Doll of Deserting

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上弦の紅:第二幕

2005-10-20 19:45:05 | 過去作品(BLEACH)
*いろは歌は本来無罪を証明する歌である、とのご指摘を頂きました。この小説では現代語訳の意味そのままに解釈をしておりますので、何卒ご了承下さいませ。





いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす

上弦の紅。~秋暮れし筝の音に~

 女の冷えた指が、くるくると宙を舞うように動き、厳格な雅楽器をまるで自分の従のように操り、奏でる。男はそれを、慎重な目で見つめていた。足を揃えて座し、一念一念の音色を、余すことなく聞き取ろうとしているように見える。それを気にも留めないようにして、女は尚も筝曲を奏でている。「四季」と呼ばれるらしいその筝曲は、どこか懐かしい歌をさえざえと思わせた。
「上手いもんだな。」
「流魂街出身の割には?」
 くすくすと笑う女に向かって、男が顔をしかめた。
「俺はお前を馬鹿に出来るほど大層な家の出じゃねえよ。」
「同じ流魂街でも、日番谷隊長は雅楽を習う余裕くらいあったでしょ?」
 第一地区ですしね、と決して嘲るようにでもなく素直に言うと、日番谷は顔を曇らせる。最も良い地区であっても、流魂街が流魂街である。そこまでの余裕はない。それよりも日番谷は、乱菊がどこで筝を学んだのか、そればかりが気になった。
 日番谷が古い琴を乱菊に与えたのは、単なる気紛れでもなければ、かといって何か意味があるわけでもなかった。日番谷が最近住まいとして購入した家は、新しくはなかったがそこが気に入っていた。ただし以前の住人が残した人の香りが微かにしており、蔵などにはまだその家族が使っていたのであろう道具などが揃っていた。前の住人が何の理由があってこの家を出たのかは定かではないが、これだけ物が残っているところを見ると碌な理由ではないと思われた。
 そしてこの家の蔵から出てきたのが、今乱菊が奏でている筝というわけである。大分使い古されており埃を被っていたが、まだ弦も鈍ってはおらず最も面倒である調弦も出来ている。ただ、琴の調弦というものは曲ごとに変化するのでどうしたものかと思っていると、乱菊が全て行ってくれた。
 乱菊が琴の調弦を巧みに行っている様を見ながら、日番谷がさも感嘆しているような顔をしている。乱菊はそれが可笑しかった。例え図体が成長しても、こういったことに素直に感動出来る心は何一つ変わってはいないのであると。
「松本、お前琴なんてどこで習ったんだ?」
「習ったことなんてありませんよ。よく分かりませんけど、あたしがここに来た時にはもうたしなみみたいなことは全部出来るようになっていたんです。まだ幼かったのに、そこだけはませてました。」
 笑いながら乱菊は言った。乱菊はたまに、そういう面を見せることがある。鍛錬を積んだわけではないのにも関わらず、楽器を演奏してみたり、料理を作ってみたり、裁縫をやってのけたりもする。日番谷は乱菊がそうしているところを見る度に、彼女は元々良い家の出身なのではないかと勘ぐることがある。何にしても、死ぬ前の話であるのだが。
「もしかするとお前は、俺にとって雲の上の人間だったのかもしれねえな。」
 やや悲しげに日番谷が言うので、乱菊も少しばかり眉をひそめた。どちらかといえば今雲の上の存在であるのは日番谷の方であると乱菊は思う。一つ上の位に立ち、若く凛とした日番谷の姿は、乱菊に神のような崇高さを思わせた。
「どちらかといえばあたしにとってはあなたの方が遠い人ですけど。」
「何言ってんだ。そんなのは俺が近付けばいいだけの話だろうが。」
「じゃあ現世でだって、あたしから近付けばいい話じゃありませんか。」
「それはねえだろ。お前から近付くなんて絶対にしねえよ。断言してもいい。現に今歩み寄ろうともしないしな。」
 乱菊の指が止まった。それはむしろ日番谷を責めているようにも見て取れた。歩み寄らせないのは日番谷の方ではないのか、と。日番谷は成長してから幾度となく乱菊に歩み寄り、胸の内を告げたのにも関わらず、日番谷自身は決して他人を内に入れようとはしない空気を放っている。それはあまりに卑怯なのではないか、と乱菊は思った。だからこそ、若い。そう思うのである。若いからこそ、他人を選ぶことが出来る。心を開く相手を容易く選択することが出来るのである。
