1982年
巨人は、三日、ドラフト外で田中土質基礎研究所勤務の稲垣秀次投手(18)=1㍍89、83㌔、右投右打、調布三中出身=を獲得した。稲垣は、中学時代、リトルリーグの調布チームに属し、この日ヤクルト入りを断った早実・荒木、中日がドラフト六位で指名した日大三・宮下とエース・トリオを形成していた。中学卒業後、都内の定時制高校に進学したが、一年でやめ、調布市にある田中研究所に勤めながら、同社の軟式チームで投手兼三塁手でプレーしていた。その合間にはリトルリーグの関東連盟会長である林和男・林建設社長、林貞夫専務の経営するバッティング・センターに顔を出していたが、あまりのパンチ力に驚いた林氏が、友人である巨人・岩本スカウト担当補佐に紹介。尾オールスター前に国松二軍監督ら立ち会いのもとにテストを受け、国松二軍監督らも「おもしろい素材」と採用を決めていた。
巨人は、三日、ドラフト外で田中土質基礎研究所勤務の稲垣秀次投手(18)=1㍍89、83㌔、右投右打、調布三中出身=を獲得した。稲垣は、中学時代、リトルリーグの調布チームに属し、この日ヤクルト入りを断った早実・荒木、中日がドラフト六位で指名した日大三・宮下とエース・トリオを形成していた。中学卒業後、都内の定時制高校に進学したが、一年でやめ、調布市にある田中研究所に勤めながら、同社の軟式チームで投手兼三塁手でプレーしていた。その合間にはリトルリーグの関東連盟会長である林和男・林建設社長、林貞夫専務の経営するバッティング・センターに顔を出していたが、あまりのパンチ力に驚いた林氏が、友人である巨人・岩本スカウト担当補佐に紹介。尾オールスター前に国松二軍監督ら立ち会いのもとにテストを受け、国松二軍監督らも「おもしろい素材」と採用を決めていた。
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