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薛嵩伝
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嵩は絳州萬泉の人。
祖仁貴、父楚玉[平盧軍節度使]とも将軍として有功。
嵩は武官の名門であり蔭位で任官したが、放蕩し無学であり、騎射に通じた。
安史の賊党に属し活躍し
乾元元年.安慶緒の使いとして史思明の蹶起を促す。
史朝義下では相州[鄴郡節度使]を守る。
寶應元年十一月.朝義が敗走すると、副元帥僕固懷恩に降り相州を安堵される。
二年正月.檢校刑部尚書相州刺史充相衛邢洺貝磁六州節度觀察使となる。
治政に勤め復興の実をあげ稱される。
大曆初、封高平郡王實封二百戶。相衛を昭義軍と賜號される。
三年閏六月.檢校右僕射。改封平陽郡王。
大歷八年正月/七年年正月卒。贈太保。
蹴踘を好んだ。
薛嵩伝
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嵩は絳州萬泉の人。
祖仁貴、父楚玉[平盧軍節度使]とも将軍として有功。
嵩は武官の名門であり蔭位で任官したが、放蕩し無学であり、騎射に通じた。
安史の賊党に属し活躍し
乾元元年.安慶緒の使いとして史思明の蹶起を促す。
史朝義下では相州[鄴郡節度使]を守る。
寶應元年十一月.朝義が敗走すると、副元帥僕固懷恩に降り相州を安堵される。
二年正月.檢校刑部尚書相州刺史充相衛邢洺貝磁六州節度觀察使となる。
治政に勤め復興の実をあげ稱される。
大曆初、封高平郡王實封二百戶。相衛を昭義軍と賜號される。
三年閏六月.檢校右僕射。改封平陽郡王。
大歷八年正月/七年年正月卒。贈太保。
蹴踘を好んだ。