多分駄文のおじさん日記

我輩は駄文を書くおじさんである。旅、音楽、MLB、株式投資、etc., 日々想いつくままに思いを巡らすのである。

花は盛りに...

2005-04-14 01:05:12 | Weblog
朝からお疲れモードの日であったが、昼休みは、気分転換に外を歩く。
また寒がぶり返し、ついこの前までぽかぽか陽気で桜満開だったのが嘘のようだ。
どこを歩こうか? やはり、靖国神社、千鳥が淵が気になる。
桜は一体どうしたか?

先週土日の頃は、地下鉄・九段下から千鳥が淵に向かう坂は、あたかもラッシュアワーの新宿駅のような様相だったらしいが、今日の昼は驚くほどに、全く閑散としていた。
桜花の様子は5-7割ほどが散っており、遠目に見るとまだ散らずに居る花と緑の葉が芽生えた緑が混合、満開時の桜色一色の美麗な状態というわけには行かない。
しかし、まだ結構花は付いているじゃないか!また、桜花がちらちらと舞いおりるように降ってくる態もなかなか趣があってよい。

先週、お花見の季節に合わせて、『桜信仰と日本人』(田中秀明監修、青春出版社刊)という本を読んだ。或る教授さんが日本の花見の特徴として「群桜」、「飲食」、「群集」の三つを挙げ、「この3要素があって初めて花見が成立する」と主張されている、との紹介があった。
なるほど、学者さんは上手いこと言うな、と感心したが、個人的には異論もある。

満開の時にはあれだけ混みあった千鳥が淵、低い気温とは言え、これだけ人が居ないのは一寸驚き。靖国神社も「宴のあと」よろしく、特設の屋台なども綺麗に片付けられており、人影もまばらなり。人の心も桜並みに、ぱっと咲いてぱっと散るではないが、満開時が過ぎると、急に桜から離散したようだ。 随分極端だな、現金だな。

しかし、こういう盛りを過ぎた後のちょっと気の抜けた状況というのも、そう悪くない。
兼好法師が徒然草に、「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。」と綴られたが、桜のトンネルの下を歩きながら、突如このフレーズが浮かび、頭の中でぐるぐるりフレイン。
まさしく本日の我輩の心境はこれに尽きた。

ひと気がなくなった千鳥が淵を桜吹雪を受けながら老夫婦が散歩している様子などは、なかなか良いものだ。 「群集」がなく、「飲食」がなくても、花見は花見。
また、満開だけが、全てでもない。峠を過ぎたものにも、それなりの美しさもある。
短い花の命をいつくしむ気分もあり、その気分を何かに投影したい切ない心持も湧いてくる。
歳をとって、我輩も少しは「もののあはれ」を知る心境となったのか。

24時間体制

2005-04-14 01:04:05 | Weblog
昨晩は仕事も遅く、帰宅は午前様。(Blogもさぼりました、ハイ!)
食事もしないで深夜まで会社に居残り、お仕事お仕事。

先週から米国も夏時間となり、夕刻時の欧州発のメールに加えて、うかうかしていると8時台からは米国本社からも山のようなEメールの群れが押し寄せ、また緊急時には電話が掛かって来たりもする。
商売上、世界的に繁忙期に入ってきたことから、我輩にも一日300通近くのEメールが流入している。(そのほぼ95%が英語。読まずに削除のものも多い。)
冬時間中は、夜は落ち着いて仕事が出来る時間帯だったが、向こうの連中は自動車の渋滞を避けるため朝6時出勤も珍しくもなく、とんでもなく早い時間からビジネスは始動していることから、日本時間夕刻以降のお帰りムードの時間からもまた余計な緊張を強いられるのである。

時には、この人ちゃんと寝ているの?と思える現地時間、例えば、朝3時、4時台に連絡が入ることもある。会社でも所謂キーパーソンや営業関係の人間は、皆Blackberryという電話兼用の携帯端末を持っていて、それで連絡のやり取りをしているのだ。首に仕事という鎖をつなげられた奴隷のような携帯中毒者、いや、Hard Workerが実に米国人には多い。(いや、このお陰で随分救われていることも多いんですぅう。)

そんなことで、一日中世界のどこかでビジネスは動いており、気の休まる暇もない。
敢えて言えば、米国東海岸が寝静まり、欧州が開く前の正午から午後4時位までの間が唯一の空白時間で、この時だけは、あまり海外からの雑音に惑わされずに仕事が出来る時間帯となっている。

いやー、セブンイレブンじゃないけど、こちらも24時間営業体制になってきた。
「そんな給料もらってないよ!」の科白をぐっと飲み込みながら、本日も追われるように一日が過ぎて行った。