多分駄文のおじさん日記

我輩は駄文を書くおじさんである。旅、音楽、MLB、株式投資、etc., 日々想いつくままに思いを巡らすのである。

Family Reunion

2005-04-24 23:04:15 | Weblog
昨日の「友との再会」、に続き、本日は「家族との再会」の日。

昨年4月28日に急逝した叔母の1周忌で、西新井大師近くの会場に11時集合。
札幌の両親も昨年の葬儀に続いて、やって来て久しぶりの対面をはたした。
当然、母方の親戚は一同勢揃い、もう法事でもなければこれだけ親戚が集合することもなくなった。

ところで本日の法事会場は椅子席ではなく、畳の大広間。
坊さんがお経を読むこと合計40分間、その間、ひざも崩せず、あぐらもかけずで、ずっと正座で40分。このような長い時間の正座の記憶はない。
生活習慣がすっかり洋風化し、正座をすること自体滅多になくなったが、その正座を40分もすることなどもうありえないと思っていた。いや、想像だにすることもなかった。

単なるしびれの段階から、20分ほど経過すると、脚がしびれる、という感覚も既に無くなり、意識さえ朦朧としてくる。
<エコノミー症候群で血管鬱血して死亡!> というような言葉を思い浮かべる。
基本的には、長時間飛行機の狭い席で脚を縮めて血管鬱屈の事態よりも、正座の方が遥かに辛く、鬱屈の度合いは高い筈。そうすると正座で死亡もあるか、とか詰まらぬことも考えて気を紛らわそうとするが、お経は終りそうでなかなか終らない。いや、ほんとに辛かった。

職業上とはいえ、坊さん、40分以上、脚のしびれも気にせずお経を読み続け、終ったら、ぐらつくことも無く、さっと立ちあがる。お経は決して上手くは無い坊さんだったが、これだけはたいしたもんだ、と感心した。

お経が終ったときには、何はともあれ感覚の無くなった脚を伸ばして安堵。
しばらくは自分の脚であって、脚でない、体から切り離された部品のようなものだった。
呆然として両親や親戚への挨拶もすぐには出来なかったほどであった。

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