豊島勤労福祉会館で開催された歴史偽造を許すな!南京大虐殺70周年!増田さん、田畑さんを職場にもどせ! 12.16集会に参加した(主催・東京都学校ユニオン 60人参加)
今年は日中戦争初期の、1937年12月南京大虐殺から70周年に当たる。歴史修正主義勢力は教科書から、この南京大虐殺、従軍慰安婦、沖縄戦の真実を削除する「歴史偽造運動」を全国的に繰り広げた。教育現場で最初の犠牲になったのが増田都子さんと田畑和子さんの2人の中学教員である。2003年の10.23通達よりずっと前のことだった。

ビデオ『天皇の名のもとに』(南京大虐殺のマギー・フィルム中心)の一部をみた。「中国兵は軍服を脱ぎ捨て難民区(国際安全区)に逃げ込んだので、日本軍は残敵掃蕩を行った。これは正当な戦闘行為だ」という説がある。しかしビデオでは、女性や子どもの死体が路上にころがっていた。またある元・衛生兵は「37人の母子を殺害した」と証言していた。「償う道はこれだけだと考え、話すことにした」と語っていたのが深く印象に残った。台湾や朝鮮で慰安婦体験のある方が自分の体験を語り始めたのも90年代以降のことだ。戦争の傷跡は被害者・加害者ともに大きい。
講演『君は南京大虐殺を知っているか』 津田道夫さん
南京大虐殺はまぼろしだったという説がある。藤岡信勝や東中野修道ら歴史修正主義者の論である。しかしこれは原爆投下を「まぼろし」というのに等しい。
当時の公文書でも「上海方面ノ戦場ニ於テハ一般ノ支那住民ハ老人、女、子供ト雖モ敵ノ間諜ヲ勤メ(略)斯ノ如キ行為ヲ認メシ場合ニ於テハ些モ仮借スルコトナク断乎タル処置ヲ執ルベシ」(第10軍参謀長注意事項)とあるし、中島今朝吾日記(南京攻略戦に参加した16師団長)にも「大体捕虜ハセヌ方針ナレバ、片端カラ之ヲ片付クルコトトナシタル(略)佐々木部隊丈ニテ処理セシモノ約一万五千(略)」(1937年12月13日)とある。また陸軍通牒「支那事変地ヨリ帰還スル軍隊及軍人ノ言動対策ニ関シテ」には言辞の例として「親子四人ヲ捕ヘ、娘ハ女郎同然ニ弄ンデ居タガ、親ガ余リ娘ヲ返セト言フノデ親ハ殺シ、残ル娘ハ部隊出発迄相変ラズ弄ンデ、出発間際ニ殺シテ了ッタ」など多数の事例が見られる。強姦は軍でも犯罪で、憲兵につかまるので、「死人に口なし」と殺してしまうのである。
30万人という人数が問題になることもある。南京大虐殺記念館(侵華日軍南京大遇難同胞紀念館)には3本の柱と5重の円のモニュメントがある。これは数字の30万を象徴している。30万というのは「数えきれないほど」のという意味である。中国人の「感情の記憶」として尊重すべきである。
今年8月朝日新聞に程兆奇・上海社会科学院研究員の「虐殺と死体の統計資料はない」との記事が出て注目された。程研究員は友人なので、電話で「中国人の感情の記憶なのではないか」と尋ねると「もちろんそうだ」と言っていた。
虐殺だけが問題なのではない。日本軍は強姦、放火、略奪を無数に行った。第6師団は11月5日杭州湾から、16師団は11月13日に長江を越え南京を目指した。一番乗り競争を行い、とても兵站が追い付かず、食糧も「女」も現地調達したからだ。またその背景には、日清・日露戦争で中国人蔑視思想が浸透していたことと、郷土ごとに編成された師団の「仇討思想」があった。蒋介石が戦争1周年のとき「精神道徳上の損失」と評したが、そのとおりといわざるをえない。
当時の南京城内の住民は100万人だったが避難した人を除くと20万人といわれる。しかし南京市行政区まで範囲を広げれば、関東地方から房総半島を除いたくらいの面積で人口250万といわれ、あながち乱暴な数字とはいえない。
30万殺害とか20万殺害という数字の影で、顔も名前も家族もある一人一人の個人の悲劇がかき消されかねない。これがジェノサイドの罪である。
増田都子さんの報告

