goo blog サービス終了のお知らせ 

多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

改憲勢力が8割に到達した2017衆議院選

2017年10月28日 | 日記
何から何まで異例の総選挙だった。9月17日ごろ突然「衆議院解散」のウワサがかけめぐり、18日から22日まで国連総会に出席した安倍は、ニューヨークから帰国した25日に正式に解散総選挙を表明、29日の臨時国会冒頭に憲法違反の解散を行ない事実上選挙が始まった。これに対し、小池・細野新党が「希望の党」として参戦することを25日に表明、野党最大会派の民進党が26日に小池・前原会談で民進党の「合流」を協議し、党が瓦解した。小池の「排除」発言(9月29日)を受け10月2日に枝野が「立憲民主党」結党を表明、そして10日の公示、総選挙にあわただしく突入した。
高田健さん(解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会)は選挙まっただなかの10月19日の雨の総がかり行動で「9月26日16時過ぎに4野党の幹事長、書記局長に市民連合として7つの政策合意を手渡し固く握手した。ところがその日の19時過ぎ前原・小池会談で方針の大転換がなされた。わたしはへこたれないほうだが、正直愕然とした」と嘆いた。
また雨の多い選挙だった。雨が降らなかったのは12日のうち3日だけ、わたしが選挙運動に加わったのは個人的事情から14日からだったが、降らなかった日は1日しかなかった。おまけに師走並みの寒さでマフラーや手袋をする日まであり、とどめとして投票日には台風まで襲来した。投票率は53.68%、戦後最低の2014年に次ぐ低投票率に終わった。

この選挙、わたくしが地元東京2区の立憲民主党・松尾候補の応援をしたのは10月14日(土)から8日間だった。松尾候補は、東京の25小選挙区のなかで少ない野党共闘が成功した統一候補だった。
わたくしがボランティアとして手伝った作業は、確認団体ビラ(立憲民主党の政策パンフ)を10部または50部ずつ袋詰めする作業、政党ビラが厚手の紙なのでコーナーの隅切りする作業、候補者の街宣時の政党ビラ手渡し、確認団体ビラのポスティング(文京区で300部、自宅近くで合計900部弱)、電話入れ415本(1日平均100本)だった。
電話入れなら雨でも関係ないだろうといわれそうだが、雷門の事務所はいまどき珍しいトタン屋根だったので、雨がトタンに当たる音がすさまじい。小雨でも豪雨のような音がして、電話の相手の声が聴きづらく仕事もしづらかった。

投票日の夜、雨が降っていたがいつものように区の開票所に行ってみた。23時時点で、松尾候補は20500、辻候補31000、最終結果は、辻(自民)112,913(46%)、松尾91,230(37%)、鳩山(希望)41,955(17%)、投票率37.2%だった。また比例も惜敗率80.7で復活当選ラインに少し届かなかった。吉田晴美(8区)、鈴木庸介(10区)、北條智彦(13区)の立憲民主の新人4人衆もそろって討ち死した。
全国でも、ご存じのとおり、自公だけで2/3の313議席(追加公認3含む)、希望、維新、こころを含めれば改憲勢力が8割(374議席)の大勝利(こちらにとっては大敗北)となった。安倍いわく「国難」選挙だったが、まさに「アベ難」選挙だった。

雨のなかの支援者たち(10月21日築地4丁目)
一ボランティアとしての体験から感じた敗因が3つある。
まず自民・辻候補に比べた圧倒的な出遅れだ。民主党の瓦解で候補者は何党から出るのかも決まらないということもあり、せっかく予定候補者チラシを撒ける9日まで1枚のチラシも完成せず、ポスティングしていなかった。公示前だったが、9日の街宣に行ってみると、候補者1人だけしかいない。まるで2007年初当選の川田参議院議員の選挙戦2-3か月前のような感じだった。
10日のポスター貼りと証紙貼りは連合や共産党などの協力でなんとか乗り切ったが、電話入れも、リストが出来ていないとかで、始めたのは18日(水)からとなった。いまでは期日前投票の人が総投票数の3-4割が期日前投票をするという時代にである。
次に、統一候補といいながら、選挙活動の「統一」がまったくなかった
民進党関係の選挙応援は昨年の鳥越都知事選、衆議院東京10区鈴木候補の補選に続き3回目だが、立憲民主党になっても市民との連携があまりピンときていないようだった。わたくしが行った雷門事務所も小石川事務所にも選対メンバーはいなかった。ボランティアセンターのような位置づけだったらしい。旧民進党関係のスタッフは常駐していたが、現在の情勢を聞いても、だれもわかる人はいなかった。

