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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

若生忠男

2016-12-05 19:50:55 | 日記
1966年

「防御率は・・・」相手の言葉を待たず「この試合をいれないで1・59」と答え「規定回数に・・」というと、また自分で相手の口をおさえて「あと四十イニング」。まるで小学生が得意になって先生の問いに答えるように、胸を張っていい、大声を出して笑う。「この年になっても(プロ入り十二年目、二十八歳)やはり第一位というのは魅力があるからね。でも優勝がかかっていれば、そんなぜいたくはいえんよ」数秒のうちに得意顔は消えていた。「若生がよくやってくれるよ」と中西監督がいったのは二日、一週間ぶりに福岡へ帰ってきたときだ。「池永正が肩が痛いといい、柱になる田中勉がもう一つ安定しない。与田、清に五、六月ごろの元気がない。若生と稲尾がいなければどうなったか・・・」若生は「決して調子がいいわけではない」という。それでも4連勝。相変わらず打てない打線を引きつれて、稲尾とおもにがっちりマウンドを守る。「オレは皆川と同じさ」という。「打てそうにみえて打たせないんだ」一度グルッとバック・スクリーンの方に向かってから投げる奇妙なフォーム。これほど打者にいやがられるフォームはない。だがことしはそのフォームを変えているという。「スタンドからみていてはいままでと変わっていないとみえるだろうが、クルッと後ろを向いたとき、からだをとめないでそのままなめらかに投げるんだ。打者はなめてかかってくる。そこにストンと落としたり、キュッとシュートをかけたりするんさ」擬音入りの解説はこの日のピッチングにもいえた。「落ちたり曲がったり・・・。やっこさんたち(東映打者)驚いていたな。オレは打ちとってやろうなんて気はまるでない。りきまず変化球で真ん中へ勝負にいく。それがいいんだろうな」河村英文氏は「ピンチにあわてなくなったこと」を好調の第一の理由にあげた。「無死一、二塁の五回がいい例だ」という。「去年までの若生ならあそこでつぶれた。一死後左の代打三沢を外角に六球つづけて追い込み、最後は低めに内角カーブ。西園寺にも外角へ七球づつけて、とどめは内角シュート。二人とも手も足も出ない感じだった。これだけねばっこいピッチングは十二年間ではじめて」「頼むから二年ぶりの完封なんて書いてくれるなよ。恥ずかしいから」といったのは八月二十九日の近鉄戦。が、若生はもう恥ずかしがっていなかった。「力投とか牛耳ってやろうということは忘れた。打ちやすいように投げてやるんだけど相手が打たんのだよ」

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