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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

シンポジウム 歴史教科書いままでとこれから

2010年05月14日 | 集会報告
5月8日(土)午後、池袋の豊島区立生活産業プラザで「歴史教科書 いままでとこれから Part6」というシンポジウムが開催された(主催:「教科書に真実と自由を」連絡会、子どもと教科書全国ネット21ほか8団体)。テーマは2つあり、今年は韓国併合100年の節目の年なので「アジアのなかの日本」と、昨年「つくる会」の自由社版教科書が横浜市で採択されたので「その批判運動への展望」だった。
5人の方の報告があったが、わたしは横浜市教委の教科書採択の報告が東京都教委の都立中高一貫校への「つくる会」教科書採択と共通した点が多く、関心をもったのでそれを中心に紹介する。

●韓国併合にいたる明治期日本の政治・外交の真実と教科書記述
              大日方純夫さん(早稲田大学教授)
1 韓国併合への歴史過程をどう見るか
日露戦争は朝鮮侵略政策と不可分の関係にあった。日露開戦の1か月少し前の1903年12月30日、「対露交渉が決裂した場合、韓国に関しては実力をもって我が権勢の下に置く」ことを閣議決定した。開戦2週間後の04年2月23日には、軍略上必要な地点を臨機に収容する内容の「日韓議定書」を締結した。さらに3か月後の5月31日に軍隊の駐屯権、外交・財政の監督権を含む「対韓施設綱領」を閣議決定し、8月に財政顧問・外交顧問を置く第1次日韓協約を締結した。これと併行して、欧米との外交政策では、アメリカとは戦争末期の05年7月の桂・タフト協定、イギリスとは8月の第2次日英同盟、ロシアとは9月のポーツマス講和条約により日本の支配権の「了解」を取りつけた。そこで講和の翌月の10月には欧米は黙認するという見込みのもと、保護条約交渉開始を閣議決定し11月に第2次日韓協約を締結し、外交権を掌握し韓国統監府を設置した。
条約は第一級の公式文書だが、それだけみていると錯覚に陥る。むしろ意思決定のプロセスである閣議決定に歴史の真実がある
09年7月に韓国併合の閣議決定を行い、翌10年8月併合した。ここで注意してほしいのは伊藤の暗殺は09年10月であることだ。暗殺されたから併合に踏み切ったわけではない。逆である。
2 韓国併合を教科書はどう書いてきたか
戦前の小学校国定教科書(1921-43)、戦後の「くにのあゆみ」(46)、53年以降の中学教科書2社、高校1社の教科書の記述の変遷をみる。戦前は、「韓国の独立と東洋平和のため日本が保護国とし、韓国皇帝が望み天皇が受け入れたので併合した」と書かれていた。戦後になり「わが国が韓国を併合した」と、転換したことは確かである。
53年以降のT社でいうと、64年に「反対運動」が記述され、77年には抵抗運動を「軍隊で鎮圧した」ことが加わり、93年には「抵抗運動(義兵闘争)」と詳しくなった。教科書は前の版をベースに改訂される。
しかし、やはりいくつか問題点が残る。日露戦争と朝鮮の関係が希薄(あるいは欠落)しているので日露戦争認識が歪むこと、韓国支配をめぐる米英露の「承認」に関する叙述が不正確であること、伊藤の朝鮮統治路線の保護か併合という記述が不鮮明であること、などである。

