向日葵のように

悪性リンパ腫、とうとう移植することになりました^^;
この日記をリンクされる方は、事前にお知らせ下さい。

ない!!!

2006年02月28日 19時42分54秒 | 仕事

仕事に使ってたUSBメモリーをなくしたみたい

最後に見たのは先週の水曜か木曜で、このパソコンのテーブルの上。
なくすといけないから早くバッグにしまおうと思って、
しまったかどうか忘れてしまった(^_^;)

幸い個人情報は入ってないけど、このブログに使った写真なども
入ってる。
最後に入れたのはマラリア検査のマニュアルなんだけど...


今日職場で探したけどなくて、もしかしたら自宅かと思って
今まで探し回ったけど、やっぱりない!
最後の望みは、病院に入ってる白衣のクリーニング屋さん。
明日行ってみて、なかったらがっかりだ。

USBメモリーって小さくて便利だけど、なくすねー
以前から失くしそうだなぁと思ってたけど、やっぱりやってしまった
みんなはどうやって管理してる
んだろう?

どうか出てきてください!!






観覧車

2006年02月27日 23時42分15秒 | 風景

私が初めて撮った夜景は、横浜コスモワールドの観覧車。
今でも記念に引き伸ばしてとってある。

一昨日、日本平からの帰り道、首都高が混んでいたので、
バスは東名の横浜町田インターを降りて、横浜新道を通り、
横浜ベイブリッジから湾岸道路で、千葉まで帰ってきた。
このコースは夜景がすごーく綺麗なので、
昼間の富士山と合わせて、二度得した気分になった。
「バスを止めて~~っ」てもう少して言うところだった

このコースを通ると大きな観覧車を3つ見ることができる。
まずはなつかしい横浜コスモワールドの観覧車、次がお台場の観覧車、
最後が葛西臨海公園の観覧車。
バスの中からだったけど、次々に変わるイルミネーションがとても綺麗だった。

渋滞中のバスの中から、手持ちで撮った観覧車(^_^;)↓
もっといろいろ遊び撮りがしたかったけど、この写真は芸がなかったね(笑)


ベランダ情報

2006年02月26日 16時59分56秒 | 日常

今日は
昨日は束の間のお天気だったのね
やっぱ、日ごろの行いだよね?(笑)

雨の日が増えてくると、春が近いなと思う。
うちのベランダも秋に植えた球根がどんどん育っている。
今朝はクロッカスの1本と水仙2本に蕾を発見!
ムスカリのタワー植えも小さい花が伸びつつある。
写真に撮りたかったけど、あいにくの天気なので来週に延期。

もうすぐ我が家のベランダに春が来ます。
楽しみです(^。^)v

P.S トラックバックのやり方がやっとわかった!


日本平

2006年02月26日 00時27分35秒 | 風景

はとバスで静岡県の日本平に行ってきた(^。^)v

今日は夫が棚卸しでいないので、
一人でどこかに遊びに行こう」
と思い立ったのが3日前。
ただ、私一人で出かけると夫が心配するのがわかってたので、
乗っているだけで連れてってくれるバス旅行に決めた。

本当は梅を見に行きたかったんだけど、
あまりにも急だったので、どこの梅が咲いているのか、わからない。
そこで、「絶景の富士を望む日本平とわさび漬け工場見学」というのにした。
日本平パークセンターのお寿司バイキング食べ放題にもつられたが...(笑)

