明日は明日の風が吹く

60にしておひとりさまに。
この先、どんな人生になるのやら?

90歳、やっぱりめでたい!

2018-11-24 | 母との確執

22日、母は無事に90歳になった 

23日は父の命日。

「無事に90になりましたよ。
 目も耳も口も頭もどこも悪いとこないし、歩けるし、
 ホンマありがたいわ。
 おじいちゃんがいつも傍にいてくれるおかげやろ思いますわ。
 ひとりでも元気にやってるから心配せんといてね」

と母はお墓に報告していた。


物忘れは年相応にあるけどボケてもなく、介護の必要もなく、
ひとりで日常生活を送れていることは
子どもとしてもホントに助かる。
おかげで私も好きな時に好きなことをして過ごせている。

めでたいめでたい。


「これからも元気でいてね。とりあえずインフル注射を!」

健康診断はしっかり受けてるのに、予防接種は
「罹ったら罹った時のことや」と嫌がる。

なんでやねん!?



     





「老年的超越」という言葉があるのを以前の新聞記事で知った。


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高齢になると失うものばかりで、心身の若さを保つのは難しくなるが、
逆に以前とは違う「幸せ感」を感じられるようになるというのだ。

老年的超越とは
「物質主義的、合理的な世界観から宇宙的、超越的世界観への変化」
自分が宇宙という大きな存在に繋がっていることを意識し、
死の恐怖が薄らいだり、他者を重んじる気持ちが高まったりする状態
とされる。

ひとりでいてもさほど孤独を感じず、
出来ることが減っても悔やまないようになり、
周囲への感謝の気持ちが高まる。
成功や達成感を重視する若いころとは違う、
穏やかな幸福感を感じるという。

ベッドでほぼ寝たきりでも「昔を回想するだけで楽しい」
という人もいる。

どうやら、加齢に伴って心身の能力が落ちていくことを
否定的に受け止めすぎないよう、
心の状態が自然に変化していくのではないかと推測されている。

              (2018.2.7朝日新聞記事より抜粋)
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母がその域に達しているとは思わないが、徐々に近づいているような?

ひとりでいてもおじいちゃん(父)がいるから寂しくないと。
強がりかと思っていたが、きっとほんとにそんな風に感じているのだろうね。


年取って、ボケたり病気になったりしても、
死ぬまで生きなければいけない長~~い人生。

ひとつひとつ、欲を手離していって、最後に残るのは・・・


本能なのか獲得した能力なのかしらないが、
心がそんな状態になるのなら、少しは気が楽だ。

私らまだまだ若造だぁね(^0^)
そんな浮世離れした境地にはとてもとても^^;








某ホテルレストランの和洋折衷コース。
今回は私と弟でご馳走した。

お肉の半分とごはん以外は母も完食。
こういうふうに少しずつ出てくると食べられると。
いや、結構なボリュームですけど^^;

最後に残るのはやっぱり食欲か~。