擁立される [田興の悩み]
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元和七年魏博節度使田季安が32才で卒した。
河北三鎭の一つ魏博節度も承嗣.悅.緒.季安と4代続いていた。
承嗣・悅は反唐姿勢が明白だったが、唐より嘉誠公主を降嫁してもらった緒の代よりあいまいになった。
公主を義母とした季安は若くして継承し、反唐の成德王承宗を陰で支援したりしたが、成德・淄青・淮西の反唐同盟には属さず、両端を持していた。
そして乱行と深酒のため若死にしたのである。
継承すべき子の懐諫はまだ11才である。
当然藩鎭圧迫策を行う憲宗皇帝はなかなか継承を承認しない。
驕兵である牙軍もさすがに動揺している。
季安の卒後まもなく、いちおう懷諫を擁立はしたが、実務は家奴の蔣士則が取っていた。
「士則のやつ、奴隷のくせにえらそうに俺達に指示しおって」
「戦乱が続くこの時期、小僧に節度使がやれるのか」
「都指揮使の興様こそふさわしい」
数千の牙兵が、田興の屋敷を取り囲んで気勢を上げている。
「しかし俺は傍系だ、嫡流の懷諫を押しのけることなどできん」
と儒学を学んだ興は名聞にこだわる。
「そんなことでは牙軍に田一族が追い出されてしまいますよ」と側近
そこで興は出座して、説得しようとするが、牙兵達はいきり立ち、自立を要求する。
しかたなく興は言った。
「魏博六州を皇帝の支配下に移すつもりだ、それと懷諫様に危害をくわえるな」
「そのことを皆が承知するなら俺が節度使になる」
オーッと深く考えもせず牙兵達は歓声をあげ承認した。
興は自宅に帰り一人悩んだ。
「朝廷は継承をなかなか認めない、まして正統ではない俺を認めるだろうか?」
*******背景*******
田興は田一族であり、父庭玠は軍事を好まず文官として働いていた。興も儒学を学んだが、指揮使となった。將士に人望があり季安の疎まれ、外任に出されていたが、懷諫継承時に都指揮使として抑えの地位に就いていた。
季安は成德王承宗の反乱を指嗾し、憲宗の征討命令には従わなかったが、正面からの敵対行動にはでていなった。暴虐であり深酒もあり將士のうけはよくなかったが、代々の田氏の統治と、公主の養子であるということからなんとか地位を保っていた。
魏博の牙軍はこのころから専横さが強くなり、武寧軍と並んで非常に扱いにくい驕兵になっていく。