今日はお天気が最高で、素晴らしい景色だった。
しかもはとバスと提携してる東都観光バスにお客はたったの16人。
1人で2座席分を使用して、心も体もゆったり気分の旅行になった。
朝7時半に出発し、最初のわさび漬け工場には11時半に到着した。
工場見学はひと周りがたったの2,3分で、
残りの時間はそこの売店で買い物させるのが目的だったようだ。
私はわさびのソフトクリームを食べ、自宅にわさび漬け、
職場にわさびのふりかけを買った。
12時半、日本平に到着。
さっそくお寿司バイキング。
グループで参加した人はグループごとの席だけど、
一人で参加した人は一人で参加した人同士の席になる。
私の席は苦手なタイプのおじさんのまっ正面になってしまった。
お醤油やお茶やわさびを遠慮もなしに取りまくり、
食べる時に『くちゃくちゃ』音を出して食べるので、
それを見ているだけで、気持ち悪くなってしまった。
しかも私が1回おかわりする間に、一人前の丸い桶?にお寿司をぎっしり入れ、
2回もおかわりした
困ったな、味わって食べてる暇がないと思った時、
デザートの石垣が運ばれてきたので、
それを食べてすぐ写真を撮りに行った。

まずは日本平ロープウエイで久能山に行ってみた↓

久能山から駿河湾を望む↑
遠くに見えるのは伊豆半島

90度?右方向を見た駿河湾↓
白いハウスの中はイチゴだよ♪




ロープウェイ乗り場近くに植えられていた水仙↑



日本平頂上から見えた富士山↑
朝はくっきり見えていたが温度が上がるにつれて、
だんだん霞がかかってきた。


午後3時過ぎ日本平を出発し三保の松原経由で帰宅の途についた。
途中渋滞はあったけど、
午後8時半、無事に自宅に到着した(^。^)v


川崎病

2006年02月24日 23時43分13秒 | 仕事

川崎病が人名だって知ってますか?
私は恥ずかしながら、医療職につく前は、
神奈川県川崎市の公害病の名前かと思っていた

今日は川崎病を発見し、1967年に世界で初めて報告された、
川崎富作先生がうちの病院で特別講演をしてくださった。
そんな偉い先生がなんでうちの病院に来たんだろう?
一度、ご尊顔を拝したい(^_^;)
ミーハーな気持ちで、講演を聞きに行ってきた。
先生は白髪で眉毛も真っ白!
でも演台に立つ姿はとても81歳とは思えない若さだった。

先生は川崎病を見つけるまでの話をしてくださったが
昭和24~25年当時、
戦争の疎開先が千葉県の姉ヶ崎だった頃の話から始まり、
研修医を経て小児科医を目指して経験を積んだ話など延々と続いた。
とにかく、昔の記憶があまりにも鮮明なのに驚いた。
年代から月日までよく覚えている。
普通の81歳のおじいちゃんとは全然違う。
失礼ながら、まったくボケてない。
いまだに現役で講演などでよくしゃべっていると
ボケる暇なんてないんだろう。

さて、病気の話にもどると、
先生が最初に出会ったのは昭和36年1月、患者は4歳で、
2週間以上の発熱があり、両目が真っ赤(目やにはない)口腔粘膜も赤くなり、
いちご舌、首のリンパ節が腫脹、全身に発疹、手足が硬くなって赤く腫れ、
熱が下がる頃、指の皮がむけるという症状だった。
当時は猩紅熱なども疑ったけど、咽頭培養が陰性なので、
細菌感染は否定され、先生は「診断不明」とした。
その翌年2月、2人目の同じ症状の患者を診察。
その年の10月までに5例の患者、
「非猩紅性らくせつ症候群」の名前で千葉医学会の雑誌で発表。
その後6年間で50例の症例を経験し、
原稿用紙で200枚の論文を発表したのが1967年だそうだ。
それから、『川崎病』という名前がついた。
先生の今後の目標は川崎病の原因をつきとめたいとおっしゃっていた。
やっぱりすごい!!

先生の講演内容で一番印象に残った言葉
「90過ぎの大先輩を前にして、81歳の僕はまだまだひよこです」
謙虚な姿勢に頭が下がりっぱなしだった(^_^;)

私の甥も1歳の頃、川崎病にかかったことがある。
その子もこの4月から高校生。
大きくなったものだ(^_^;)
第一志望に合格したら
好きなものを買ってあげると言ったけど、
何が欲しいんだろう?
伯母としては、ご褒美だから奮発する用意はある(^◇^)
勉強頑張ってるかな??