多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

戸山高校で卒業式校門前ビラまき

2016年03月10日 | 日記
3月9日(水)朝8時から9時半まで、今年は新宿区の戸山高校校門前でビラまきをした。昨年までは練馬区内でビラまきをしていたが転居したためだ。
天気はずっと曇りでいまにも降りだしそうだったが、幸い最後まで降らずまたそれほど寒くもなかった。そんなわけで、この日は部分日食の日だったがまったくみえなかった。

チラシの裏面
今年配ったのは都教委包囲・首都圏ネットワークのピンクのチラシ。表面のタイトルは「ご卒業おめでとうございます。誰にも立たない、歌わない自由があります」で、ビジュアルも例年とほぼ同じ。ただ本文では「格差はますます拡大し社会のひずみが広がり、とげとげしさが増して」いることや「戦争法の強行採決で、日本社会が戦争に向かっていること。証拠のひとつとして自衛隊駐屯地で隊内訓練をする都立高校まで出てきたこと」(要旨)など時代の特色を挙げている。一方裏面は「240万人の18歳、19歳が選挙権を持ちます。未来を決めるのはわたしたちです」というタイトルで、夏の参議院選を目前に、選挙権行使を促進する内容になっている。それで、呼びかけの声も「ご卒業おめでとうございます」に加え「18歳選挙権も、おめでとう」といってみた。卒業生だけでなく3年生の3割程度も夏には選挙権があるはずなので、自分で考えたうえでぜひ安倍Noの投票をしてほしいものだ。
10.23通達発令から今年で13年になる。この高校は、10.23通達から2回目の2005年卒業式で、卒業生が「東京都教育委員会のみなさんにお願いがあります。これ以上、先生たちをいじめないでほしい」とスピーチして話題になり、また翌06年の卒業式では校長が、保護者が式典を撮影したビデオフィルムを取り上げた学校だ。

受取は、卒業生は3割程度、保護者が5割、在校生はほぼゼロだった。いままでずっと配っていた光が丘高校では、保護者はほぼ100%、卒業生も半分以上受け取ってくれていたのでずいぶん違う。自転車で来校する保護者や生徒が皆無だったので、むしろ渡しやすいはずだったのだが。世の中全体、町でチラシを受け取らない風潮が定着してきているので仕方がないのかもしれない。手渡した枚数は2人で191枚。手持ちのビラはすべてなくなった 
卒業生の服装は、女性は圧倒的にオレンジやピンクの和服が多く、男性も3割くらいが緑やグレーの羽織袴だった。男性のその他はスーツ姿(比率は勘にすぎない)。この点もずっと清楚な服装だった光が丘とは異なる。いっしょに撒いた人は、これも経済格差の表れのひとつではないかといっていた。
在校生は制服だが、隣が学習院女子、その向こうが西早稲田中学(旧・戸塚第一中学・戸山中学、校地は戸塚第一の跡地)で、はじめはだれに渡せばよいのか見分けがつかなかった。そのうち女子は制服が違うのでわかるようになった。
保護者が先に学校に来て待ち受け、子どもが登校する風景を写真やビデオを撮っている人がいた。保護者がグループになっていたり、おそらく部活動の応援などで顔見知りなのか、生徒に「いつもユニフォーム姿しかみていないので見ちがえったよ」と話しかけている人がいた。高校までくると、PTAは有名無実な学校が多いが、きっと熱心なPTA活動の伝統がいまも続いているのだろう。この学校では、かつて10.23通達が出た当初の卒業式2004年から07年ごろまでPTA有志が校門前でビラ配りをしていた。

校門前で卒業生が列をつくって記念撮影をしていた
管理職と思われる人が、わたくしといっしょに撒いていた人に一度だけ声をかけてきた。「敷地には入らないように」、さらに「できればビラは撒かないでほしい」といったそうだ。もちろんビラ配りが目的なのだから、敷地外で撒いたのだが。
敷地ではあるものの校門の外に、教員が5人も立っていたのには驚いた。この学校は、卒業生が列をつくって校門前で記念撮影をしていたので、整理や受付のような意味もあったのかもしれない。

☆わたくしは2月13日の総決起集会にも参加した(主催:都教委の暴走を止めよう!都教委包囲・首都圏ネットワーク)。大内裕和さん(中京大学)が、新自由主義のグローバル化で日本でも格差・貧困が深まり、若者世代にもブラック企業、ブラックバイト問題、利子付奨学金による借金まみれ化が広がっていることを講演した。結論は、いま反戦平和と反貧困を結びつけることがヒントになるというものだったが、この日配ったチラシにも講演の趣旨が反映していた。
☆40年近く前の話だが、隣の駅の早稲田に何年か住んでいたことがある。高田馬場までの早稲田通りは何度も歩いているので、迷わないだろうと思っていた。ところが地下鉄高田馬場駅から地上に出ると、道路は変わらなくてもビルや店は変っているし浦島太郎状態だった。明治通りはほとんど歩いたことがないので、わずか150mなのにずいぶん遠く感じた。地下鉄・西早稲田よりもっと先とは思わなかったので途中のコンビニや交通整理の警官に2度も道を尋ねた。初めていく場所は、こんなものかもしれない。
ただ、駅の手前で早稲田松竹がそのまま残っているのをみつけたときはうれしかった。料金は2本立て1300円(シニア800円)とのことだ。かつて高田馬場周辺には西口にパール座があり、神楽坂にはピンク映画の牛込文化、もう少し足を伸ばすと飯田橋に佳作座があった。


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