いつも寝不足 (blog版)

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謎の儀式 北信流

2008年01月14日 | 雑記
文化圏でいう北信(地理的北信から大北を除いた地域)には北信流なる謎の儀式が受け継がれている。北信に住んである程度経った者であれば、一度ものこの儀式に出会ったことのない者など考えられない儀式ではある。しかし、ひとたび域外の者に説明するとなるとこれほど謎の儀式もなかなか無いのではないかという気がする。

すごーく簡単に細かいことを頓着せずに述べれば、宴席の半ばにおいて、招待された側の代表が招待した側に対して(※)、「この度はお招きいただきましてありがとうございます。招待された者はこれこれの手土産(肴)を持参しましたのでお受け取りください」といった口上を述べるとともに、招待した側は「これは結構な手土産をありがとうございます」という口上とともに手土産を宴席参加者に披露するという儀式。このやりとりに付随して献杯返杯および謡いもしくは詩吟が付加される。
(※)反対に、招いた側が「この度はわざわざお出でいただきありがとうございます」と始まるパターンもある。葬式なんかはこっち。

宴席なので献杯返杯が省略されることはないが、謡いや詩吟は省略される傾向にあるようだ。と言うか、謡いや詩吟が付加される北信流には数回しか出会ったことがない。宴席と一口に言っても様々な種類のものがあり、結婚式のようにめでたいものから葬式のようなものまで様々。その時々にあった謡いや詩吟ができる者がいる方が稀な話で、今では単純に献杯と返杯の儀式になっているように思う。

口上も慶事と弔事では異なる訳なのだが、とっさに何と言えばいいかなんて普通の人が憶えているわけもなく、大概は式場がカンペを用意しておいてくれる。それに従って式次第が進行し、取り敢えず宴席の形式は整ったことになり、長居をしたくない人は北信流が終わると退席できるし、そうじゃない人は酒食をそのまま楽しんでOK。

招待側もここからようやく自分の席に座って食事を取ることができる。それまでは招待した人たちの間を回って献杯返杯の連続で空きっ腹に酒ばっかり入ってくることになって、酒の弱い人にとっては地獄かもしれない。私は酒が強い方なので問題ないが、弟が父親の葬式(※)で死にそうになっていたのを見て、そう思う。
(※)もっとも、私も一番最後に出てくる蕎麦以外は全く手つかずだったけど。

宴席参加者の年齢が低い場合は比較的簡単に済む北信流も、明治生まれの人(その親は江戸時代生まれだったりする)が多くを占めた頃には、昭和生まれの私には全くもって謎の儀式としか思えなかったのを思い出す。だって、ダメ出しが出るんだぜ参加者から。そんなのほっときゃいいじゃんと思うのだが、年寄りたちには何が居心地が悪かったらしく、一部やり直しになったのを何度か見ている。

じゃぁ、参加者が北信流の一部始終を真剣に見守っているかというとさにあらずで、北信流が始まる当初こそ静かにしているものの、口上が始まったら聞いてる人の方が少ないと思う。酷い時には取り敢えず北信流だけ進めちゃえって感じ。まぁ、それは祝いの宴の時なので何をやっても目出度いから問題ないんだろうけど。

そういった謎の儀式が北信流なのだが、今でもあらたまった宴席では少なからず実行されていて、そもそも、この儀式は何のために行われているのかさえ不明なのだが、取り敢えず、これはやっておかないとあらったまた宴席ではないという感じで取り敢えず行われてはいる。

P.S. ここまで何となく否定的な感じで書いてしまったが、もちろんプラス面もあって、特に弔事の場合、不幸のあった家の者に過度の負担を掛けないで済む。つまり、北信流の後は寄り合った者が勝手に故人を偲んだりしているのであって、それは喪主などとは無関係のこととみなされる。

これは故人の家族としてはありがたいことで、臨終から通夜、葬儀と気の休まることがなく、葬儀の後は初七日やら四十九やらの心配をしなければならない身としては取り敢えず休める時でもある。言い換えると、そう持っていくのが親戚筋の役割であって、このあたりの心遣いのできない者は馬鹿と言われても仕方ないと思う。

え? うちの場合? 

うちの場合、父親のいとこは気の利いた人たちでしたよ(※)
(※)このあたりのことで思ったことはいずれ書くつもり。

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