 そして外見は幾分も違わぬ日番谷が自分よりも大いに若いということに気付く度乱菊は軽い絶望を覚え、歩み寄る足を止めてしまうのだった。
「…お前が心配してるようなことは何一つねえんだよ、松本。」
 全てを感じ取ったかのような口ぶりで日番谷が言う。そしてその後、筝を指差しながら弾いてくれねえか、とも付け加えた。乱菊はやや不本意な顔をしつつも、そのまま指を動かそうとする。が、寸でのところで止めた。
「日番谷隊長、何かお好きな曲はありませんか?」
 それを弾かせて下さい、と乱菊が言う。日番谷は僅かに困惑したような顔をしてから、おもむろに口を開いた。
「雅楽の曲なんてもんはよく知らねえな。かといって歌曲なんかをよく知ってるわけでもないんだが…正直言うと、昔流魂街にいた頃いろは歌を戯れにばあちゃんから教わったくらいで…。」
「あら、素敵じゃありませんか。いろは歌だなんて。」
「いろは歌には音がねえだろ。」
「いいんですよ。適当に作っちゃえば。」
 言うなり、乱菊は琴を奏で始める。音に乗せていろは歌を口ずさむ乱菊を見ながら、日番谷はいろは歌も知っていたのかと感嘆の色を隠せなかった。曲が一通り終わったところで、日番谷が話を切り出す。
「しかし、いろは歌は、子供が歌うような歌じゃねえんだけどな。」
「そうですか?」
「ああ、人生の虚しさを歌った歌だからな。結局は。」
 子供には縁起悪ィだろ、と苦笑すると、乱菊が少し唸ってから口火を切った。
「違いますよ。子供だからこそ歌うんでしょう?道は険しいものなのだと知っておくために。」
 戒めですよ、と乱菊は言った。確かにそういった考え方も出来るが、それにしても、と日番谷が毒づく。戒めなどという言葉に解釈したとしても、それはあまりに子供には酷な気がした。夢を追うことが苦痛を伴うものであるというのを知る瞬間といえば、まるで忌避してきたものを真正面から打ち破られ、そのまま身体を抉られるかのような錯覚を覚えるのであるから。
「戒めか、重いな。」
「隊長はきっとこれから先も夢を諦めることなんてないんでしょうけど。」
「ああ、隊長になった。背丈もでかくなった。これで残すことといえば、お前ぐらいだな。」
 何でそんなに饒舌なんですか、という声を聞きもせず、日番谷はふっと笑う。強情な女め、と軽く言わしめてやると、今度はそっちこそ強情な男ね、と返された。まるで「今でもあたしにとっては、あなたは小さいままですから」とでも言われているようで、少々眉間に皺を寄せた。
 日番谷から目を離して、乱菊が再び琴の弦を弾く。両先の端が尖った爪は、彼女の美しい爪を隠すように見える。正確に言えば爪は明かされたままなのだが、琴の爪によって陰った乱菊の爪は、まるで日番谷から逃げているようにも思えて気分が悪かった。何せその爪が弦の上で走るように舞うものだから、余計にそう見える。
 そろそろ時は夕刻に差し掛かり、二人揃って迎えた非番の日は終わりを告げようとしていた。紅く嚥下される陽が、紅葉に光を与えており、眩いばかりに燃えている。輝く空に、儚い筝の音色ばかりが虚しく響いた。

「人生は険しいものなんですよ、日番谷隊長。」
「ああ、そうだろうとも。」
 まだ歳若く見える男女の声が、筝の音に紛れて優しく消えた。



色は匂えど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて 浅き夢みじ 酔いもせず



美しく咲き、鮮やかに映える花々は、いずれは散りゆくものであるから、我々の生きるこの世でも、誰が永遠に生き永らえることなど出来ようか
道は険しく、彷徨うような深し山に、今日も分け入るような人生であるから、浅はかに夢を追い求め、その夢に酔いしれることなど二度とするまい




 メルマガにて配信はさせて頂いておりましたが、サイトでの掲載は二作目となる「上弦の紅」シリーズでございます。
 成長して女をあしらうのが多少上手くなった大人日番谷君と、更に上手な大人乱菊さんが書きたくて筆を取ったお話ですが、まだまだ前途多難なお二人を見守ってやって下さると嬉しいです。(笑)
 いろは歌の話がしたかったのですが、何だかいっそもう現代語訳しない方が良かったんではないかと思います。(泣)

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