ラオスの長い雨季も最近は雨が少なくなり、早い乾季の到来ではと思わせるような強い日差しが
続いていますが、日本の残暑は如何でしょうか?日本で云うお盆明けの18日より私が住んでいる
ポンソワンから30分と近い、ペク郡ナークン村に行ってきましたのでご紹介します。
シエンクワン大平原


上下 シエンクワンに住んで約2年3ヶ月になりますが、こんな近い処にこんな雄大で素晴らしい景色が
見られるとは思いもしませんでした。シエンクワン大平原は東西40数km南北20数kmと広く、この大平原の
北寄りと南寄りに国道が走っていますが、大平原の真ん中は農道しかなく地元の人もこの素晴らしさは
知らないと思います。ナークン村は大平原の中心より東側にあり、丘に上ると360度見渡せ広大な広さと
見飽きない雲の美しさがあります。左の写真は東を、上のの写真は南を見た処です。ここは海抜1000m以上あり、
更に高さ50m位の放牧地になっている丘が連なり、谷間には水田や畑小さな村が点々とありました。


上下 ナークン村は3地区からなり、人口279人53世帯で上の写真が中心の地区になっていて、
我々もこの地区にある集会場を宿舎兼啓蒙教育の場所となりました。町に近いせいか電気が
来ていて多くの家々でTVアンテナを見ました。右は自宅の庭に茣蓙を引き、茣蓙の上には水差しと、
切り身のパイナップルがお皿にあり、家の中より木陰のほうが涼しいのか、親子共々ノンビリと
お喋りをしているラオスらしい風景を垣間見ました。2日後2軒の農家を訪問した時、
電気代の領収書を見る機会があり、100wの蛍光灯しかない家は月々60~70円、
TV・冷蔵庫・扇風機があった家は130~140円の支払いでした。

上 1日目の夕方、村の西側を流れる川を約100頭の牛が放牧場から川を泳いで、
牧舎に帰るのにぶつかりました。牛を追っているのはカーボーイならぬシン(ラオスのスカート)を
はいたご婦人でした。
続いていますが、日本の残暑は如何でしょうか?日本で云うお盆明けの18日より私が住んでいる
ポンソワンから30分と近い、ペク郡ナークン村に行ってきましたのでご紹介します。
シエンクワン大平原


上下 シエンクワンに住んで約2年3ヶ月になりますが、こんな近い処にこんな雄大で素晴らしい景色が
見られるとは思いもしませんでした。シエンクワン大平原は東西40数km南北20数kmと広く、この大平原の
北寄りと南寄りに国道が走っていますが、大平原の真ん中は農道しかなく地元の人もこの素晴らしさは
知らないと思います。ナークン村は大平原の中心より東側にあり、丘に上ると360度見渡せ広大な広さと
見飽きない雲の美しさがあります。左の写真は東を、上のの写真は南を見た処です。ここは海抜1000m以上あり、
更に高さ50m位の放牧地になっている丘が連なり、谷間には水田や畑小さな村が点々とありました。


上下 ナークン村は3地区からなり、人口279人53世帯で上の写真が中心の地区になっていて、
我々もこの地区にある集会場を宿舎兼啓蒙教育の場所となりました。町に近いせいか電気が
来ていて多くの家々でTVアンテナを見ました。右は自宅の庭に茣蓙を引き、茣蓙の上には水差しと、
切り身のパイナップルがお皿にあり、家の中より木陰のほうが涼しいのか、親子共々ノンビリと
お喋りをしているラオスらしい風景を垣間見ました。2日後2軒の農家を訪問した時、
電気代の領収書を見る機会があり、100wの蛍光灯しかない家は月々60~70円、
TV・冷蔵庫・扇風機があった家は130~140円の支払いでした。

上 1日目の夕方、村の西側を流れる川を約100頭の牛が放牧場から川を泳いで、
牧舎に帰るのにぶつかりました。牛を追っているのはカーボーイならぬシン(ラオスのスカート)を
はいたご婦人でした。


上 副村長の居間に村長他村の世話人が集まり、シートを敷き支援物資を世帯数分に分け、
名簿を作り、一世帯ひと山10枚程度の衣類やバッグを配っていました。
写真のように皆さん非常に喜んだ顔をして自宅に持ち帰りました。
何時もは我々が引き揚げた後に配っていましたので、この様に喜んで頂き此方も嬉しくなりました。


下 早速子供達は気に入った服を着ていました。


下 ラオスよりー27で紹介しましたノンヘン村に6月12日行ってきました。
この村の小学校が廃校になり、隣村の学校に全員通学する事になりました。
この学校は(下の写真)近隣5村の子供達234人が6教室で授業を受けています。
当日、5村の村長と先生に集まっていただきました。そして、
各村長には衣類や玩具を先生には文房具を差し上げました。
これらの支援物資は中部電力さんから贈られた32個の段ボール入りの約半分にあたります。
私の独断と偏見で、私がラオスにいる間シェンクン県内の地域に日本此処にありと云う様な足跡を作ってみたいなと
思っているわけです。その一つがノンヘン地域です。最初の日本とのかかわりはビエンチャンの
日本料理店や日本にあるラオス料理店にこの地域出身の人達が働いていますし、昨年10月ノンヘン村で
支援活動をした折に、15世帯の電敷工事を依頼され、中部電力の川口会長の寄付で
100wの蛍光灯がつき皆さんに喜ばれ、今回はこの村を含む5村に支援物資を贈り感謝されました。
贈呈式でカムセン校長が答礼の中で生徒が増え二部授業をしている学年があるので、4教室を作って欲しいと要望されました。
8000$位で出来る話をしていましたが、何方かラオスに学校を建てませんか?作りますと感謝の印として入口に日の丸と寄付された方の
名前入りの看板が立ちます。それだけです。
集合写真は5村の村長と校長・先生方です。ビニール袋の中は中部電力社員・家族の方々から贈られた衣類や玩具です。

