プロ野球 OB投手資料ブログ

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井手元健一朗

2021-05-03 10:39:58 | 日記

1991年

創立70周年を迎えた四日市工の悲願が174㌢の左腕にかかっている。決して恵まれた上背とはいえないが、140㌔近いストレートを主体に強気のピッチングでこの春、チームを初めて県大会優勝に導いた。打者の手元で伸びるため、見た目以上に相手打者は手を焼く。天性ともいえる「手首の強さ」が速球を生み出している。創部以来初めて県の№1になって東海大会へ。その初戦、中京から11奪三振。失った1点は内野手のまずいプレーによるもの。切れのいいスライダーなど変化球もさえて、完ぺきに近い内容で名門を牛耳った。ネット裏に詰めかけたプロのスカウトも熱心に見守っていた。「練習試合もなかなかやってもらえない相手」と意気込んでいた尾崎監督を手放しで喜ばせた。準決勝の東海大工戦は同点にした9回の1イニングだけ。満を持して、結晶の愛工大名電戦に臨んだ。夏への弾みをつけるために「東海大会優勝」は格好のジャンピング・ボードだったが、名電には逆転負け。5回まではピシャリと封じ込んで2対0とリードしながら、6回に連続長短打を浴びてから悪い面が出てしまった。四死球を挟んで計4連打。内野手のまずいプレーも手伝って、一挙に6点を失った。昨秋の県大会の決勝リーグで三重に0対2で敗れたあと、悔しさから急性胃炎になったほど強気な性格。球場から病院に担ぎ込まれたという逸話がある。しかし、翌日はケロリとマウンドに立って、木本を3安打完封してしまうあたりは並ではない。このところ常に上位に顔を出す四日市工。87年、88年と2年続けて夏の大会決勝で涙を飲み、89年は準決勝で敗れたもの、昨年も決勝まで進んで、同じ四日市市のライバル校、海星に屈した。「背番号10」ながら先発した井手元だったが、5回で降板。センバツにつながる秋季東海大会も初戦で浜松工に4対5で惜敗。甲子園に手の届くところまで進みながら、あと一歩の壁が崩れないでいる。昨夏はエースではなかったものの、秋は主戦のマウンドで悔しさを味わった。そのことで精神的にも大きく成長した。「何もいわなくても、ウエートトレーニングなどに取り組んでいる。自己管理ができるようになった」と尾崎監督。その言葉を裏付けるように、昨夏は66㌔だった体重が4㌔アップした。精神的な成長が肉体にもいい影響を与えている。尾崎監督が「それでもまだ気負うところがある」と話すように、東海大会の決勝戦でチラリののぞかせた強気の虫‥一番の気がかりといえば気がかりだ。しかし、最上級生になり「間合いの取り方もうまくなったし、ピンチでもプラス志向のできる選手」と信頼は厚い。四日市市・大池中から「尾崎監督の四日市工にあこがれて」入学。水が合ったのかメキメキ力をつけていった。「中京に勝ったのは大きな自信になった」と胸を張る。決勝の敗戦については「もともと左打者が苦手なんです。名電のいい左バッター(深谷、鈴木ら)と対戦できて勉強になりました」やや上体に頼っているため、下半身をうまく使えるフォームに改造して夏に臨む。「最初は井手元におんぶしていたチームが少しずつ脱皮しつつある」と尾崎監督。とはいえ、四日市工の球速は井手元の左腕が握っている。


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