プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

稲垣秀次

2017-04-13 00:10:47 | 日記
1982年

異色の経歴を持つドラフト外戦士たち。稲垣は田中土質基礎研究所という草野球チームのエースだった。それがなぜ巨人に? 話は今年の夏前のこと。岩本スカウト担当補佐のもとに早大野球部時代の片岡先輩から電話が入った。「調布のバッティング練習場で技術指導しているんだが、ちょっと面白い子がいる」と。早速、岩本氏が出向き見てみると「これがパンチもあるし、いいバッティングもしているんだ」すぐに多摩川に呼び、二軍首脳が試験。強肩、強打、鍛えれば面白そう、と草野球エースの巨人入りが決まった。硬式経験はないが、球歴は華やか。調布二小時代は荒木大輔(ヤクルト)とともに調布リトルに参加。調布三中に進むと中日入りした宮下(神代中)と三多摩地区の双へきと呼ばれた。が、志望高校に不合格、一転して就職する。それでも「いずれはプロに」と思いながら草野球で腕をみがいたという。軟式出身者は専売鹿児島の栄村も同じ。もっとも、こちらは定岡三兄弟の母校・鹿児島実業出身。中日にドラフト一位で入団した鹿島のバックで二塁を守り、二度甲子園に出場。三年のときにはドラフト外で数球団から声がかかったが「野球でメシを食う気になれなかった」と専売公社へ。二年間軟式野球で活躍し、巨人からの誘い。「あこがれの巨人だったから」とプロ入りに踏み切った。軟式から硬式へ、慣れるまでは大変だろう。しかし、かつての巨人のエース・大友、東映の土橋、最近では大洋・高木嘉、広島、大野と軟式出身の成功者もいる。彼らが第二の大友、土橋にならないとも限らないのだ。一方、京都商の堀田は高校を四年間通った。一年のときヒジを痛め、蓄のうを手術をしたため出席日数が足りず留年、三年生の今年はコーチとして練習に参加した。しかし、二年の昨夏、甲子園大会で三番打者として暴れ回ったことは記憶に新しい。松尾もまた大洋、ヤクルトの誘いを振り切り、巨人のテストを受けている。これらの異色の人材がどう育つか、現場コーチの腕の見せどころになるだろう。

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