1953年
廿六年の都市対抗に大阪代表となった南海土建で松本(現南海二軍コーチ)とバッテリーを組んでいた大阪府予選決勝に5-3で日本生命を破り、本大会優勝戦には2-3と鐘紡に負けはしたが特異な下手投で注目を集めた。それまでは横手から投げていたが野球生活の振り出しは捕手である。福岡県田川高校時代強肩を買われてマスクをつけたが、たまたまある試合に投手が故障で出られず代わりに投げさせられた。球速も豊かでノビもあるというのでこれがきっかけで投手に転向。持前のナチュラル・シュート(強肩の選手にみられる意識せぬシュート)に磨きをかけ、横手からクセのあるシュートを武器に卒業後三井田川ー高倉鉱業と二年間ノンプロを歩いた。そして廿六年当時南海の二軍的存在だった南海土建に入った「下手投に変えたのはこのときです。練習を見にきていた柚木さん、筒井さんがちょっと投げてみた下手投の球をみていて下手投の方がいいから練習してみろといわれ、それから本格的に下手からの練習をしました」上下、左右に多彩な変化を見せる低目の球がウィニング・ショット。はじめてプレートに立った昨年は3勝2敗、19試合中完投1、救援10、先発1で勝率・600、防御率2・618。この成績について「まだフォームがぎこちなかったので制球も悪く、それに打たれるとムキになってしまうので完投がほとんどできなかった」と説明する。五尺八寸、十九貫近い立派な体格だが、いたっておとなしく、スマートな南海タイプ。生一本の真面目さがムキ出しだが、その生一本がピッチングに現れて今まで足ぶみしていたようだ。大神投手が「昨年七月ごろに四日市でやった近鉄戦に6点とられてから井上さんはあまり打たれていません」と先輩を語っているように昨年後半から次第に腕をあげて今シーズンのキャンプも人一倍熱心に走り、投げたという。この伸びかけてきた彼のピッチングに進境の拍車をかけたのはエース柚木の故障、それにつぐ中堅投手の不調である。これは彼個人にとっては天来の好機ともいえた打たれてもすぐ代えさせられない。また少しぐらいの不調は承知のうえで登板させられる。結局これが内に芽ばえかけた自信をぐんぐん育てあげた。7勝の大神にならび7勝2敗(10日現在)の好成績は天与のチャンスをしっかりとつかむまで試練に耐え抜いてきた力と汗の結晶であろう。三月廿五日近鉄一回戦に完投勝利投手となってから阪急、投球にそれぞれ一敗を記録しただけ、三回の完投に平均二・三点の失点は「打たれればムキになる」という欠点を一応克服したものとしてその努力は高く買われていい。「コントロールには自信がついてきたが威力のある球をもっと研究したい」という。柚木投手も「いい素質をもっているが、うま味が乏しい。若いからこれからまだまだ叩かれるがそれに耐えていけたら全盛時代の武末と肩をならべる投手になる」と未完の大器を誉めている。もっと叩かれてみることだ。廿二歳。
廿六年の都市対抗に大阪代表となった南海土建で松本(現南海二軍コーチ)とバッテリーを組んでいた大阪府予選決勝に5-3で日本生命を破り、本大会優勝戦には2-3と鐘紡に負けはしたが特異な下手投で注目を集めた。それまでは横手から投げていたが野球生活の振り出しは捕手である。福岡県田川高校時代強肩を買われてマスクをつけたが、たまたまある試合に投手が故障で出られず代わりに投げさせられた。球速も豊かでノビもあるというのでこれがきっかけで投手に転向。持前のナチュラル・シュート(強肩の選手にみられる意識せぬシュート)に磨きをかけ、横手からクセのあるシュートを武器に卒業後三井田川ー高倉鉱業と二年間ノンプロを歩いた。そして廿六年当時南海の二軍的存在だった南海土建に入った「下手投に変えたのはこのときです。練習を見にきていた柚木さん、筒井さんがちょっと投げてみた下手投の球をみていて下手投の方がいいから練習してみろといわれ、それから本格的に下手からの練習をしました」上下、左右に多彩な変化を見せる低目の球がウィニング・ショット。はじめてプレートに立った昨年は3勝2敗、19試合中完投1、救援10、先発1で勝率・600、防御率2・618。この成績について「まだフォームがぎこちなかったので制球も悪く、それに打たれるとムキになってしまうので完投がほとんどできなかった」と説明する。五尺八寸、十九貫近い立派な体格だが、いたっておとなしく、スマートな南海タイプ。生一本の真面目さがムキ出しだが、その生一本がピッチングに現れて今まで足ぶみしていたようだ。大神投手が「昨年七月ごろに四日市でやった近鉄戦に6点とられてから井上さんはあまり打たれていません」と先輩を語っているように昨年後半から次第に腕をあげて今シーズンのキャンプも人一倍熱心に走り、投げたという。この伸びかけてきた彼のピッチングに進境の拍車をかけたのはエース柚木の故障、それにつぐ中堅投手の不調である。これは彼個人にとっては天来の好機ともいえた打たれてもすぐ代えさせられない。また少しぐらいの不調は承知のうえで登板させられる。結局これが内に芽ばえかけた自信をぐんぐん育てあげた。7勝の大神にならび7勝2敗(10日現在)の好成績は天与のチャンスをしっかりとつかむまで試練に耐え抜いてきた力と汗の結晶であろう。三月廿五日近鉄一回戦に完投勝利投手となってから阪急、投球にそれぞれ一敗を記録しただけ、三回の完投に平均二・三点の失点は「打たれればムキになる」という欠点を一応克服したものとしてその努力は高く買われていい。「コントロールには自信がついてきたが威力のある球をもっと研究したい」という。柚木投手も「いい素質をもっているが、うま味が乏しい。若いからこれからまだまだ叩かれるがそれに耐えていけたら全盛時代の武末と肩をならべる投手になる」と未完の大器を誉めている。もっと叩かれてみることだ。廿二歳。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます