多分駄文のおじさん日記

我輩は駄文を書くおじさんである。旅、音楽、MLB、株式投資、etc., 日々想いつくままに思いを巡らすのである。

オールナイト・ニッポン カメさん

2005-02-27 11:02:49 | Weblog
ニッポン放送株を巡るライブドアvsフジテレビの争いは裏技応酬の買収合戦で泥沼の戦いになってきた。目くそ鼻くそを笑う状態、でもある(笑)。
見ているほうからすると実に色々な政治的・経済的、また文化的側面があり、またその鏡としての株価の動向やコーポレート・ガバナンスの意義なども加わってきており、極めて興味深く、当件に関する新聞記事やネットの書き込みなども出来るだけ熟読している。色々と書きたいことも沢山あったが、沢山あり過ぎるがゆえに、どこからどう書こうかと考えているうちに何も書けない、という事態が続いていた。

今日も朝から各局でホリエモンが出まくっている。新聞の本日のTV番組表を見ても、立て続けに本人出演番組が予定されているようで、これだけ物議をかもして批判も多い中、連日連夜にわたり表舞台に立ち続けている堀江氏の精神力と体力・タフネスさには或る意味、大いに感心する。大勢の意見にあるが、手法・振舞い上の問題はあるが、日本の旧秩序に対する問題意識を提示している点では個人的には単なるトラブルメーカーではなく、改革者としての堀江氏に建設的な動きを期待をしている。

当初この争いではあまり表面に出てきていなかったニッポン放送の亀淵昭信社長、露出度が急上昇だ。突如現れた事態に困惑し、実質支配権を握られているフジテレビの意思のもと身動きとれずにひたすら服従の姿勢を示している哀しきサラリーマン社長のように見えるが、我輩の世代にとっては彼は大スーパースターなのである。

昭和40年代中盤のニッポン放送の午前1-3時放送だったオールナイト・ニッポンのDJだった彼は居並ぶ同社DJ,いや、他社のスターDJと並んでもトップの人気だった。毎週2万通のファンレターが来ていたというが、速射砲のような早口と兄貴のような軽妙洒脱で、熱いハートのある語り口は大いなる支持を集めた。
海外の音楽事情に明るく、人気絶頂だったビートルズやローリングストーンズだけではなく、ジャズ、当時のポップな欧米の流行曲やオールディーズも進んで紹介してくれた。今の自分の音楽の好みの傾向を見渡すに、彼の影響は極めて甚大だった、というか、もう体の一部に染み付いたと思われるし、これは自分だけではなく、同じ世代のオジサンにも同じことが言える筈である。

国内アーチストの発掘でも、カメさんは『帰ってきたヨッパライ』でブレークしたフォーク・クルセーダーズをプッシュしたり、フォークルの黄金コンビ加藤和彦・北山修による曲で同じニッポン放送の人気DJだった斉藤安弘氏とカメ&アンコーを結成、「水虫のうた」などをヒットさせた。甘く切ない歌声は、私の中では大の名曲となっている。
今から振り返ってもあの時代は良かった。丁度大学受験で体育系クラブで体を動かし、学校から帰ると2時間ほど仮眠して深夜2,3時くらいまで受験勉強する、という生活パターンが続いていた時代のヒーロー、大教祖様であったのだ。オールナイト・ニッポンのオープニング&クロージング曲であるハープ・アルパート、ティファナブラス(Herb Alpert's Tijuana Brass)のBitter Sweet Sambaに乗って流れてくるカメの声は何と当時の若者の心を躍らせ、潤ませ、励ましとなっていたことか。

「現状の、フジサンケイ・グループ支配の下で、自社の株主価値を維持・高揚させていく」、という彼・亀淵社長の語り口には、残念ながら当時の「時代の先進者・改革者」の面影は見えない。しかし、本当のところはどうなのであろうか? 

社長としての彼は、公的な立場上はグループ全体の利益や自社従業員、(株主、となると?であるが)などのステークホルダーに縛られ殆ど自由が利いていないのだが、「カメ」に戻った一人の元人気DJとしての本当の彼は、意外とホリエモンの心情には密かに拍手を送っているのではないだろうか。記者会見で見る彼の困惑気味の表情を見ていると、立場上の言葉とは裏腹に、自由・闊達なイマジネーション、破天荒な展開にも心馳せている部分があるのではないか、と個人的には想像している。 
偶々出身地も大学も同じなのだが、彼に対して大いなる思い込みを持っている身としては、もう馬鹿らしい社長業など辞めて、この際、もう一度自由な彼に戻って欲しい、という風にも思っている。

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