手足を切る [魏博牙軍討滅]
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「全忠様の援軍は来たか」
「馬嗣勳が千人とともに婚礼道具を運ぶと称して入城しています」
「武器庫の弓のツルは切ったか」
「甲冑のひもも切断して着用できなくしております」
「よし今夜決行だ」
唐の末 天祐三年正月
魏博節度使羅紹威は部曲(直属の兵)を率いて、その牙軍(節度使の親衛軍)に襲いかかった。
魏博の牙軍は代々親族関係を結び、気にくわない節度使があると乱を起こし殺害、強迫を繰り返してきた牙軍だ。
しかし予期しない内部からの攻撃に応戦できずバタバタと倒れていく。
狼狽から覚めると「武装しろ、兵器庫へ向かえ」と牙兵達
しかしそこには使い物にならない武具がころがっているだけだった。
「家族も見逃すな、皆殺しにしろ」
援軍に来た朱全忠の兵は容赦がなかった。
女幼児を含めて数万の牙軍と家族は皆殺しになっていった。
「紹威様、城内の牙軍は一掃しました」
凶暴な牙軍はいなくなり、紹威の地位が脅かされることはなくなった。
「よし外鎮の兵達には帰順するように布告せよ」
しかし親族・友人を虐殺された外鎮の兵達は反乱を起こして従わなかった。
全忠の強力な支援で鎮定した時、魏博にはもうまともな戦力は残っていなかった。
「自分で自分の羽翼を切り取ったようなものだが」
紹威は自嘲しながら、全面的に服従するしかなく全忠の元へ入朝して行った。
*******背景*******
田承嗣が形成した牙軍は、自分達で婚姻関係を結び結束し、節度使に対抗するようになっていた。田興・史憲誠・何進滔・韓允忠・樂彥禎・羅弘信と代々の節度使は牙軍が擁立したものであり、節度使は常に牙軍の意向を伺わねばならなかった。
弘信の跡をついだ紹威の地位も不安定であり、二年七月には牙將李公佺が謀反し逃亡していた。
紹威は自力では牙軍を抑えられないため、宣武朱全忠に依頼した。
全忠は七万を動員して魏州に入り、先鋒として馬嗣勳を魏州に潜入させた。
紹威は使府の牙軍を討滅することはできても、外鎮軍の反乱鎮圧には手が回らなかったのだ。
全忠軍は容赦なく魏博外鎮を征討し、外鎮軍も徹底抗戦した。
終了後、魏博にはまともな戦力は残っておらず、紹威は全忠の傀儡となってしまった。
懼れた紹威は全忠に媚びて、その即位を勧請した。
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