうして生きている時には会いに行かず、死んでから会いに行くのだろう?
生きている時は会いたいと思わないのに、死ねば最後の一目をみたいというのか。
普段から、今までの知り合い全員を気にすることは非常に難しいし、不可能だ。
ただ、死ぬことで人が集まるということは非常に皮肉なことだと思う。
私は死を意識することは多いが、ここまで真剣に考えたのは久しぶりだった。
私が死んだら、何人駆けつけてくれるのかな?あなたが死んだら、私は駆けつけるのかな?
そんな思いの日であった。
忘れる事も、故人に対しての敬意かも知れない。