クワトロ郎

人生の彩りをアレコレ描いたり、歌ったり、知恵しぼったり、
牛乳しぼったり、  ん?  てな具合で
オヤジギャグ三昧

「もう半分過ぎたのか。早いネェ」という表現から考えた

2012-07-10 22:30:18 | 雑感
7月にどっぷり入ってしまい、タイミングを逸してしまったが、書いておこう。えーと、それと、最近、公私忙しくて、じっくりとぼーっとする時間が取れないので、ブロイラー状態。・・・・・わかんねぇか?飼育されっぱなし、で自主性が無いってこと。こまごまとした時間にちょこっと考えるんだけど、考えがまとまらないうちにタイムアップ。こまめにキーワードのメモは取っているんだけど、随分貯まってしまったので、少しずつ小出しにしながら、考える、という贅沢な時間を取り戻したいね。

さて、一年も半年を過ぎると、もう半分過ぎたのか、時間の経つのは早いね、とよく言うね。じゃあ、6月スタートだと思えばいいじゃん。まだ、1ヶ月しか経っていない。どこを基点にするかで、そんなもんどうにでもなる。7月スタートだったら、6月はもう一年の締めくくりだ。なんとなく気が急いてこないかい?

かように、見方を変幻自在にあやつれるようになると、世の固定観念に縛られた仕組み、ルールの脆さや本質的でない部分が見えてくる。

ここでワンポイント・レッスン。あなたは、ラッキーにも、すでに12月になってしまっていたのに、タイムマシンで、半年前に戻れたのだ、と思ってごらん。ということは、豊饒で濃密なこれから始まる6ヶ月間を手にしたも同然なのですぞ。

かように、見方を変幻自在にあやつれるようになると、本質が見えてきて、次のアクションにつなげ易くなるのです。

人間と動物をわけるものは、高度化された言語能力を持つかどうかである。それが有効に使われた場合、そのポテンシャルは無限である。しかし、有効に使われない場合、動物にもう少し毛が生えた程度にしかならない。

原子力発電が日本の電力の4分の1を供給しているという時、僕も私も電気を今までの4分の3しか使わないから、原子力発電を廃止してください、という声が聞こえてこないのは、あと何本、毛が足りないからだろうか。