わたしの闘いは10年前の1997年7月に始まった。2年生の地理で沖縄米軍基地の授業を行っていたとき、ある母親が反米偏向教育だと区教委に相談した。校長・区教委の全面的な支援のもと、その親は教師であるわたしを訴えた。そのとき日教組から「闘うため」に別組織となったはずの全教は98年11月28日の第一次処分の翌日、足立区全域で「偏った教育をする教師がいる」という内容のビラを配布した。当時の区長は吉田万三(共産)だったので、1票でも多くの票がほしかったものと推測される。
一方、98年8月の産経新聞の「偏向教育」キャンペーンに食いついてきたのが、土屋たかゆき(民主・板橋)、古賀俊昭(自民・日野)、田代ひろし(自民・世田谷)の三都議である。三都議の著書に対する名誉毀損・プライバシー侵害裁判は今年4月28日一審で一部勝訴(76万円の支払い命令)し、来年1月29日に控訴審が結審する。
また2005年3月、いったん港区の中学への転任が内定していたが、2週間後の3月31日都教委は分限免職処分を発令した。分限免職処分取消し訴訟は来年3月から証人尋問の段階に移行する。
田畑和子さんの報告

1995年11月豊島区立千川中学の文化祭で「戦争をめぐって」という展示が行われた。わたしの最後の文化祭で1年の担任をしていたが、2年の生徒が企画したものだった。戦争を加害・被害の2つの側面から教科書や図書館で調べ、加害では、南京大虐殺、真珠湾攻撃、強制連行・従軍慰安婦、被害では沖縄戦、東京大空襲、広島をテーマに準備を進めた。ところが文化祭の前日、N校長は社会科のS教員を呼びつけ「偏向している」といい、N校長は
◎戦争については、それぞれの国、立場で意見や見方が違ってきます。
◎今回掲示した内容についても、色々な意見や考え方があり、反論もあります。
◎私たちが一人ひとり、これからも、何が真実だったのかをしっかり見つめていきましょう。
との断り書きをワープロで大きく書き、廊下と展示室に2枚掲示した。
文化祭終了後、校長がこの問題をめぐる職員会議を開かないので、都教組豊島支部に報告し「としま通信」にも掲載され、翌年3月の区教委との支部交渉で取り上げたが、区教委は「何も言えない」との回答だった。
12年後の今年10月、裁判の過程で、N校長が区教委指導室長に12月16日付けで提出した「文化祭掲示物の内容についての報告」が発覚した。その報告書には「(掲示物に)教科書検定そのものに対する批判ともとれる内容等、露骨に左翼的な発想の内容が書かれていた」「(文化祭の反省の職員会議を開きたいという提案で)3人の教諭とは意見がずれた。校長としては、教職員団体の学校分会が全職員を戦争認識論争に巻き込みたいとの意向に乗るわけにはいかぬため、全員で討議する場は考えていない」などと書かれていた。
この12月という時期は、ちょうど自分の嘱託問題が起こった時期だった。だれでも採用されるのになぜ自分だけ採用されなかったのか、真相がやっと半分わかったように思った。
再雇用拒否理由デッチアゲ事件訴訟は来年2月12日に判決が下りる。
連帯のあいさつ
富山栄子さん(新社会党東京都本部副委員長)、伊沢けい子さん(都議・三鷹市選出)、押田五郎さん(東京全労協議長)、近正美さん(千葉高教組)、吉田晃さん(全学労組・千葉学校合同委員長)、山田英造さん(月刊「人権と教育」編集部 障害者の教育権を実現する会)、近藤光男さん(被解雇者の会)、ジャマル・サーベリさん(イラン難民)、鈴木勝さん(国労闘争団・稚内)
それぞれの方から口々に「歴史の偽造は許せない」「こんなまじめな先生がなぜ偏向していると言われ、免職になるのか」「都教委は右傾化の先頭を走っている。不当な解雇は許せない」「この問題は教員だけの問題ではない、わたしたちの憲法感覚が問われている」など、増田さん、田畑さんを激励するアピールが出された。
