唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

開元九~十年  西暦721~22年

2020-07-22 10:00:03 | Weblog
開元九年  西暦721年
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正月,括田。
免税の貴族寺院の荘園に逃亡する農民(逃戸)が増えて、公田は荒廃し、残る農民の租税負担は増大するという悪循環が生じていました。国家財政の再建の為に逃戸の追及が必要となりましたが、それをする官僚達こそ逃戸の受益者でした。

宇文融等が括田を実施、八十万人を見つけたと称していますが、大半は州縣のごまかしでした。

四月庚寅,蘭池胡康待賓寇邊。
突厥の一族蘭池胡が反しました。

四月戊戌,敕:「京官五品以上,外官剌史、四府上佐,各舉縣令一人,視其政善惡,為舉者賞罰。」
地方官の引き締めを強化していますが、名門貴族は地方官になりたがりません。

十月癸亥,天兵軍節度大使張說為兵部尚書、同中書門下三品。
玄宗初期の政治への熱意も薄れ、姚崇・宋璟が退役し、張說の時代となってきました。

開元十年  西暦722年
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正月丁巳,如東都。
京師の食糧事情(關内では自給できなかった)から東都へ行幸することが増えてきました。

八月甲戌,杖秘書監姜皎六十,流欽州,弟吏部侍郎姜晦貶春州司馬。
武惠妃に耽溺した玄宗が、王皇后を廃そうとした案が洩れ、姜皎に責任転嫁しました。
[武后を廃そうとした高宗が失敗し、上官儀に責任を押しつけたことに似ています]

九月己卯,京兆人權梁山反,伏誅。
留守にしている京師で名門の子弟を中心に軍乱が起き、驚いた留守王志愔は頓死しました。乱の根は深いものでしたがあまり追及せず収めました。

九月癸未,吐蕃攻小勃律國,北庭節度使張孝嵩敗之。
孝嵩は吐蕃を大破し、吐蕃は少しおとなしくなりました。

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