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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

西山弘二

2016-09-06 21:07:43 | 日記
1960年

一回二死四球の二走者を置いて打った西山の右翼3点本塁打が大きくきいた。ずんぐりした体を前にかがめ西山はテレくさそうにベースをまわった。それもムリはなかった。「打ったのは真ん中らしい。直球かな。プロにはいってから初めての本塁打だからね。ウエスタン・リーグでも打ったことがないのに、どんなかっこうで走っていいか・・・。三塁からホームまで走る間の長いこと・・・」と試合後もほんとうにテレくさそうである。三回には三遊間安打、五回にも中越二塁打ときれいに打ちわけてこの夜は4打数3安打。どれもこれも真っシンに当ったものだった。この西山は最近10試合に三割以上の打率。中大から期待の大型捕手とさわがれて入団したもののあらいバッティングがわざわいし、また守っても盗塁をみすみすさせるなど期待はずれだった西山にやっと芽が出てきたのだ。その打撃開眼の理由を西山はこういう。「六月の終わりに藤村さん(評論家)にちょっときいた。そしたらもう少し前でたたくようにといわれた。ウエスタン・リーグのときにも西鉄の中西さんにいろいろグリップのことを教わった。人によってバッティングの観は違うとはいうが、どんなことでも研究することはマイナスじゃないからね。全部とり入れたわけじゃないが、一つ一つ自分に合うものを注意してやってみた」その研究熱心な効果が現れてきたようである。「プロでの試合というものがやっとつかめかけたような気がする」ひところは報道陣どころか同僚の顔もまともに見られずおどおどしていた西山だったが、最近はすっかり明るい表情で冗談をとばすようになった。「最近の打率がいいって?さあ率は全然気にしない方だから。そんなことよりもレギュラーの位置を逃がさないようにやるのが精いっぱいだ」一日の国鉄戦からはじめて五番を打って、これで二試合目だが、白石監督は「どうやら本ものらしい。よほどのことがないかぎりこのまま打たす」と目を細めていた。
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安藤治久

2016-09-06 20:14:50 | 日記
1960年

南海を完封した安藤は汗ひとつかかずにベンチに帰ってきた。「こんな試合でぼくに用事があるんですか。こんなに打ってくれたらだれだって勝てますよ」安藤はびっくりしたような顔でこういった。「四安打しか打たれなかったって?そりゃ、ぼくがよかったんじゃありません。南海さんが力を抜いたからでしょう」こういって安藤は汗も出ていない顔をゴシゴシとタオルでこすった。ちょっとテレたのだろう。そんな安藤に伊勢川コーチがニヤニヤしながら「いいピッチングだったよ」と声をかけた。「そうでしたかね。いくら一方的に勝っても、完封勝ちはやはりうれしいですね」やっと安藤はうれしそうな顔をした。「シュートとカーブがうまくきまっていた。四回に無死二塁というのがあったけど、八点差だったでしょう。なんともありませんでした」同僚がのんびりしているのに安藤はいそいで帰り支度。「下宿のおじさんがすごく厳格なんですよ。門限は十一時。遅れるとしかられるから・・・」とさかんに時計を気にする。十時をちょっとすぎたところである。安藤の下宿先は鳴尾警察の署長さんの家である。だから夜など一杯飲むということはないし、試合が終わると真っすぐに下宿に帰る。「安藤さん、車がきたそうですよ」受付からの連絡をきいた安藤は大きなボストンバッグをぶらさげると一気に階段をおりた。
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