1964年
昨シーズン末、東映の任意引退選手となってプロ野球から一度足を洗った石原碩が、本格的なカムバックを目指して連日汗みどろの精進を続けている。昨年は登板に恵まれず、10試合で2敗という不振。この不振に、本人も嫌気がさしたのか、昨年末には再契約にも応じないまま、あっさり郷里の岡山へ帰ってしまった。実家は岡山市並木町で牛乳販売店をやっているが、兄弟はこの石原と、大阪で就職している弟だけというわけで、両親も引退を賛成した形だった。ところが、東映の家庭の事情がそれを許さなかった。同じ下手投げ安藤元が移動性軟骨という肘の故障から使える見通しが立たず、アンダースロー投手は若い柴田しかいない。「石原をもう一度呼ぶもどすほか手がない」ということになって、三月、福山で行われた広島とのオープン戦のとき、水原監督が石原を呼んで復帰の説得に成功したわけだ。五月二十日の西鉄戦でカムバック初の登板、それ以来勝星に関係ないが、東京、近鉄、南海戦にショート・リリーフで顔を出している。
昨シーズン末、東映の任意引退選手となってプロ野球から一度足を洗った石原碩が、本格的なカムバックを目指して連日汗みどろの精進を続けている。昨年は登板に恵まれず、10試合で2敗という不振。この不振に、本人も嫌気がさしたのか、昨年末には再契約にも応じないまま、あっさり郷里の岡山へ帰ってしまった。実家は岡山市並木町で牛乳販売店をやっているが、兄弟はこの石原と、大阪で就職している弟だけというわけで、両親も引退を賛成した形だった。ところが、東映の家庭の事情がそれを許さなかった。同じ下手投げ安藤元が移動性軟骨という肘の故障から使える見通しが立たず、アンダースロー投手は若い柴田しかいない。「石原をもう一度呼ぶもどすほか手がない」ということになって、三月、福山で行われた広島とのオープン戦のとき、水原監督が石原を呼んで復帰の説得に成功したわけだ。五月二十日の西鉄戦でカムバック初の登板、それ以来勝星に関係ないが、東京、近鉄、南海戦にショート・リリーフで顔を出している。
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