☆増田都子さんは、来年早い時期に『たたかう!社会科教師 戦争の真実を教えるとクビなのか?』(社会批評社 予価1700円)を発刊される予定です。
今年は日中戦争初期の、1937年12月南京大虐殺から70周年に当たる。歴史修正主義勢力は教科書から、この南京大虐殺、従軍慰安婦、沖縄戦の真実を削除する「歴史偽造運動」を全国的に繰り広げた。教育現場で最初の犠牲になったのが増田都子さんと田畑和子さんの2人の中学教員である。2003年の10.23通達よりずっと前のことだった。

ビデオ『天皇の名のもとに』(南京大虐殺のマギー・フィルム中心)の一部をみた。「中国兵は軍服を脱ぎ捨て難民区(国際安全区)に逃げ込んだので、日本軍は残敵掃蕩を行った。これは正当な戦闘行為だ」という説がある。しかしビデオでは、女性や子どもの死体が路上にころがっていた。またある元・衛生兵は「37人の母子を殺害した」と証言していた。「償う道はこれだけだと考え、話すことにした」と語っていたのが深く印象に残った。台湾や朝鮮で慰安婦体験のある方が自分の体験を語り始めたのも90年代以降のことだ。戦争の傷跡は被害者・加害者ともに大きい。
講演『君は南京大虐殺を知っているか』 津田道夫さん
南京大虐殺はまぼろしだったという説がある。藤岡信勝や東中野修道ら歴史修正主義者の論である。しかしこれは原爆投下を「まぼろし」というのに等しい。
当時の公文書でも「上海方面ノ戦場ニ於テハ一般ノ支那住民ハ老人、女、子供ト雖モ敵ノ間諜ヲ勤メ(略)斯ノ如キ行為ヲ認メシ場合ニ於テハ些モ仮借スルコトナク断乎タル処置ヲ執ルベシ」(第10軍参謀長注意事項)とあるし、中島今朝吾日記(南京攻略戦に参加した16師団長)にも「大体捕虜ハセヌ方針ナレバ、片端カラ之ヲ片付クルコトトナシタル(略)佐々木部隊丈ニテ処理セシモノ約一万五千(略)」(1937年12月13日)とある。また陸軍通牒「支那事変地ヨリ帰還スル軍隊及軍人ノ言動対策ニ関シテ」には言辞の例として「親子四人ヲ捕ヘ、娘ハ女郎同然ニ弄ンデ居タガ、親ガ余リ娘ヲ返セト言フノデ親ハ殺シ、残ル娘ハ部隊出発迄相変ラズ弄ンデ、出発間際ニ殺シテ了ッタ」など多数の事例が見られる。強姦は軍でも犯罪で、憲兵につかまるので、「死人に口なし」と殺してしまうのである。
30万人という人数が問題になることもある。南京大虐殺記念館(侵華日軍南京大遇難同胞紀念館)には3本の柱と5重の円のモニュメントがある。これは数字の30万を象徴している。30万というのは「数えきれないほど」のという意味である。中国人の「感情の記憶」として尊重すべきである。
今年8月朝日新聞に程兆奇・上海社会科学院研究員の「虐殺と死体の統計資料はない」との記事が出て注目された。程研究員は友人なので、電話で「中国人の感情の記憶なのではないか」と尋ねると「もちろんそうだ」と言っていた。
虐殺だけが問題なのではない。日本軍は強姦、放火、略奪を無数に行った。第6師団は11月5日杭州湾から、16師団は11月13日に長江を越え南京を目指した。一番乗り競争を行い、とても兵站が追い付かず、食糧も「女」も現地調達したからだ。またその背景には、日清・日露戦争で中国人蔑視思想が浸透していたことと、郷土ごとに編成された師団の「仇討思想」があった。蒋介石が戦争1周年のとき「精神道徳上の損失」と評したが、そのとおりといわざるをえない。
当時の南京城内の住民は100万人だったが避難した人を除くと20万人といわれる。しかし南京市行政区まで範囲を広げれば、関東地方から房総半島を除いたくらいの面積で人口250万といわれ、あながち乱暴な数字とはいえない。
30万殺害とか20万殺害という数字の影で、顔も名前も家族もある一人一人の個人の悲劇がかき消されかねない。これがジェノサイドの罪である。
増田都子さんの報告

