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劉悟伝
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悟の祖父は平盧節度使正臣、叔父は宣武軍節度使全諒。
宣武軍牙將となるが、法を犯し潞州に逃亡。
昭義軍節度使王虔休の將となる。
しかし病となり東都に帰り、全諒の資産を蕩尽して豪遊し不法投獄。
東都留守韋夏卿に釈放され、淄青節度使李師古[同じ平盧軍系]に引き取られる。
師古に評価され親族に加えられ牙將となる。
師道が反し、曹州に屯して寛大で人望あった。
淄青節度都知兵馬使兼監察御史となる。
十四年.憲宗皇帝の淄青討伐が始まり、魏博節度使田弘正が陽谷から、盧縣を取った。
悟は主力軍を率いて阿井に防いでいたが、小心な師道は疑心暗鬼の状態にあった。
二月.師道が悟を殺そうとすると、不利な情勢を知る諸将と共に反し、鄆州を襲撃し師道一族を殺した。
弘正に降り、檢校工部尚書兼御史大夫義成軍節度使.封彭城郡王實封戶五百となる。
最初、淄青節度使を継承できると思っていた悟だが、憲宗皇帝が許すはずもなく、麾下の二千の兵と幕僚をつれて赴任した。
元和十五年正月.入朝,進檢校兵部尚書。
穆宗立,検校右僕射。
十月.魏博へ移る李愬の後、檢校右僕射兼潞州大都督府長史充昭義節度澤潞邢洺磁等州觀察等使に移る。
長慶元年七月.幽州朱克融の乱で、節度使張弘靖が囚せられると。
檢校司空兼幽州大都督府長史充幽州盧龍軍節度副大使知節度事として後任となるが邢州に至ったとき。
成德王廷湊も自立したため入れなかった。
一応、兼幽鎮招討使となり邢州に屯し、臨城を囲むが観望。
昭義軍節度使に戻る。
二年二月.不仲な監軍劉承偕に解任を計画され幽囚する。
三月.承偕は貶され,悟は専横となり、高言し亡命者を集めるが、
惰弱な皇帝と姑息な宰相達はこれを抑えることができなかった。検校司徒。
三年九月.同平章事。
寶曆元年八月/九月,師道の祟りを怖れて仏道に浸りやがて卒した。
贈太尉。
劉悟伝
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悟の祖父は平盧節度使正臣、叔父は宣武軍節度使全諒。
宣武軍牙將となるが、法を犯し潞州に逃亡。
昭義軍節度使王虔休の將となる。
しかし病となり東都に帰り、全諒の資産を蕩尽して豪遊し不法投獄。
東都留守韋夏卿に釈放され、淄青節度使李師古[同じ平盧軍系]に引き取られる。
師古に評価され親族に加えられ牙將となる。
師道が反し、曹州に屯して寛大で人望あった。
淄青節度都知兵馬使兼監察御史となる。
十四年.憲宗皇帝の淄青討伐が始まり、魏博節度使田弘正が陽谷から、盧縣を取った。
悟は主力軍を率いて阿井に防いでいたが、小心な師道は疑心暗鬼の状態にあった。
二月.師道が悟を殺そうとすると、不利な情勢を知る諸将と共に反し、鄆州を襲撃し師道一族を殺した。
弘正に降り、檢校工部尚書兼御史大夫義成軍節度使.封彭城郡王實封戶五百となる。
最初、淄青節度使を継承できると思っていた悟だが、憲宗皇帝が許すはずもなく、麾下の二千の兵と幕僚をつれて赴任した。
元和十五年正月.入朝,進檢校兵部尚書。
穆宗立,検校右僕射。
十月.魏博へ移る李愬の後、檢校右僕射兼潞州大都督府長史充昭義節度澤潞邢洺磁等州觀察等使に移る。
長慶元年七月.幽州朱克融の乱で、節度使張弘靖が囚せられると。
檢校司空兼幽州大都督府長史充幽州盧龍軍節度副大使知節度事として後任となるが邢州に至ったとき。
成德王廷湊も自立したため入れなかった。
一応、兼幽鎮招討使となり邢州に屯し、臨城を囲むが観望。
昭義軍節度使に戻る。
二年二月.不仲な監軍劉承偕に解任を計画され幽囚する。
三月.承偕は貶され,悟は専横となり、高言し亡命者を集めるが、
惰弱な皇帝と姑息な宰相達はこれを抑えることができなかった。検校司徒。
三年九月.同平章事。
寶曆元年八月/九月,師道の祟りを怖れて仏道に浸りやがて卒した。
贈太尉。