選挙終盤の18日に「市民と野党が支える候補」というシールを掲示場のポスターに追加で貼った。わたくしは2投票区16か所貼って回った。後貼りなので、「東京大学法学部卒 元NTT社員」より文字が小さく、あまり目立たない。ポスターをつくったデザイナーから叱られそうだ。その後、投票前日の21日(土)朝刊とともに松尾候補の証紙付きチラシが全戸配布された。公示前にポスティングできなかった埋め合わせでそれはそれでよいのだが、「市民と野党が支える候補」という文言は入っていなかった。事務所の人に聞くと証紙付きなので、刷りかえる時間がなかったとのことだったが、民進党を受け継いだ立憲民主党にも市民や野党と共闘の選挙という発想がもともと乏しかったと思わざるをえない。逆にいうと、わたくしがこれまで応援した選挙は保坂展人選挙のように市民選挙がほとんどだったからより強くそう思うのかもしれない。
またこれも都知事選同様だが、街宣は主として民進党の区議が仕切っていて、共産党とは別行動、労組もどこか別の場所でやっていたようだ。全容をわかる人は雷門の選対本部にしかいなかったのかもしれない。候補には街宣から戻ったときなどに会えることもあったが、選対事務局長という人には一度も会わなかった。
最後に、選挙戦さなかの10月17日の東京新聞朝刊のアンケートに松尾候補が「憲法9条は改正すべきか」の設問に「改正すべき」、「9条2項を残したままで自衛隊を明記する」ことに「賛成」、「安保保障関連法、特定秘密保護法、「共謀罪」の評価」について、「評価できるものも評価できないものもある」という回答が掲載され驚いた。こんな回答をした立憲民主党の候補者は東京の25の小選挙区のなかには1人もいない。あとの解説によれば松尾候補は個別的自衛権は憲法に明記すべきという立場なのでこうなったということだ。これは、やはり政策協定を結ぶべきだったと考える。
7月の都議選で森山候補が「今後の国政選挙では、どの政党を支持するか」という朝日新聞のアンケートに「自民党」と回答したことを苦々しく思い出した(選対事務局長は「これは誤報だ」と釈明した)。「自滅」型の敗戦である。

雷門での小雨のフィナーレ(10月21日)
文京、台東、中央、港のどこに行っても、ポスターで目立つのは自民党・辻候補のものばかり、解散総選挙は考えてみればいつも「突然」なのだから、やはり地道な日常活動が重要ということのように思う。
この選挙で気の毒だったのは日本共産党だ。この3年のあいだにとくに悪いことはなかったはずだし、少なくとも中央区内ではこの選挙でポスター貼り、追加シール貼り、街宣での動員など、大いに協力していただいた。野党共闘で候補を取り下げた結果、地方の比例票の減少が大きかったのだろうか。

それにしても、11月1日召集の特別国会(実質的には3日間だけ)を経て、来年年明けの通常国会のあいだに何が起きるのか、国会が始まってからどうなるのか、今後も目は離せない。その間にとりあえず11月3日(祝・金)午後、安倍9条改憲NO!全国市民アクションの国会包囲大行動がある。
「希望の党」は党内で小池はずし、野党化が進展しているという報道もある。ぜひ自公の補完勢力でなく「野党」に生まれ変わってほしいものだ。
  
☆今回雷門に何度も行った。もちろん浅草寺がスポットであることは知っていたが、じつに外人観光客が多い地域だった。選挙関連のビラは、できるだけスーパーのオオゼキのビニル袋をもっている人を狙った。雷門通りには、神輿や太鼓など祭り用品の専門店、うなぎやまむしの漢方薬店、すしや通りというアーケード街(実際にはすし屋は数軒しかない)など、不思議な店、浅草ならではの店がいくつもあった。今度は観光できてみたいものだ。

・この項、衆議院選の反省会が今後あるはずなので、何か追記するかもしれない。

11月14日追記 
結構書くことがあり、11月14日に新たな記事を書き足した。
なお「地方の比例票の減少が大きかったのだろうか」と書いたが、これは間違いで東京は地方以上に比例票が減らしていた。この件も11月14日の記事に書いた。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 芸術の秋の東京国立博物館 | トップ | まるごとミュージアムでみた... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日記」カテゴリの最新記事