わたしの闘いは10年前の1997年7月に始まった。2年生の地理で沖縄米軍基地の授業を行っていたとき、ある母親が反米偏向教育だと区教委に相談した。校長・区教委の全面的な支援のもと、その親は教師であるわたしを訴えた。そのとき日教組から「闘うため」に別組織となったはずの全教は98年11月28日の第一次処分の翌日、足立区全域で「偏った教育をする教師がいる」という内容のビラを配布した。当時の区長は吉田万三(共産)だったので、1票でも多くの票がほしかったものと推測される。
一方、98年8月の産経新聞の「偏向教育」キャンペーンに食いついてきたのが、土屋たかゆき(民主・板橋)、古賀俊昭(自民・日野)、田代ひろし(自民・世田谷)の三都議である。三都議の著書に対する名誉毀損・プライバシー侵害裁判は今年4月28日一審で一部勝訴(76万円の支払い命令)し、来年1月29日に控訴審が結審する。
また2005年3月、いったん港区の中学への転任が内定していたが、2週間後の3月31日都教委は分限免職処分を発令した。分限免職処分取消し訴訟は来年3月から証人尋問の段階に移行する。
田畑和子さんの報告

1995年11月豊島区立千川中学の文化祭で「戦争をめぐって」という展示が行われた。わたしの最後の文化祭で1年の担任をしていたが、2年の生徒が企画したものだった。戦争を加害・被害の2つの側面から教科書や図書館で調べ、加害では、南京大虐殺、真珠湾攻撃、強制連行・従軍慰安婦、被害では沖縄戦、東京大空襲、広島をテーマに準備を進めた。ところが文化祭の前日、N校長は社会科のS教員を呼びつけ「偏向している」といい、N校長は
◎戦争については、それぞれの国、立場で意見や見方が違ってきます。
◎今回掲示した内容についても、色々な意見や考え方があり、反論もあります。
◎私たちが一人ひとり、これからも、何が真実だったのかをしっかり見つめていきましょう。
との断り書きをワープロで大きく書き、廊下と展示室に2枚掲示した。
文化祭終了後、校長がこの問題をめぐる職員会議を開かないので、都教組豊島支部に報告し「としま通信」にも掲載され、翌年3月の区教委との支部交渉で取り上げたが、区教委は「何も言えない」との回答だった。
12年後の今年10月、裁判の過程で、N校長が区教委指導室長に12月16日付けで提出した「文化祭掲示物の内容についての報告」が発覚した。その報告書には「(掲示物に)教科書検定そのものに対する批判ともとれる内容等、露骨に左翼的な発想の内容が書かれていた」「(文化祭の反省の職員会議を開きたいという提案で)3人の教諭とは意見がずれた。校長としては、教職員団体の学校分会が全職員を戦争認識論争に巻き込みたいとの意向に乗るわけにはいかぬため、全員で討議する場は考えていない」などと書かれていた。
この12月という時期は、ちょうど自分の嘱託問題が起こった時期だった。だれでも採用されるのになぜ自分だけ採用されなかったのか、真相がやっと半分わかったように思った。
再雇用拒否理由デッチアゲ事件訴訟は来年2月12日に判決が下りる。
連帯のあいさつ
富山栄子さん(新社会党東京都本部副委員長)、伊沢けい子さん(都議・三鷹市選出)、押田五郎さん(東京全労協議長)、近正美さん(千葉高教組)、吉田晃さん(全学労組・千葉学校合同委員長)、山田英造さん(月刊「人権と教育」編集部 障害者の教育権を実現する会)、近藤光男さん(被解雇者の会)、ジャマル・サーベリさん(イラン難民)、鈴木勝さん(国労闘争団・稚内)
それぞれの方から口々に「歴史の偽造は許せない」「こんなまじめな先生がなぜ偏向していると言われ、免職になるのか」「都教委は右傾化の先頭を走っている。不当な解雇は許せない」「この問題は教員だけの問題ではない、わたしたちの憲法感覚が問われている」など、増田さん、田畑さんを激励するアピールが出された。
☆増田都子さんは、来年早い時期に『たたかう!社会科教師 戦争の真実を教えるとクビなのか?』(社会批評社 予価1700円)を発刊される予定です。