日本のフォークの草分け的存在で「自衛隊に入ろう」「コーヒーブルース」などの曲で知られた歌手の高田渡(たかだ・わたる)さんが死去した、との報に接した。56歳。まだまだあまりに若い歳でのご不幸であり、大変残念である。
ピート・シガーにいかれて自作の曲を作りはじめ、68年に自作の反戦フォーク「自衛隊に入ろう」を歌って大ブレイク、注目を浴びた。高校生の時にこの歌に出会ったときには、奇妙なテーマと発想に大きな衝撃を受けたことを記憶している。
『自衛隊に入ろう、自衛隊に入ればこの世は天国~♪』と唄っていたが、自衛隊入ってイラク行くような時代までは当時の高田は想像していなかっただろう。世相の大きな変化を今となってはこの唄でも感じさせられる。
フォーク草創期のメンバーであり、高石友也や岡林信康に続くアングラフォークのスターであった。フォークらしい世相を風刺の利いた数多くの曲には色々な思い出がある。また、味わい深いギターテクニックにも評価は高い。アメリカン・フォークの伝統に通じていた数少ないシンガーの一人でもあったと聞いている。でかい顔で、歌にも鋭い風刺の裏にちょっととぼけたペーソスを感じさせる一種の天才であった。晩年は酒に浸り廃人のようになっている、という噂も聞いたことがあった、それでもステージに登ろうという執念だけは強かったのだろう。釧路でのコンサートの後倒れて遂に帰らぬ人となった、というのも、或る意味では、フォークの侍に相応しい死なのかもしれない。
今自宅にある高田渡のCDを捜してみたが、2枚あった。
ファーストアルバムの「ごあいさつ」、そして「高田渡/五つの赤い風船」である。
「ごあいさつ」の中の、「値上げ」という曲、大変分かり易くて面白い。日本がまだ元気だった頃のちょっとシニカルな視点がシンプルかつ充分なスパイスを利かせて唄になっている。
明日は日曜日、今夜は夜更かしをしてでも高田のCDを聴きながら、良き時代の思いを振り返ろうか。(若い方々にも、高田のCD聴いてみるようお勧めします!面白いョ!)
うーん、それにしても残念だ。彼の死によって、彼は更に伝説的存在になってしまった。
ピート・シガーにいかれて自作の曲を作りはじめ、68年に自作の反戦フォーク「自衛隊に入ろう」を歌って大ブレイク、注目を浴びた。高校生の時にこの歌に出会ったときには、奇妙なテーマと発想に大きな衝撃を受けたことを記憶している。
『自衛隊に入ろう、自衛隊に入ればこの世は天国~♪』と唄っていたが、自衛隊入ってイラク行くような時代までは当時の高田は想像していなかっただろう。世相の大きな変化を今となってはこの唄でも感じさせられる。
フォーク草創期のメンバーであり、高石友也や岡林信康に続くアングラフォークのスターであった。フォークらしい世相を風刺の利いた数多くの曲には色々な思い出がある。また、味わい深いギターテクニックにも評価は高い。アメリカン・フォークの伝統に通じていた数少ないシンガーの一人でもあったと聞いている。でかい顔で、歌にも鋭い風刺の裏にちょっととぼけたペーソスを感じさせる一種の天才であった。晩年は酒に浸り廃人のようになっている、という噂も聞いたことがあった、それでもステージに登ろうという執念だけは強かったのだろう。釧路でのコンサートの後倒れて遂に帰らぬ人となった、というのも、或る意味では、フォークの侍に相応しい死なのかもしれない。
今自宅にある高田渡のCDを捜してみたが、2枚あった。
ファーストアルバムの「ごあいさつ」、そして「高田渡/五つの赤い風船」である。
「ごあいさつ」の中の、「値上げ」という曲、大変分かり易くて面白い。日本がまだ元気だった頃のちょっとシニカルな視点がシンプルかつ充分なスパイスを利かせて唄になっている。
明日は日曜日、今夜は夜更かしをしてでも高田のCDを聴きながら、良き時代の思いを振り返ろうか。(若い方々にも、高田のCD聴いてみるようお勧めします!面白いョ!)
うーん、それにしても残念だ。彼の死によって、彼は更に伝説的存在になってしまった。