モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

心の変化

2022-12-17 08:27:06 | 総大会
喜びの便り 12月17日
心の中に大きな変化を経験したか
(キリストによって完全になる ジョンソン長老)


以前は‟幸せにしてくれるもの”を探し求めました。
福音を知って‟幸福を妨げるもの”について考えるようになりました。
そのことは心に大きな変化をもたらしました。

福音では幸福を妨げるものを‟罪”と呼びます。
それを取り除くことを‟悔い改め”といいます。


「幸せとは」
考えさせられる面白い記事でした。

https://hare-media.com/295/
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神が命じた

2022-12-17 08:19:50 | モルモン書
主の道 12月17日
「神が…命じたのかどうか、必ず分かるだろう」ヒラマン9:2


‟祈り”は神の命じたことでしょうか。

祈りとは‟神との会話”です。
会話は、心を向け、語り掛け、
返事を聞くことで成り立ちます。

神に心を向け、語り掛けます。
それだけでは会話とは言えません。

返事を聞くことで会話が成立します。
それが祈り(神との会話)です。

そのときに初めて‟神が命じたのかどうか”を
知ることができます。
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恥じる その3

2022-12-16 08:02:35 | 福音について
喜びの便り 12月16日
恥じる その3


「霊と肉体が共になくなってしまえば…」アルマ36:15
そう願うほどに、アルマは神の前に自分を恥じました。

わたしも消えてなくなることを願ったことがあります。
「それができれば楽になれるのに…」

残念ながら、自分の存在が消えてなくなることはありません。
誰もが永遠に自分という存在と付き合わなくてはならないようです。


そうであれば残された方法は一つしかありません。
‟自分が変わる”ことです。
そのために悔い改めがあります。

変わりたいと望むなら、福音は喜びとなるでしょう。
福音はそのためにあるからです。
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恥じる心

2022-12-16 07:39:47 | モルモン書
主の道 12月16日
「このことにおいてあなたがたは罪を犯した」ヒラマン8:24


神の前に恥じる気持ちがあるとしたら
そこには罪があります。

「永遠の命とは…神…と…イエス・キリストとを知ることで…す」ヨハネ17:3
神を知るとは、‟神の前に恥じる心”を
知ることのようです。

「預言者は‟自分の思いが主の思いと違ったとき”
 恥じて悔い改めるのでしょうね」
 「いつも違っているわたしたちはどうなるのでしょうか」
「悔い改めるしかないですね」
 「いやぁ、それは大変だぁ」
最近、そんな話をしました w

「あなたがたは…わたしのようでなければならない」3ニーファイ27:27
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恥じる その2

2022-12-15 05:40:27 | 福音について
喜びの便り 12月15日
恥じる その2


真夜中に夫婦ゲンカの声が聞こえてきました。
あまりにも大騒ぎをしたもので警察が呼ばれました。

近所の人たちが言いました。
「恥ずかしくないのかしら」

いえ、恥ずかしかったようです。
それ以来、そんな大騒ぎを聞かなくなりましたから w

人は恥じる心があるときに悔い改めるようです。
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