1957年
四回から先発石川(克)をリリーフ、6イニングを投げとおした坂口投手は無得点に抑えてプロ入り初の一勝をあげた。天知監督から「投げてみろ」といわれて「足がブルブルふるえた」そうだ。「こんなに早く一軍で投げられるとは思いもよらなかった。夢中で投げていたのでなにがよくきまったかわからない。ドロップと直球しか投げません。まだまだ勉強しなくてはだめです」とケンソンする。高校時代は投手で四番。昨年夏の高校野球愛知県予選では準決勝まで勝ち進んだ成章高(せいしょう)のけん引車。中日へ入団した当時肩を痛め外野手として打撃を買われていたが、三月末から再びピッチング練習をはじめた。一軍へ昇格したのはつい最近で天知監督も近藤二軍監督がすすめるままに登板させたというのが本音らしい。吉田正男氏は坂口のピッチングを「上手から重いモーションで幾分ぎこちなさはあるが、ドロップと重味のある速球がよかった。ボールのはなれぎわが低く、勢い低目をねらう結果になったのが好投した最大原因だろう。技術的には右足のケリがよく、腰の切れと体重がのっていることはまずまずだろう」といっている。大洋の青田選手は「坂口は別に大した投手ではないが、自然にスライドする外角低目の球がよかった」と語っていた。昭和十三年生まれ、右投右打、五尺七寸、十九貫五百、背番49。
四回から先発石川(克)をリリーフ、6イニングを投げとおした坂口投手は無得点に抑えてプロ入り初の一勝をあげた。天知監督から「投げてみろ」といわれて「足がブルブルふるえた」そうだ。「こんなに早く一軍で投げられるとは思いもよらなかった。夢中で投げていたのでなにがよくきまったかわからない。ドロップと直球しか投げません。まだまだ勉強しなくてはだめです」とケンソンする。高校時代は投手で四番。昨年夏の高校野球愛知県予選では準決勝まで勝ち進んだ成章高(せいしょう)のけん引車。中日へ入団した当時肩を痛め外野手として打撃を買われていたが、三月末から再びピッチング練習をはじめた。一軍へ昇格したのはつい最近で天知監督も近藤二軍監督がすすめるままに登板させたというのが本音らしい。吉田正男氏は坂口のピッチングを「上手から重いモーションで幾分ぎこちなさはあるが、ドロップと重味のある速球がよかった。ボールのはなれぎわが低く、勢い低目をねらう結果になったのが好投した最大原因だろう。技術的には右足のケリがよく、腰の切れと体重がのっていることはまずまずだろう」といっている。大洋の青田選手は「坂口は別に大した投手ではないが、自然にスライドする外角低目の球がよかった」と語っていた。昭和十三年生まれ、右投右打、五尺七寸、十九貫五百、背番49。