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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

円子宏

2016-09-23 22:40:19 | 日記
1957年

円子は第二試合約九ヶ月ぶりに上ったマウンドを七回から野母にゆずると、さっそくサロンへー。ジュースを注文すると一息に音をたててのみほした。この夜の彼は六回まで大映を3四球の無安打、無得点に抑えた。七回に安打を二本つづけられたがこの回を無得点に切り抜け昨年から通算三つ目の勝ち星をあげた。「安打されたのはストレートが高目に浮いたからだ。ノーヒットなんてぜんぜん意識しませんよ。どんな球がよかったかなあ・・・」とそんなことを考えるヒマもなかったというように首をかしげた。野村捕手は「直球、それも外角のいいコースへ入ったのがよかったんです」という。柚木コーチは「二週間ほど前から投げられる状態になり、一週間前に一軍にあげた。いいコースをついていたね。だが後半カーブの切れもスピードも悪くなった。まだ上位にはムリだよ」と手ばなしではほめない。昨年十月以後右ヒジを痛めて以来すっかりファンにごぶさたしていた彼も、この夜の勝ち星がカムバックのきっかけになりそうだ。もう一つのニュース。三十年プロ入り以来この夜の四回まで、実に五十八打席連続無安打のパ・リーグ記録を持っていた彼が、六回の五十九打席目に太田投手から一、二塁間を破ってこのかんばしくない記録に終止符をうった。この試合、円子にとっては投打にわたる記念すべきものだろう。
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馬場正平

2016-09-23 22:28:25 | 日記
1957年

「この日のお客さんは馬場君が集めたようなものさ」とだれかが冗談をいったが、優勝がきまったあとの試合だから二百勝をかけた杉下のピッチングより六尺四寸近い身長をもつ馬場の方に人気があったのもムリはない。プロ入り三度目の登板で先発はむろんはじめて。「いままで二度のリリーフはパーフェクトで通してきましたから・・・」と威張っていたが、それは一回トップ岡島の投手左強襲安打で簡単に破れた。「体重が左足にかかってしまって動けなかったんだ」という。その体重は二十四貫。一回一点はとられたが、しかし二回から五回まで三安打散発におさえてしまった。「シュートがとってもよく切れたから」だそうである。中日の西沢選手は「球が速かった。はじめは大リーガー相手のつもりで打てばいいと思ってたんだが、やはり威圧感がない。身長の割には大リーガーのようにマウンドが近く感じられなかった。もっとも一昨年きた大男ヤンキースのラーセンなんかとくらべる方がムリだが・・・」といっていたが、それでもボックスに立った身長六尺の西沢選手がさほど大きくはみえなかった。
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