多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

新国立劇場の「魔弾の射手」

2008年04月15日 | 観劇など
4月13日、初台の新国立劇場で「魔弾の射手」をみた。
この歌劇で使われる「秋の夜半」秋の夜半の み空澄みて 月のひかり 清く白くや「狩人の合唱」は小学校で習うので有名だ。

わたしは、20年近く前にNHK・FM土曜日の番組でカルロス・クライバーの生き生きした演奏を聴き、そのうちぜひ劇場で聞いてみたいと心待ちにしていた。 
たしか南西ドイツ放送局提供のテープだった(CDになっているドレスデンのものではない)。
しかしストーリーまでご存知の方は少ないのではないだろうか。
あらすじは下記新国立劇場のHPより)
17世紀、ボヘミアの森。若い猟師マックスは、森林保護官の娘アガ-テと恋仲にある。射撃大会で優勝すれば恋人との結婚と保護官後継が認められるのだが、調子が悪い。そこへ、悪魔に魂を売った猟師仲間のカスパールが、百発百中の魔弾を使うよう唆し、深夜の狼谷で魔弾を入手。領主臨席の大会当日、マックスが撃った最後の1発が悪魔の意でカスパールに命中。領主は魔弾の秘密を告白したマックスに追放を命じるが、事の顛末を見ていた隠者のとりなしで許される。

ウェーバー(Carl Maria von Weber 1786年11月18日―1826年6月5日)がこの曲を完成したのは1821年。ワーテルローの戦い(1815年6月)で敗れセントヘレナ島に幽閉されたナポレオンが51歳で死んだまさにその年だった。
ウェーバーは、ベートーヴェンより16歳年下、シューベルトの11歳年上、ベルリオーズの17歳年上、リューベック生まれのロマン派の音楽家だ。ちなみにモーツァルトの妻コンスタンツェはいとこである(ウェーバーが24歳下)。同時代の人には、グリム兄弟ヤーコプ1785年1月4日-1863年9月20日 ヴィルヘルム1786年2月24日―1859年12月16日)、画家のカスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(1774年9月5日―1840年5月7日)がいる。ドイツが統一国家への道を歩み始める前夜であることがわかる。
ストーリーも単純だが、シュテークマンの演出はわかりやすかった。
舞台の設定はドイツ三十年戦争(1618―1648年)のあとのボヘミアの森である。たとえば深夜、魔弾を鋳造する狼谷の不気味なシーンでは、「アイン」「ツヴァイ」「ドライ」と一発、弾をつくるごとに発火し、「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくるような妖怪が乱舞する。「サバトの夜の夢」(ベルリオーズ)や「はげ山の一夜」(ムソルグスキー)がバックにかかっていても合うような演出だった。悪魔ザミエルのエコーがかかったセリフも怪しい雰囲気を盛り上げた。まあ子どもだましといえば、そのとおりなのだが・・・。
また、頭に枝葉や鹿の角をつけた群衆とひびのこづえの衣装がよかった。
歌手では、アルフォンス・エーベルツ(マックス)の美声と妻屋秀和(隠者)の深みのある声がよかった。リディア・トイシャーの代役ユリア・バウアー(エンヒェン)は歌だけでなく、演技も優れていた。花嫁の介添え人4人の合唱も好演、そして新国立劇場合唱団の合唱が設立10年にしてやっとまとまりを感じるようになったことが特筆される。昨年聞いた「さまよえるオランダ人」の男性合唱では迫力を感じた。
オーケストラ(東京フィルハーモニー交響楽団)の演奏は平凡だったが、ホルンだけでなくフルートやピッコロも活躍する曲であることがわかった。また序曲に出てくるメロディーが何度も何度も出現することを発見した。

新国立劇場のオペラは「感動」するまでに至らないことが多い。主要キャスト、オーケストラ、合唱、舞台芸術の統一性が欠けているからだと思う。わたくしがはじめて聞いたのはいまから10年前の1998年1月のアイーダだった。根付くには、まだ10年を要するのだろうか。

☆オペラ鑑賞の楽しみは、幕間の一杯である。じつはこの雰囲気が楽しみで、年に1度新国立劇場に来ている面がある。
ジンライムやジントニックを飲むことが多いが、今回は素直に白ワインを飲んだ。
おかげで第3幕はより楽しく鑑賞できた。
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