もともとそれでよかった♡

すべては自分の中にある

あなたに恥ずかしいところなどない。全てオープンにしてしまえば、本当に自分でもそう思えるようになる(ア)

2016-12-16 | ☆覚書

”恥ずかしさ不感症”・・というワードを知りました^^

この言葉を聞いた時、なんか、すごくいい表現だなぁ~~って思いました。


「なぜ日本人はそこまでして「いい人」を演じ続けようとするのか?」

コラムの中にあった言葉です。


■ 最強の自由人になる方法

この世で最も自由で自分らしく生きられる人とは、どのような人種なのか。

それは、普通の人が「恥ずかしい」「困った」「どうしよう」「不安で不安で」

と感じることを、まったくそうは感じない人です。


自分が発する言葉や行う行為の多くに対して、何をやっても恥ずかしいと

思わなければ、「他人からこう思われたらどうしよう」という発想とも無縁になります。

それには、恥ずかしさに対してもっと鈍感になる、恥ずかしさ不感症に感染することです


恥ずかしさ不感症に感染すると、失敗や自分の未熟さ、無能さをオープンにし、

「それが僕なんです」と言えるようになって来ます・・・

自分をオープンにすることが出来れば、自然体で生きることが出来るようになるんです。

そうやって素のままの自分をさらけ出せばそれに慣れます

それで離れていった人もいるかもしれないけど、むしろ親近感がわくと言ってくれる人もいる。

そして周りも「あいつはああいうヤツだ」と思うようになる。

すると自分を大きく見せる必要も、見栄を張る必要もなくなり、自然体で生きることができる。

だから今の私には「気を遣う」という気苦労がほとんどなくなりました


(一部転載させていただきました)


では、アシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

「こんにちは こうしてお話し出来ることに感謝します。

何が恥ずかしいことなのでしょうか?

あなたは、すべての面があってあなたなのです。

どの思考も、どんな感情も、すべてあなたなのです。


良い思考も悪い思考もありません。

良い感情も悪い感情もないのです。

すべてが、あなたなのです。


常識と呼ばれるものに縛られないでください。

常識から少しでも外れるということは恥ずかしいことだと

あなたは教え込まれてしまっています。

常識とは、とても曖昧なものなのです。

何年か前は、世間的に恥ずかしいと思われていたことも、何年か経てば恥ずかしいことでは

無くなるのです。

それは、あなた達の意識が変わるからです。

常識は変わって行きます。

いつまでも固定した常識に縛られていると、身動きできなくなってしまいます。


一部でも自分を恥ずかしいと思ってしまうと、あなたのすべてを自分で拒否してしまうことに

なります

一部でも自分を恥ずかしいと思ってしまうと、自分の存在自体が恥ずかしいものだと

思ってしまうのです。

そうなると、何もできなくなってしまいます

動けなくなってしまいます

怖くて、自分を表現することが出来なくなってしまいます

自分を表現するのが怖い人は、常識に頼ることになります。

常識的な表現をしていれば安心だと思い、すべてが常識を柱に回ってしまうのです。

そうなれば、自分が何者だかわからなくなってしまい、迷子になります

そして、先ほどもお伝えしましたが、常識は変わって行きます。

固定した常識に縛られてしまうと、その常識が変わっていくことに付いていけなくなって

本当にどうしていいかわからなくなってしまうのです。


あなたに恥ずかしいなどというところは何もありません

すべてオープンにしてしまえば本当に自分でもそう思えるようになります

私はこういう人です・・とあなたからハートを開いてください。

そしたら、まわりの人もハートを開いてくれるようになります。

素の自分を表現しあっている関係は、とても気持ちの良いものです


他の存在(動物たち)の関係は、とてもオープンです。

彼らは自分を隠しません

すべてオープンに自分を表現します


だから、あなた達は動物と触れ合うとホッとするのです。

彼らに癒されると思えるのは、彼らがハートをオープンにしているからです。


人間関係も同じです。

お互いハートをオープンにして、正直に向き合えばとてもいいコミュニケーションが

とれるようになります


あなたがハートのまわりに要塞を築いている限り、誰もあなたにハートを開いてはくれません

先ずは、あなたからオープンにしてみてください。

相手がオープンにしてくれたら自分もオープンにする・・と思っていても、それはあなたの

ハートの要塞があるということですからいつまで待っていても相手はオープンにして

くれないのです。


人間はもともとが悪い存在だと教えている宗教もあるようですが(原罪?)、

そんなことはまったくありません。

あなた達は、もともと愛そのものなのです。

楽しく、ご機嫌さんでいれば、どんどん愛を表現しはじめるのです

愛そのものですから、恥ずかしいなんてところは一部もありません。


すべてが、あなたの素晴らしい表現なのです

自信を持って自分を表現してください。

遠慮することはありません。


自分を素直に表現することの、喜びを思い出してください。

子どものように、自分を思いっきり表現してください。

正直で素直な表現は、愛を放射します。

だから、自分が素直に思ったことを言ったとしても根底に愛のエネルギーが乗りますので

人を傷つけることもありません。

大丈夫です・・喜びとともに自分を思いっきり表現してください。


今自由に表現してくださいとお伝えしているのは、愛を根底とした表現です。

相手の存在に対して、尊敬と感謝を持っている上での素直な表現です。

最初から人を傷つけることを目的とした、イヤな気持ちになることを充分理解したうえで

する表現のことではありません。

人を傷つけることを承知で言うのは、素直、正直とは言いません。

それは屈折した、人をコントロールしたいという欲望の表現なのです。


自分以外の人や物事(常識など)を中心(基準)にしてしまうから人の評価が気になったり

恥ずかしいという気持ちが出て来るのです

自分を中心として、自分はこれでいいんだと思えると、人の眼が気になったり、

恥ずかしいと思わなくなったりします。


それには、あなた自身に対して自信を持ってください。

自信を持つためには、自分を好きになってください。

好きになるためには、どんどん自分を褒めてあげてくださいね。


自分で自分を縛り付けている、常識、倫理観、道徳心などから自由になってくださいね。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう アシュタール! 感謝します。

最新の画像もっと見る