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プロ野球 OB投手資料ブログ

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祓川正敏

2017-01-15 08:53:25 | 日記
1961年

祓川は六月はじめから二軍と一軍の二重生活をはじめた。鶴岡監督から二軍の柚木コーチに「祓川をなんとか八月に間に合わせるように」との特別指令が出されたからだ。祓川は死にものぐるいで調整した。ウエスタン・リーグは6試合で3勝3敗。3つの黒黒をふり返ると「必ずといっていいほど。負けまい、負けまいとりきんでいた」そうだ。その気持ちをいくらかでもセーブするために祓川は横の変化にたより出した。それがこの夜の初勝利につながった。「調子はよくなかった。第一スピードがなかった。スライダーを多投して切り抜けたが・・・。それとコントロールのよかったことが完投できた原因でしょう。シャットアウトは確か一昨年からやってないはずです」東京浅草の人気者大宮敏光に似ていることからデンスケとかわいがられている祓川は「六回から九回までの4イニングに10三振というのはわれながらおどろきですよ。五回あたりで疲れたので六回から軽く投げたら意外に球が走りましてね」と特徴のある大きな目をクルクル。そこへ鶴岡監督がやってきた。最近の鶴岡監督は「やせた」とズボンをゆすりあげるのがクセ。このときもそれをやりながら、しかし顔はニヤリ。早く祓川を解放してやってくれといわんばかりにしばらくはそこを動かなかった。土井垣武氏はそのピッチングを「スピードも以前とくらべいくらか出てきているが、それよりピッチングがうまい。コントロールもよく阪急を外角攻めにしたのがよかった。阪急はそれをムリに左に引っ張ろうとしたため凡打をくり返していた。こんご東映、西鉄あたりに向きそうなピッチングだ」といっていた。

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