■横浜市が採択した自由社版『つくる会』歴史教科書」

●自由社版教科書採択の経緯と問題点
              佐藤満喜子さん(教科書問題を考える横浜市民の会代表)
2000年度まで横浜市は比較的民主的な採択地区といわれた。それが昨年8月4日、18区中8区で自由社の歴史教科書が採択され、今年4月から13000人の中学生がこの教科書を使い始めた。また昨年6月、市教委は採択地区を11年度から1地区に統合する方針を打ち出し、10月に県教委が統合を承認したので、来年の採択により全市で自由社教科書が採択されるかもしれない。
「つくる会」教科書が採択された自治体には共通点が3つある。
まず首長の後押しがあることだ。横浜は中田宏市長、杉並は山田宏区長である。2番目に教育委員を首長の意向に賛同する人に入れ替えたことだ。教育委員の任期は4年だが、横浜では6人のうち今田忠彦委員長以外全員入れ替わった。3番目は教育委員が、採択委員会や現場の意見を無視して委員個人の恣意的な判断で採択することだ。
09年採択に当たり「つくる会」に同調する市民団体が、県内のほとんどの教育委員会に「調査資料や事務局案に頼らず、教育委員個人の判断で選定せよ」「無記名投票で採択を決定せよ」「採択地区を1地区に統合せよ」などの請願を提出した。横浜市教委はほとんどすべてを取り入れた。
8月4日の採択で、他の教科は従来どおり挙手で採決したが、歴史のみ今田委員長の提案で無記名投票で採決した。住民が情報公開で入手した投票用紙をみると、6人のうち2人は18地区すべてで自由社に投票、1人は全区で自由社以外に投票、残る3人はどういう基準で投票しているのか根拠がわからないメチャクチャな投票をしていた。審議会が答申した区ごとの評価項目数かけ離れた採択結果となった。
この体験を踏まえ今後の課題が3つある。まず、教育委員会の独立性が首長により改変され脅かされるのは問題だ。まして民主党が主張する「教育委員会の首長部局への吸収」は危険だ。教育委員会の独立性を確保すべきだ。次に、教育委員の入替えがフェアでない首長により行われるのは問題だ。委員の選出方法を、たとえば公選制に法改正するなどの改善が必要だ。最後に、子どもに近い人の声が反映するような採択、少なくとも学校別採択を目指す必要がある。そのためには教科書無償措置法の改正が必要となり、国の段階での見直しを求めざるをえない。

●教科書コラム、「赤穂浪士」と「神話」記述の問題性
              奈倉哲三さん(跡見学園大学教授)
自由社教科書には乱暴な記述が多い。とくにコラムで無茶苦茶な記述が目立つ。以下、「武士道と忠義の観念(赤穂浪士)」を例にとる。。
このコラムは「1702(元禄15)年12月14日、赤穂藩の浪士が江戸の吉良邸に討ち入りし」と始まり「江戸の庶民の喝采をあびた」と続ける。いくらなんでも無茶だ。竹田出雲の「仮名手本忠臣蔵」が歌舞伎上演され大好評を得たのは、事件から50年近く後の1748年のことだ。歌舞伎への評価と事件そのものに対する当時の評価を勘違いして書いている。映画の一シーンを事実と思って書いたのではないか。史実と虚構とを混同しないことを求めたい。
次に、「吉良にはおとがめなし」としかなく、城内刃傷事件の異常性を書いていない。当時は、浅野の即日切腹とお家断絶という幕府の裁定への疑義はまったくなかった。さらに当時から、四十七士の討ち入りは「忠義の仇討ち」には該当せず、徒党を組んだ老人殺害事件と見られ、切腹ではなく処刑すべしとの論もあったほどだ。
封建制度の「忠義」を美談にしようとするから無理な記述が多くなる。浪士の討ち入りを「主君のためには死を厭わない」美しい行為と礼賛するようになったのは、じつは日露戦争後に福本日南が「元禄快挙録」を刊行して以降のことである。昭和12年版の「尋常小学国史」下巻、第四十一 大石良雄に「赤穂義士の誉はいよいよ高くなり、この後もながく世人の義心をはげましました」とあり、国家(公)のために進んで命を捧げることを賛美した。
「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」という言葉がある。「新しい歴史教科書」というが、自由社の教科書は新しい皮袋に古い酒をなみなみと注いでいるようなものである。横浜市教育委員会は皮袋だけみて採択してしまったのではないだろうか。犠牲者は中学生だ。わたしたちは今後もひとつひとつ正確な吟味をして、新しい酒を注ぎ、教えていく必要がある。

