私は過去に自殺者の顔を二度見たことがある。
いずれも葬式の際の対面なのでことさら奇怪な出来事ではない。
一度目は33年前、高校の同級生Y君との対面だった。
死因は農薬服毒自殺。
Y君はまだ二十歳を過ぎたばかりだった。
焼香の後、私はなにも考えずに棺桶の中のY君の顔をのぞきにいった。
まだ葬式の経験も少なく、それが礼儀だと思っていた。
棺桶の遺体の顔の位置にあるのぞき窓を開けた。
そこには、あり得ないほどどす黒いの顔になったY君がいた。
悶絶の顔をしていた。
苦しみの絶頂、顔をゆがめたまま固まっていた。
のけ反るほどの衝撃を受けた。
見たことを強く後悔した。
それから10年近く、たびたびその顔が夢に出てきた。
それ以降、葬式では死因に関わらず死者の顔は見ないことにした。
二度目は15年前、趣味で知り合った友人との対面だった。
死因は首つり自殺。
私よりも15歳ほど年配の中年男性である。
祭壇の前には棺桶が二つ並べられていた。
本人とその奥さんの棺桶である。
公にはされていないが、奥さんを巻き添えにしての無理心中だったようだ。
そのことが原因してか、式場にいる親族は二十歳にも満たない娘さんひとりだけだった。
線香を上げにいくと、棺桶の横に座っていた娘さんが切実な声でこういった。
「喜びますので、どうか二人の顔を見てやってください」
それは、お願い、ともとれるような気丈な態度だった。
私は、寸刻、ためらいを悟られないようにあらがった。
見たくない。
まともな死に顔でないことはわかりきっている。
こんな死に方をして、なぜ見てくれというのか理解に苦しむ。
自ら命を絶った者の顔を見て、死者がどう喜ぶというのか。
それとも、私はなにかを試されているか。
まさか物言わぬ死者に面通しでもさせようというのか。
具体的なことは語れないが、そう思わせる理由がなかったわけではない。
もちろん、私にやましいことはない。
ただ、自殺の理由と、奥さんの生前の特殊な能力を知っているがゆえの困惑であった。
ほんの数秒の間に幾多の疑念が湧き上がった。
しかし、ああ言われては断れない。
腹をくくるしかない。
仕方なく棺桶ののぞき窓を開けることにした。
観音開きの小さな扉を開ける。
まず、ご主人の顔を見る。
次に、奥さんの顔を見る。
どちらとも恐れていた通りの顔だった。
苦しみなのか、恐怖なのか、目は閉じられているにもかかわらず、私の脳裏に投影された
写象は、いびつに目を見開いた悶絶の顔だった。
茶髪なんて一時の流行で良くない。
良くはないが、だからと言って中身まで悪いなんて何故言えるんだ。
サッカーや野球、オリンピックで活躍している選手たちの、顔の表情と
目を見てみろと言うんだ。
あの目の輝きを持った者たちが滅びる訳がない。
若い者に任せなきゃダメだ。
若返りしなければ日本は良くならない。
いきつけの床屋さんに髪を切りにいく。
店主と共通の知人の〇〇さんの話になる。
店主はいう。
「〇〇さんが最後に来てもう5~6年経つかな。髪を切ったあとに自分の家が
わからなくなってね。帰れなくなられたとですよ」
「ボケられてしもうてね。髪切っているときも同じ話を何度もされるとですよ」
と、私が床屋に行くと、店主は同じ話を何度もする。
今を思えば昨日の夕方から不穏な空気が漂っていた。
そして今朝。
なんのことはない住宅の下検査から事件は始まった。
不意を付いて連続するトラブル。
すべて仕事がらみのトラブルだった。
なんだろうこの負の連鎖は、
不可視のハーレー彗星でも通過しているだろうか。
こういう日はただひたすらこもるに限る。
地下100mのシェルターにでもこもりたい気分だ。
そこまで逃げればハーレー彗星の毒蛾も及ばないだろう。
くわばら、くわばら。
なんのこっちゃ~
つい今しだかの話。
まだ仕事中であった。
携帯電話が鳴り出した。
私の知り合いにこんな時間にかける人はいない。
番号を見る。
知らない番号。
いつまでもなり続けている。
近くにオカンが寝ていたので出るわけにはいかない。
身に覚えはないが、もしかして、
知られてはまずい人かもしれない。
まだなり続けている。
取りあえず、オカンを追い出した。
しかし、ここまでなり続けると不気味である。
鳥肌が立ってもう出れなくなってしまった。
しばらく戸惑っているうちに電話は切れた。
着信に残った番号は携帯の番号ではなかった。
0986から始まる固定電話の番号だった。
市外局番を調べると宮崎県だった。
宮崎には知り合いは誰もいない。
間違い電話なんだろうけど、深夜の電話は怖い。
ダークな想像に支配されて縮こまってしまった。
寒い。
もう風呂は入って寝ろっ。
うちのばあさんはテレビを見るとテレビの筋道は二の次に
登場する芸能人の容姿をあれこれ言いだすのだった。
ほとんどが年齢に関することである。
この人は自分と年が近いとか、
この人はとても若く見えるとか、
この人は急に老け込んでしまったとか。
横で聞いていて、そんなことどうでもいいだろう、と思うのだった。
…それからうん十年後。
まだ、ばあさんの年には近づいていないが、
あの頃のばあさんの気持ちがよく分るようになった。
最近、テレビに映る芸能人の老化がやけに気なるのだ。
それこそ、ドラマやバラエティーの筋道そっちのけで、
この人、私より上なのになんでこんなに若いの、とか、
この人、最近急激に老けたんじゃないの、とか、
この人、いつのまにかじいさんになったよな、とか、
そんなことばかりに目が向くようになった。
今日も思った。
石坂浩二はやたら若いよな。
20年後、自分もあのくらい若さを維持できてたら最高だよなぁ~
ってね。