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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

秋山登

2016-09-28 21:51:03 | 日記
1957年

八連敗と破竹? の連敗街道をたどってきた大洋も、秋山の右腕でやっとこの汚名にピリオドを打った。五回椙本を二塁において左中間三塁打して先制点をあげたのもこの秋山。九回田宮をシュートで投ゴロにうちとった秋山は、しばらくグローブを入れたまま、推しそうにゆっくりと一塁へ投げた。ダッグ・アウトをとびだして迎えた迫畑監督に肩をたたかれた秋山は「あまり調子がよくなかったんです。走者が出れば力を入れていましたが、一球目をカーブで、二球目を内角に思いきりシュートでついたのがよかったのでしょう。しかし後半はゆるめてしまったので打たれ出しました。力を抜くのはいけないんですが・・。前の巨人戦(十日茅ヶ崎)で三振15をとったときが一ばんよかったんですが、あのとき川上さんに右親指のつけ根に当てられてまた調子が狂ってしまった。きょうははじめから投げていて勝てるとは思っていなかった。五回の先取点がききましたよ」という。その五回の先取点については「渡辺(省)さんの外角球にヤマをかけて体を前にのり出していたんです。ところが逆に内角へ直球がきた。体を開いて手首だけで打ったんですよ。二塁ベースを回るころは体が前にいっても足がついていけない。息切れしてその裏あんなピンチを招いてしまった。もうちょっとで元も子もなくなるところでしたよ」かたわらの土井は「全力投球はしていません。ただ手もとで伸びてはいましたが、調子はけっしていい方ではなかった」とこの日の秋山を評していた。これで大洋全部の白星である三勝を記録。それも巨人に1阪神に2と上位ばかりの星である。「やっと三勝です。この調子なら今年は二十勝も危ないかもしれない」とはいうものの、さすがにうれしさはかくしきれないようだった。二十三歳。
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稲垣忠美

2016-09-28 21:29:49 | 日記
1957年

大映では岡崎工の稲垣忠美投手(18)=五尺八寸、十九貫、右投右打=と三日契約した。同投手はハワイとの親善試合には全愛知に選抜されている愛知高校球界のA級投手。速球と鋭いドロップが武器で、愛知県予選では一、二回戦(豊川工、名城大付高)を連続シャットアウトしている。地元中日をはじめ毎日、近鉄、大映の四球団からねらわれているのをはじめ、同大、立大からも進学をすすめられていた。
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戸梶正夫

2016-09-28 21:25:13 | 日記
1957年

すでに中京商の本間投手、星山一塁手など高校野球の大物選手を獲得してストーブ・リーグの花々しいスタートを切った阪神は、さらにこの春、夏の甲子園大会に連続出場した育英高戸梶正夫捕手(17)=五尺七寸、十七貫八百、右投右打=の獲得に成功した。契約は後日行われる。同選手は春の選抜大会出場当時から兵庫県№1の大型捕手として巨人、阪急などからさそわれ、今夏の大会終了後にはノンプロ新三菱重工に内定していたが、約一週間前阪神河西スカウトの再三の勧誘でプロ入りを決意、三日神戸市長田区五番町二丁目の自宅で河西スカウトと最終的な話合いを行って決めたもの。これで阪神は早くも星山、本間、石田、戸梶という四人の高校大物選手を獲得したわけである。なお現在交渉が続けられているのは早大進学を伝えられる柳井高遠井一塁手と九州京都高大西捕手の二人である。
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