●韓国の歴史修正主義――ニューライトの動向と教科書問題
              俵 義文子どもと教科書全国ネット21事務局長)
ニューライトとは、新自由主義・新保守主義を掲げるソウル大学の学者を中心とした「右派的革新」をめざす団体で、2004年11月結成された。08年3月には「代案教科書 近現代史」を発刊した。日本の「新しい歴史教科書をつくる会」の動きと対をなす運動だ。
与党ハンナラ党の政策立案に深く関与し、朴正煕(パク・チョンヒ)を評価し金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)を批判する。日本の植民地政策は韓国の近代化に役立ったと評価する。「併合100年」(韓国では「国恥100年」)について公式に発言している人はまだいないようだ。
韓国では、日本の学習指導要領に当たる「教育課程」が2007年に(第8次)改訂され、新たな教科書が今年3月から2013年にかけて順次導入されつつある。歴史教育では、これまで「国史」だったのが「歴史」となり、小学校歴史から「対外関係で民族主義を強調した項目がなくなる」、高校2,3年の選択科目に「東アジア史」が新設される、など大きな変更がある。
ところで2004年に新設された高校の選択科目に「近現代史」がある。韓国の教科書は国定だったが、はじめて検定教科書になり6社が発刊した。6社のうち金星社が50%以上のシェアを握っていた。この教科書は韓国の歴史教師の会が中心になり編集した教科書である。そこへ08年3月ニューライトの「代案教科書 近現代史」が発刊され、大韓商工会議所、教育科学部、国防部などが金星社版ほかを「左翼偏向」「反米」「反市場主義」「北朝鮮寄り」と攻撃を始めた。7月には教科部長官が「偏向した歴史教育批判」、10月には李明博(イ・ミョンバク)大統領が「北韓の社会主義に正当性があるかのような教科書がある」と批判した。そのため採択のシェアは大きく下がった。
08年11月教科部が金星社版に38項目の修正を指示し、出版社は執筆者の同意なしで指示に従い修正した。これに対し執筆者は09年1月金星社を相手取り著作権侵害停止の訴訟、2月に教科部を相手取り修正指示取消しの訴訟を起こした。出版社相手の訴訟は09年9月勝訴し現在控訴中、行政訴訟はまもなく結審の予定である
この経過は日本の96-97年の第三次教科書攻撃と共通性がある。ただ1点違うのは、日本は長い教科書裁判の歴史があるので、首相や文科大臣が直接教科書の内容に介入しないことだ。韓国では異常なかたちで公然と行われている。

☆質疑討論で、横浜の今後について「いよいよ自由社版教科書を使った授業が始まった。教科書記述の史実に即した批判だけでなく、学校現場でこの教科書をどう使うかが重要な段階に入った。指導書には教科書には書けないストレートな本音がエピソードというかたちで出ている。今後は、このテーマなら授業でこう理解するのが普通とか、うっかり読むと間違ったことを教える結果となるといった実践的な意見を発信することが重要だ」という発言があった。
横浜教科書研究会は「
自由社版『新編 新しい歴史教科書』でどう教えるか?」というパンフレットを作成した(20p 協力金300円)。このパンフは教科書冒頭の「そこに眠っている歴史」と5つのコラムに関するもので、この日の奈倉哲三さんの講演、「日本の神話」「神武天皇と東征伝説」「武士道と忠義観念(赤穂浪士)」も収録されている。今後、歴史の本編に関するパンフを作成する予定とのことだった。
☆「つくる会」教科書が採択される3つの条件の話があったが、東京都教育委員会もまったく同じである。まず
石原慎太郎都知事の後押し、知事が推薦した教育委員(かつては米長邦雄、いまは瀬古利彦や元警察官僚で治安担当副知事だった竹花豊など)、そして審議会が作成した資料と無関係に教育委員個人の無記名投票による採択と、たしかにいずれも横浜市教委と共通である。。
来年は全国一斉に中学の教科書採択が行われる。現在「つくる会」教科書は、歴史
(扶桑社+自由社)が2万1050冊、公民が4150冊、全国で使用されている。少しでも減らしたいものである。

●5月15日追記 「自由社版教科書採択の経緯と問題点」を一部修正した。
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